「スタジアムの話をしよう」山嵜一也×杉山茂樹(前編)

 イラク出身でイギリス国籍の建築家、ザハ・ハディド氏の案にいったんは決まりながら、白紙撤回された新国立競技場。巨額の建築費ばかりが注目されたが、問題はそれだけではなかった。2020年の東京五輪に必要なのはどんなスタジアムなのか。イギリスで12年間、建築設計に関わり、ロンドン五輪では馬術の会場を担当した山嵜一也氏と、スポーツライターとして世界各地のスタジアムを訪れてきた杉山茂樹氏が語り合った。

杉山:山嵜さんがイギリスから帰国したのはいつ頃ですか。

山嵜:2013年の1月です。

杉山:新国立競技場のコンペをやっていた時にはまだロンドンにいらしたんですね。

山嵜:そうですね。2012年のパラリンピックが9月に終わって、10月1日に勤務先に「日本に帰るので辞めます」と伝えました。ちょうどそのころに新国立競技場のコンペの話が出て、その勤務先はいちおうロンドンオリンピックの競技場に関わっていたので応募資格もある。「日本のナショナルスタジアムのコンペ、どうですか?」と聞いたんです。僕もちょうど帰るし、「この仕事が獲れたら僕を使えますよ」みたいな話をしたのですが、会社の上司はコンペ要項を読んで、「これは違う」と言ったんです。上司の意図としては、コンペで案が選ばれたとしても、その後のプロジェクトに関われるかどうか怪しい。建築家の責任としてそこを懸念したんだと思います。

 そしてザハ案に決まって、「ああ、やっぱりこういうのを選ぶんだ」と思いました。世界的な賞の受賞歴がコンペの応募資格であることと、東京五輪招致に向けて、そのメイン会場である国立競技場の役割を考えれば、著名建築家であるザハのような派手なデザインを選びたかったのは当初からある程度予測できていました。だから「これが僕の国の建築文化だよね」という諦めの気持ちもあった。しかし、東京五輪招致が決まる前、日本建築界の重鎮である槇文彦さんという建築家が問題提起をしたら、それにともない他の建築家も声を上げ始めた。本当はそれではいけない。言うべきところは言わなきゃいけないと、私自身、反省しました。

杉山:建築の世界の人が反対を言い出すのは、槇文彦さんが言ってからでしたね。マスコミが取り上げるのは建築費がかかりすぎるという話ばかりだし。じゃあ建築費が安かったらあれでよかったのか、という話もあるじゃないですか。メディアの反応も悪かったし、その前に、本当にみんな真剣に考えたのかというと、誰も考えてないようなところがある。だから責任のなすり付け合いみたいになってしまった。ああなった原因は、山嵜さんはどこにあると思われます?

山嵜:おおもとは、コンペの初期設定が間違っていたと思います。すなわち、間違った認識でも進めようと言った主催者、JSC(日本スポーツ振興センター)などの関係者に、建築や都市に対する思い、いわば建築リテラシーがなかったという話です。ただ、それは建築業界が反省しなきゃいけない話でもある。コンペの初期設定を作った人が悪いのだとしたら、じゃあ一般人でもある彼らに対して、建築業界はどれだけの説明をしてきたのかというと、やっぱりしてないだろうと感じます。

 大学などの専門教育機関としては建築家をたくさん養成したかもしれませんが、専門家以外の人に建築業界はアプローチしてきたか。建築や都市、街並みはあらゆる人に関わる話なのに、やはり日本にはその議論をする土壌が少ないと思う。結局、内向きの議論ばかりで、ザハ案についても業界の中でワーワー言っていたわけです。「彼女に作っていただけるなんて、こんなチャンスはない」みたいな意見もウェブで目にしました。

杉山:山嵜さんはザハ案をどう思いましたか。

山嵜:僕らの世代にとって彼女のデザインは、学生時代から慣れ親しんでいるので、目新しさはない。ただ確かに、五輪招致のために派手な建築デザインを著名な建築家に作ってもらうというやり方があるのは分かります。しかしそれをやるなら、きちんと敷地となる場所や、低成長経済である日本の社会背景などを精査してコンペの初期設定を考えるべきだし、オファーを出すべきだと思います。それなしにコンペを開催してしまった。だから最優秀案に選ばれながら白紙撤回されたザハさんは被害者とも言える。

杉山:建築の世界にはやっぱりヒエラルキーというのがあるんですね。

山嵜:ありますよ。だから槇さんが問題提起をしなければ、もしかしたら粛々と事が進んでいたかもしれません。

杉山:建築費の問題もあるのですが、僕なんかは立地や環境との兼ね合いに関心がありました。僕は国立に誰よりも行っているぐらい行っているし、それ以外にもこれまでいろいろなスタジアムを見てきましたが、総合的に見て国立競技場はすごくいいんですよ。何よりも立地がいい。街のど真ん中にあるスタジアムで、駅がものすごくあるじゃないですか。その気になれば新宿、渋谷まで歩ける。そういうのも含めると使用できる駅が7つぐらいあるんです。だからスポーツを見て、その後「じゃあ一杯飲みに行きますか」というようなことも可能で、横浜国際や埼玉のように、感激も感動も家に着く頃にはすっかり冷めているということがない。余韻をずっと楽しめるんです。

 もうひとつは、国立の周りは緑が多いじゃないですか。東京って、高層ビルの上から見ると、皇居とか明治神宮とか代々木公園とか、緑がすごく多いですよね。その緑の中にある感じをもっと出したほうがいいんじゃないかなという気持ちがありました。僕は建築のことはよくわからないのですが、埼玉スタジアムのようなところに建てるんだったら、周囲に何もないからモニュメント的なものにしてそれでみんなを引き寄せるというのもありだと思うんです。でも神宮はもう成熟した場所じゃないですか。周りをぶち壊してしまうのはどうなんですか、というのがすごくありました。

山嵜「競技場でいいものを作ればオリンピックが招致できる」というような考え方で終わったんですよね。「いいもの」という考え方の問題ですが、たぶん「著名建築家を雇った僕たち東京ってイケてない?」と、招致委員会の人たちは思っていたんです。そして、実際、世界的建築家であるザハさんの案を採用して、「こんなスタジアムで五輪を僕らは開催できますよ」とやり、東京五輪が招致できた。

 新国立競技場コンペの授賞式の際に僕はザハさんにインタビューをしました。噂には聞いていましたが、天才アーティストみたいな感じで、本当にこういう人がいるんだ、という対応で面白かった。ある意味、聞き手である私は試されていました。でも、それが彼女のやり方でもあるんです。自ら演じ、孤高の人としてブランド化している部分もあると思う。

 ロンドン五輪で彼女は競技場の設計を担当していたんです。最初はすごく大きなものを作ったんだけれども、オリンピックが終わったら市民プールになるんだから、そのサイズは要らないだろう、もうちょっと縮小してやろうと、組織委員会と話し合ったのだと思います。そういうことを東京ではやってなくて、ゼロかイチかになってしまった。彼女はギリギリまで「設計変更したら間に合わない」と発言していた。でも白紙撤回でゼロだと言ったら、「こういうのもできますよ」とか、プロモーションビデオで日本人の感情に訴えかけてきた。しかし、その段階は白紙撤回する前に話し合いをやってなきゃいけないのに、議論ができていなかったのではないでしょうか。

杉山:日本もできないし、ザハさんもできないという感じなんですね。

山嵜:たぶん彼女の中ではすごく余裕を持って怖い顔をしていたんだと思うんです。余裕を持ちながら演じているところがあった。そこは交渉だから戦いですよね。でも変なふうにありがたがっちゃっているから、それが全然うまくできてないという感じがしました。

杉山:結局、ロンドンのプールはどうなったんですか?

山嵜:縮小して、五輪期間中だけは仮設スタンドを付けるという案にしているんです。たぶん彼女にしてみれば忸怩(じくじ)たる思いのデザインになっていた。五輪期間中は完成形ではなく、仮説スタンドが付いた変なかたちになっていたんです。世界中が注目するオリンピックなのに、彼女が見せたいデザインではないものが見られていたわけです。そして大会が終わったら、それを取り外して彼女のオリジナルデザインになった。だけど、それを彼女は呑んでいるわけだから。

杉山:縮小案を呑んだわけですね。

山嵜:そういう前例があるのだから、話し合いの仕方はいくらでもあるはずなのに、たぶん全然できていなかった。結局、発注する側、JSCや組織委員会のほうに「五輪や競技場をこうしたい」という明確なビジョンがない。そのような五輪のビジョンがないと、これから他の競技施設でも似たような問題は出てくるような気がします。

杉山:「こういうものを作ってくれ」という意思を何も感じないですよね。それを誰一人全然打ち出せないから、受け身になっちゃうというところがある。

山嵜:今のところ、他の競技施設もお金の話に終始していますが、その前にどうしたいかというビジョンが開催国である私たち日本人に見えてこないし、ストーリーも届いてこない。

杉山:よくスポーツ文化ということを口ではみんな言いますが、スタジアムなんかその最たるものじゃないですか。

山嵜:そうです。先日、ボリス・ジョンソンというロンドン市長が東京に来たんです。今、イギリスからのプロモーションが盛んです。これから東京で五輪開催の仕事がいっぱい発生する。そこで前例としてロンドン五輪の成功があるから、英国政府が主導して様々な企業がアプローチしている。実際、これから東京もロンドンの力を借りるんだろうけれども、明確なビジョンがないと、新国立競技場で起きたのと同じ問題が起こると思います。
(つづく)

【profile】
山嵜一也(やまざきかずや)
1974年東京都生まれ。2001年単身渡英。「アライズ アンド モリソン アークテクツ」にて、ロンドン五輪(招致マスタープラン模型、レガシーマスタープラン、グリニッジ公園馬術競技場現場監理)やキングスクロス セントパンクラス地下鉄駅改修などに関わる。2013年1月帰国。山嵜一也建築設計事務所主宰。女子美術大学非常勤講師。

text by SPORTIVA