吉本興行株式会社HPより

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 今月16日に最高裁大法廷で憲法判断が示される「選択的夫婦別姓」の問題。反対派の「別姓にすると家族の一体感が失われる」という意見に対し、先日、イノッチこと井ノ原快彦が「まあ、(氏名が)同じでも、一体感がないときもあるからねえ」「他人同士でも一体感は生まれるから」と述べたことを本サイトで紹介したところ、賛同の声が多数寄せられた。しかし、今度はイノッチとは逆に、選択的夫婦別姓に猛反発する芸能人が現れた。その人物とは、例によって小籔千豊である。

 小籔が別姓に猛反発発言を行ったのは、12月1日放送の『ノンストップ!』(フジテレビ)でのこと。この日の特集テーマは「夫婦別姓」だったのだが、小籔は話を振られるや否や「まあ、ぼくはどっちでもエエよと。(声を強めて)そんなにイヤなんやったら!」と宣言。しかし、つづけて出てきた言葉は「どっちでもエエよ」どころか"別姓なんか許してたまるか!"というべきものだった。

「この何億年と日本がずっとしてきたことで、その人自身がイヤやということで、いままでの人たちを否定するがごとく変えたい、そこまでの熱あるんやったら、じゃあ変えたら? 好きにしぃって思うんですけど。じゃあ理由聞いたときに、『あー、なるほど、その理由ですか』っていうのに、僕いままで一度もあったことないですね。失礼ですけど、だいたい、しょーもない理由で。アホな芸人の言うには、ですけど」

 あからさまなケンカ腰でこうぶつと、今度は「さあ、(別姓賛成派の)理由聞かせてもらいましょ! それらしい理由が出るんでしょうね!」とけしかけた小籔。当然、そのあとアナウンサーが紹介する賛成理由にことごとく文句をつけはじめた。

 たとえば、別姓賛成のひとつ目の理由として挙げられたのは「自己のアイデンティティが守られる」という点。これには小籔と同じレギュラーコメンテーターのハイヒール・リンゴも「女子サイドにはわかる」と同意を示したが、小籔はこのように吠えた。

「自己のアイデンティティが守られる、その一個人のアイデンティティ守るために、いままで脈々とつづいた制度を変えるって、あとから入れてもうた草野球チーム入ったときに、球場Aでやってるとすると、"私、Aの球場遠いからBの球場にしてぇや"って、あとから入ってきたヤツが言うてるようなもんですやん!」

 さらに「カードの名字変更など膨大な事務手続きが省略」と説明されると、すかさず小籔は「えー、そんなん引っ越しのときも大変ですけどね。引っ越しせえへんねや、この人」と好戦的にボヤいた。

 そして、夫婦同姓によって発生する問題として「女姉妹だったり一人娘の女性が結婚後の姓を自分のものに変えてほしいと言うと、彼氏やその家族に拒否され、泣く泣く別れた」という例が挙げられると、「お父さんお母さん、彼氏、自分。この3つの調整もせんと制度変えるっていう考え、(そういう女性は)何やっても不幸せになると思いますよ! 人のせいばっかりですやん!」「駆け落ちしたらよろしいやん!」と猛然と批判した。

 つまり小籔は、自分の名字を変えたくないと考える女性に「日本の伝統たる制度を一国民のワガママで変えようとするな」「不便なことくらい我慢しろ」「別姓を主張するような女は不幸せになる」と言い放ったのだ。

 以前から本サイトでは小籔の保守思想から発せられる放言を紹介してきたが、いやはや、今回の発言はほとんど暴言だ。というより、あまりにバカバカしすぎてため息が出る。

 まず、小籔は夫婦同姓を「何億年と日本がずっとしてきたこと」「脈々とつづいた制度」と言うが、これが根本的に間違っている。

 元々、日本において国民全員が「氏」を名乗らなくてはならなくなったのは明治以降のこと。明治民法によって夫婦同姓が定められたのは明治31(1898)年で、"何億年"どころか、たった117年の歴史しかない(だいたい皇紀で数えても日本に何億年の歴史などないのだが)。

 だが実際、小籔のように「夫婦同姓は伝統」と言って別姓に反対する残念な人は多い。仮に小籔がたった117年の伝統を重んじるというのなら、その「伝統」が生まれた理由を知る必要があるだろう。

 そもそも夫婦同姓は、現代人が考える「夫婦の愛情を高めるため」「家族の絆を深めるため」などという理由から定められたわけではない。明治民法では戸主を絶対権力者に位置づける「家制度」が定められていたが、そこでは「氏」を「家」の名称としていたからだ。そのため夫婦も子どもも皆、同じ氏に統一していた。

 そして、この家制度の下で女性は圧倒的に地位が低く設定されていた。女性は男性の「家に入る」のが基本。妻は財産を夫に管理され、親権も与えられず、妻の不貞は罪に問われた。妻は戸主に絶対服従、夫の所有物のような存在だったのだ。

 しかし戦後、日本国憲法に改められた際、憲法第24条に「家族生活における個人の尊厳と両性の平等」が定められ、家制度は廃止された。立命館大学法科大学院教授の二宮周平氏の著書『家族と法 個人化と多様化の中で』(岩波新書)には、〈(家制度の廃止により)氏は家の名称ではなく、個人の呼称になり、もはや氏の異同は法的な効果を生まない〉と書かれている。つまり憲法においては、同姓は強制されていないのだ。

 だが、家制度が廃止されても、夫婦同姓は民法750条によって《夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する》と定められた。憲法に反すると考えられるこの750条が制定されたのは、保守勢の猛反対があったからだ。当時の保守主義者は憲法9条よりも家制度の廃止に強く反対していたとも言われるが、それを抑えるために民法で夫婦同姓を死守したのである。

 今度の大法廷でも、夫婦同姓を違憲だとする見解が示されるのではと見られているが、このように夫婦同姓とは、女性の尊厳が著しく貶められた古い価値観の上に成り立っているものだ。それを伝統だとでっちあげ、自分の姓でいたいという女性をワガママだと糾弾する小籔の主張は、女性に対する蔑視がありありと表れている。

 しかも、この民法750条によって女性差別の元凶ともいえる家制度の名残が残ってしまった結果、どうなったのか。恋愛結婚が増加し、結婚を個人の結びつきだと考える人が増えたいまでも、圧倒的に女性が男性の姓を名乗るのが一般的だし、「○○家××家 披露宴」と記されるなど結婚は旧来的な「家」同士の結びつきだと考えられつづけている。

 また、女性のなかには結婚によって男性の姓になることを「幸せ」などと感じるという人も多いが、これも結局は旧来的な制度によって押しつけられた価値観をいまなお「内面化」してしまっているにすぎない。さらに、夫の氏になることを「自然」と捉えることは、結果として「家」に縛られること=女性が家事や育児、介護を引き受けさせられるという性別役割分業を肯定することにつながっているといえる。

 こうしたことから、結婚しても自分の姓でいたいと考える女性がいても当然だと思うが、強調しておきたいのは、今回の選択的夫婦別姓はその名の通り"選択制"であるということだ。別にいままで通りでいいと思う人は同姓を選択できるし、別姓を選ぶ人がいたとしても同姓の人たちに何の迷惑もかからない。

 なのに、小籔のように「別姓なんぞ許すまじ」と息巻いている人(既報の通り、安倍首相はその急先鋒だ)は、ほんとうのところ何に反対しているのだろうか。その背景には、「女は男に従うべき」といった女性への差別意識が隠されているように思えてならないのだが......。
(田岡 尼)