『レクイエムの名手 菊地成孔追悼文集』(亜紀書房)

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 日本人ジャズミュージシャンとして初めてジャズの名門レーベル「Impulse! Records」と契約するという快挙を成し遂げたミュージシャンでありながら、東京大学、東京芸術大学、慶應義塾大学といった学校で非常勤講師として教鞭をとり、また、映画評論・エッセイ集など数々の著作をもつ文筆家でもある、そんな多彩な顔をもつ菊地成孔が新著『レクイエムの名手 菊地成孔追悼文集』(亜紀書房)を出版した。

 この本はタイトルの通り、菊地成孔が2004年から2015年にかけて、雑誌連載やブログ、自身の冠ラジオ番組などで故人に捧げた「レクイエム(鎮魂歌)」を集めた1冊。ライター・川勝正幸、ジャズ評論家・相倉久人、ジャズミュージシャン・菊地雅章といった生前関わりのあった人から、「glee」でフィン役を演じた俳優コーリー・モンテース、落語家・立川談志といった面識はないものの彼が強い思い入れをもっている人まで、総勢50本以上の「レクイエム」が収録されている。音楽はもちろん、映画・文学・心理学など、圧倒的な知識量をバックグランドとした評論で00年代以降のサブカルチャーを牽引してきた菊地成孔はどんな「レクイエム」を残してきたのか? 本稿ではそのなかから、印象的なテキストをいくつかご紹介していきたい。

 ジャズシーンで活躍する傍ら、セッションミュージシャンとしても多くの仕事を残してきた彼は、多ジャンルのミュージシャンと知己をもっており、浅川マキ、ウガンダ・トラなど、バラエティに富んだ音楽家たちとの思い出を本書に綴っている。そのなかでも特に印象的なのが、忌野清志郎とのエピソードだ。

 90年代、菊地成孔は師匠である山下洋輔(タモリを発掘、福岡から上京させた人物としても有名)のバンドの一員として、忌野清志郎が主催する川崎クラブチッタでの年越しイベントに出演した。しかし、そのイベントのオーディエンスはロック好きを中心とした聴衆で、彼らを前に演奏は空を切るだけだったという。

〈チッタのフロアを埋め尽くしたロックファン達を前にした、ボトム(ベース)がない、グランドピアノ、サックス、ドラムセットだけの完全アコースティックの演奏は、どれだけ扇情的な演奏を行っても、全くの無力でした。アウェイというレヴェルではない、あれほどの無力感を感じた演奏は、ワタシの乏しい音楽歴の中でも、あれっきりです〉
〈演奏は30分間でしたが、会場全体がどん引きでシーンとする事も、ヤジが飛ぶ事も、一切ありませんでした。我々の演奏は、やってるかやってないか、演奏なのかサウンドチェックなのか判らないものとして理解され、演奏中は、休憩中と全く同じざわつきが、同じデシベル値のまま全く止まらず、演奏は空を切ると言うより、一秒ごとに、演奏している我々三人だけの独占物になっていきました〉

 菊地成孔にとってはなかなかに苦い清志郎とのエピソードだが、彼にとって故人にまつわる最も意義深い思い出はこのイベントでのことではなく、ある日テレビを観ていた時に偶然聴いた彼の曲に心揺さぶられた経験であると言う。それは、こんな歌詞の曲であった。

〈オレがどんなにわるいことをしても
 オレは知ってる
 ベイビー、おまえだけは オレの味方

 オレがどれだけウソばかりついても
 ベイビー、おまえだけは オレを解ってくれる
 オレは知ってる〉

 菊地成孔が書き出した歌詞は実際に清志郎が歌っているものと微妙に異なるのだが、ここで指している曲は恐らく「君が僕を知ってる」であると思われる。名曲「雨あがりの夜空に」のカップリングであり、アルバム『EPLP』に収録されている曲である。その歌を聴いた時の思い出を彼はこう語る。

〈ワタシは、自分が、日本の音楽を聴いて、これほど泣くのだと言う事に、当惑する程でした。涙が流れたとか、嗚咽が止まらなかったとかいう問題ではない、ワタシは全身全霊が泣き果てて、泣いて泣いて、この曲が終わる前に、幸福で死んでしまうのではないかと思いました。
 この歌詞を、落ち着いて口にしたり、キーパンチしたりすることが、ワタシは一生出来ないでしょう。今こうして、たった100文字に満たない言葉をキーパンチするだけで、ワタシの目玉はずぶぬれになり、鼻からは滝の様な鼻水が流れています。読み返すと、更に涙があふれて来ます。こんなに人は泣けるのか。と呆れる程です。ワタシは、フォークソングの門外漢として、日本語のフォークソングは、生涯に一曲、フォーク・クルセイダーズの「あの素晴らしい愛をもう一度」だけあれば、そして、日本語のソウルとブルースは、この一曲があれば事足りると思っています〉

 この追悼文は彼の公式サイト「PELISSE」に書かれたものだったが、多くの清志郎ファンの心を打ち、後に『文藝別冊 総特集 忌野清志郎』(河出書房新社)にも転載されている。

 本書に収録されたテキストの書かれた04年から15年というのは、昭和を彩った偉人たちが次々と亡くなる時代でもあった。

 菊地成孔にとっては、とりわけ、クレージーキャッツの面々(植木等、谷啓、桜井センリ)、そして『シャボン玉ホリデー』(日本テレビ)での共演者ザ・ピーナッツの伊藤エミがこの世を去ったことが大きい。彼はかねてより兄である作家・菊地秀行の部屋で見つけたクレージーキャッツのレコードに夢中になったことが音楽や映画に目覚めたきっかけであると公言しており、本書でも〈ワタシはジャズとクレージーキャッツがなかったら今頃こんな仕事なんか絶対にしてません〉とまで綴っている。そんな彼らの死に、菊地成孔はこんな詩的な「レクイエム」の数々を送った。

〈90年代から00年代の20年間というのは、我等がハナ肇とクレージーキャッツが一人また一人と亡くなっていった時代でした。20年以上かけて、花びらがスローモーションで散っていくような様を見せられる。そういう時代に入り、まだそれが続いている訳です〉
〈こうやってクレージーキャッツだけでなく「シャボン玉ホリデー」という偉大な運動体が、少しずつ少しずつ黄泉の国へと昇っていくんだ。分っちゃいたけど、虚を突かれた気分です。毎週日曜の夜7時。その3分ぐらい前になるとザ・ピーナッツが「スターダスト」を歌い出す。二人の間にハナ肇が割り込む。ちょっと気障な嫌味を言う。ザ・ピーナッツが歌いながらハナ肇に肘鉄。ハナ肇があのフンガフンガみたいな面白い顔して、また来週。
 あの完璧なエンディングが、ゆっくりゆっくり空に昇っていくようです〉
〈青島幸男さんが亡くなった時も辛かった。ワタシは元都知事が亡くなったという風には考えません。クレージーの仲間にしてブレーンの青ちゃんが亡くなったのだと。その後、谷さんも亡くなりました。植木屋はとっくに逝った。ハナも谷も死んだのだ。悲しい童話の集結部の様です〉

 クレージーキャッツの面々がこの世を去っていった時期、それは昭和の巨星たちが次々とこの世を去っていった時でもある。例えば、我が国における官能小説の大家、団鬼六もそのひとり。

〈「昭和」「20世紀」の美学を形作った偉人達が、滑り込むようにどんどん鬼籍に入って行く光景をただ黙って見つめているような気分。
(中略)
 従って、というべきか、故人の急逝は、昭和の一角が完全に終わった事、日本に於ける官能という文化がとうとう21世紀を迎えた事を同時に意味しているとしか私には考えられない〉

 彼らのように、「昭和」、そして、「20世紀」を彩った巨星たちがこの世を去ることでようやく「21世紀」が始まると、菊地成孔は悲しみを胸に綴る。マイケル・ジャクソンの死も、まさにそのようなターニングポイントとなる出来事であった。

〈「言葉もない」という慣用表現がありますが、おそらく生まれて初めて、その状態の中におります。それでもこうして、キーパンチは出来るという事実に、彼が生きた時代。つまり、多くの消費者が皆キーパンチによって言葉を吐き出していなかった時代への追慕ばかりが駆け巡ります。ワタシは今、端的に申し上げて、泣いています。慟哭が止まりません。どうしたら止まるかも分りません。世界中の人々とともに、総ての宗教的な領域を超えて、共に喪に服そうと思います。21世紀が本当にやってきました〉

 以上紹介してきたのは、本書におさめられている追悼文のほんのひと握り。面識がある・ないを問わず、思い入れのある人物が亡くなるたびに追悼文を捧げ続け、遂にそれらを集めただけで一冊の本を上梓してしまった菊地成孔。そんな彼にとって「死」とはどのようなものなのか? それは本書に綴られた、以下の言葉に集約されている。

〈どなたがいつ、どんな風に亡くなっても、ワタシが思っている事は一つです。あの世が楽しく、面白く、苦しければ良い。この世と同じぐらいに〉
(新田 樹)