――ご両親との関係は?

親の言うことは素直に聞く子どもでした。そもそも親のことは大好きだし、僕のためにお金をかけてくれていることも小さいころから分かってましたし。そういえば、母と出かけたときに一度、当時の彼女と鉢合わせしたことがあって(笑)。

――面白そうなシチュエーションですね(笑)。

彼女は学校帰りに買い物をしてたんですが、家に帰ると母に「放課後に制服のまま買い物に行くような女の子はダメです。別れなさい」と言われまして(苦笑)。

――親を取るか? 彼女を取るか?

その場では「わかりました。別れます」と言って、彼女に正直に事情を説明した上で、別れたことにして、こっそりと付き合ってました(笑)。



医学部を目指して受験するも…



――ここまででも、すでに十分に波瀾万丈ですね。

先日、ある演出家の方と食事をしたとき、役者に向いているヤツは「いじめられっ子」か「お調子者」と仰っていて、まさに自分だなって自信になりました(笑)。学生を演じるにしても、あらゆる立場の人間の気持ちが分かると思います。

――高校を卒業して、東京医科歯科大学(歯学部)に進んだ経緯は?

歯学部に在籍してますが、小5のときにHIVに関する本を読んで「医者になりたい!」と思って以来、ずっと医者志望だったんです。

――藤田さん自身の夢だったんですね?

そう言えば親が喜んでくれるという思いもあったんだと思います(苦笑)。現役で私立大学の医学部に合格したんですが、やはり私立だと国公立と比べると格段に高いんです。親は「大阪の家を売却するから行きなさい」と言ってくれたんですが正直、すごく悩みました…。

――18歳の青年にとっては重い決断ですね。

どうしようかと考えたとき、ずっと親が望むであろう道を歩んできた自分がいて…。ここで家を売ってお金を出してもらったら、この先もずっと、親が用意してくれるレールを進むことになるんだなと思って「1年浪人して、国公立の医学部を狙う」と伝えました。

――医学部に進むにせよ、医者になるにせよ、自分で行くべき道を選ぼうと。

はい。結局、浪人して国公立を狙ったんですが、前期で合格することができず…。そうなると後期はさらに難易度が上がってしまうんです。そこで、医師の道はあきらめて、医学部ではなく東京医科歯科大学の歯学部に進むことを決めました。

――医学部を断念するとき、挫折感はありましたか?

でも浪人した1年間、自分なりにやれることはやったという思いがあったんです。そういうとき、僕はわりと神様とか運命を信じてしまうんですよね。ここで医科歯科大の歯学部に受かったということは、神様が「ここに行け」と言ってるんだろうと。挫折感というよりも、それが運命だと受け入れるという感じでした。




――大学生活が始まり、それから少しして読者モデルとしての活動も始まったわけですね?

道で声を掛けられて、最初はサロンモデルを始めたんですが、そのうちに読モに誘われて、半年くらいで『Samurai ELO』(三栄書房刊)という雑誌の専属モデルになりました。

――大学に通い、歯医者の勉強をしながらモデルとしての活動を両立されていたんですね?

うちの大学は必修の科目が多いし、出席もすごく厳しかったんですが、友人にも協力してもらいながら活動していました。

――医者や歯医者を目指す学生が集う大学で浮くようなことはなかったんですか?

周りの友人は、僕がモデルになる前に知り合った人たちばかりだったので、彼らにとって僕は「普通の学生だけど、モデルで有名になったヤツ」という感じで、特別な存在じゃないんです。僕にとっても大学での友人は付き合いやすいし、いろいろと支えてもらった、本当にありがたい存在です。

――一方、大学とはまったく違う芸能界での経験や出会いも大きな糧になったのでは?

当初はずっとモデルをやるなんて考えもしてなくて、積極的にモデルの世界で友人を作ろうともしてなかったんです。また悪い癖が出て(笑)、「オレは、あくまでこちら(=大学)の世界の人間だから、こっちの人間としか付き合わない」って感じで…。

――ところが、読者モデルとして異例とも言えるほどの人気を集めることに…。

徐々にいろんなところに呼んでいただけるようになって、仕事の話もどんどん大きくなっていって…。




――現在、Twitterのフォロワーは25万人を超えてますが、どのように増えていったんですか?

読モ時代も徐々に増えてはいたんですが、2012年の秋に観月ありささんがMCをしていた『キャサリン三世』(フジテレビ系列)というバラエティ番組に出演したんです。見た目で男子を選ぶという企画で、僕は観月さんたちの前を歩いただけだったんですが(笑)、ひと晩でフォロワーは6千くらい増えました。

――ちなみに、よく使うアプリってありますか?

知り合いからすすめられた「POOL(プール)」という写真保存のアプリですかね。あとは「AWA Music」も使ってますが、定額で聴き放題ということで、ここまでサービスを拡大してしまって、これからこの事業はどうなっていくのかな?と興味も持ってますね。

オーディションに落選する日々



――ネット時代でもTVの力はすごいですね。

同じころにバラエティに立て続けに3本ほど出演させていただいたんですが、そこでバンッとフォロワー数が一気に増えましたね。

――俳優に挑戦しようと思ったきっかけは?

一度、しばらく仕事をお休みして、その後、久しぶりにイベントに出させていただいたときに、いろんな人がわざわざ見に来てくれて「待ってたよ!」と声を掛けてくださいました。僕のために掲げられたボードもあって、そのとき「応援してくれる人がいるなら続けていこう」と思ったんです。

――ファンの存在の大きさを感じたんですね。

一方で、ただモデルとして道を歩くだけで騒がれることに「自分の中身って何だ?空っぽじゃないのか?」とも考えていました。自分は歌も歌えないし、面白いことも言えない。じゃあ何ができるのか?と考えたとき、子どものころに児童劇団に入っていたこともあって、お芝居はできないだろうかと。

――そこから役者として具体的に活動を?

とはいえ、児童劇団での経験も小学校のときの一時期だけですし、どうやって役を作って演じたらいいのかわからない。最初のころはオーディションもまったく通らなかったんです。オーディション用の台本をいただいてもろくに覚えられず、会場で僕ひとりだけ台本を手に持って演じていたりして…。

――ほとんど素人が、放り込まれた感じですね。

それでも何とか、6月の舞台に出させていただくことが決まって、4月頃から稽古が始まったんですが、そこで鍛えられることで、自分が日に日に成長していくのを感じられました。マネージャーも「訓練だ!」とほぼ間を空けずに立て続けに舞台の仕事を入れてくれまして。

――ほぼ1か月ごとに稽古と公演を繰り返すハードスケジュールでしたね。

その時期から、オーディションでも役が獲れたり、最終まで残ることが多くなってきたんです。向き合い方も変わりました。最初のころは「どうせ獲れるわけない」という感覚でしたが、いまは「何をすべきか?」と考え、落ちたとしても次につなげるために何かを得ようという気持ちです。あと、落ちるのが「悔しい」と感じるようになりましたね。

――その役を「やりたい」という気持ちが強いからこそですね。

悔しくて、自分が落ちた作品をまともに見られないんです(笑)。勉強のためにも見なきゃと思うんですけど…。

――やはり負けず嫌いなんですね(笑)。ブログなどからも、いま、充実した毎日を送っていることがうかがえます。

以前は、「TVに出るぞ」とか漠然とした目標を持っていただけなんですけど、いまは「今回の舞台でこういう経験をして、こんな課題が見つかった」とか具体的にいろんなことが見えてきた気がします。すごく手応えを感じてますね。



――役者という仕事の楽しさはどんなところですか?

深いんですよね。正解があるわけではないですし。たったひとつのセリフを言うにも、そこには感情の動機が必要で、自分自身を見つめ直さないといけない。そういうところが好きですね。実は先日、自分で脚本を書いて、作品を撮ったんです。

――事務所の後輩の小南光司さんのバースデー企画ですね?

この一連の撮影がすごく楽しくて。まだ自分自身の演技を客観的に見ることはできないんですが、他人の演技をモニター越しに見ていて、それが素晴らしいと「キター!」って感じで思わずニヤッとしてしまいます(笑)。お芝居というものが好きでたまらないんです。