岐阜県美濃加茂市がアニメ「のうりん」とコラボして作成したポスターが注目を集めている。ポスターは美濃加茂市で行われる「みのかもまるっとスタンプラリー」イベントを告知したものだ。メインに配置されている画像は、ピンクのロングヘアーの女の子。襟もとが大きく開かれて露わになっている谷間、巨乳、ピンクに染まる胸元……頬は紅潮して、眉根はそっと寄せられている。
このポスターは11月上旬に公開され、駅前に掲出されていた。その告知ツイートが11月下旬に入って拡散され、「公的なポスターとしては不適切」「女性に対するセクハラでは」といった批判が寄せられた。


私自身、最初に見たときの感想は、「うわっ、さすがにちょっとエロすぎる……ほかに画像はなかったのか!? ゾーニングのことを考えてほしい」。
「のうりん」は美濃加茂の農林高校を舞台にした作品で、下ネタやギャグが多いが農業部分はしっかり取材をして描かれている。原作は挿絵やタイポグラフィを活かした遊びも多く、そういう面から見てもおもしろい。なのに、こんなにおっぱいを強調されたら、まるで単なるエロアニメみたいに見えてしまうではないか……。
そして今回メインに扱われた女の子・良田胡蝶は、「のうりん」のメインキャラクターではあるが、いちばんメインの女子キャラクター(いわば「作品を象徴するヒロイン」)ではない。アニメ公式サイトの「登場人物」ページでも、4番目の紹介だ。
アニメのメインビジュアルは、美濃加茂の山をバックに、メイン登場人物5人が配置されたもの。良田胡蝶の胸は「巨乳キャラ」なので大きいが、今回ほどの煽情さを感じなかった。こっちのイラストを使えばいいのに、なぜあえて巨乳美少女のイラストを使ったのだろう……。

しかし調べていくと、このポスターには、良田胡蝶のイラストを使う必然性があった。それがこうしていわゆる「炎上」してしまった不幸な事故の経緯について、本記事は述べていく。

批判派の意見、擁護派の意見


経緯について詳しく述べる前に、ポスター批判派の意見と、擁護派の主な意見を紹介しておく。

【批判派】
・胸を強調する煽情的に見えるイラストを、非アニメファンや幅広い年代の人の目に入るようなところに掲出するのがよくない(ゾーニング必要論)
・町おこしのイラストとして不適切なのではないか(町おこしにそぐわない論)
・まるでエロアニメみたいで不快感がある(エロ不快論)
・アニメ絵に不快感がある(アニメ絵不快論)
・胸を強調するイラストは、女性に対するセクハラや差別にあたる(セクハラ・セクシズム論)
・公的な金を使ってこのような煽情的に見えるポスターを作るべきではない(公的不適切論)
・こういった表現を好んだり擁護する「オタク」が気持ち悪い(「オタク」不快論)

【擁護派】
・今回のコラボポスターは作品ファンに向けたものであるから、ファンを向いたポスターであるべき(需要層はファン論)
・「のうりん」と美濃加茂市のコラボは経済効果の面から見て成功している(コラボ成功論)
・「のうりん」と美濃加茂市は、原作者を一日観光案内所長として招くなど、良好な関係を築いている(関係良好論)
・批判をする権利は実際にポスターを目にする美濃加茂市の住民にしかない(批判権利論)
・コラボで以前からこの画像は使われているのになぜこのポスターだけが問題になっているのか(なぜ今更論)
・良田胡蝶は「巨乳キャラ」なので巨乳なのは当たり前、巨乳は公の場に出てはいけないのか(巨乳逆差別論)
・こういった表現を集中して批判するのは表現規制につながる(表現規制論)
・こういった表現を見つけると批判する「フェミ」が気持ち悪い(「フェミ」不快論)

これらをふまえた上で、経緯について見ていこう。

「のうりん」と美濃加茂市、関係良好なコラボの歴史


美濃加茂市と「のうりん」のコラボが始まったのは、アニメ放映を目前に控えた2013年から。以後、定期的にコラボイベントを行っている。また、原作者の白鳥士郎も定期的に美濃加茂市に訪れている。

【2013年】
・アニメ「のうりん」第1話最速上映会、白鳥士郎緊急サイン会&トークショー
・秋葉原で行われた「アニメのうりん豊作祈願祭」に出展
・観光案内所に「のうりん」コーナー設置

【2014年】
・「のうりん」痛軽トラ登場
・「のうりん×献血」献血キャンペーン第1弾(記念品は限定ポスター&しおり)
・「G(ギフ)割総選挙キックオフイベント」(岐阜県の42市町村が地域のアピールポイントを発表するイベント)で「のうりん」についてアピール
・「のうりん聖地マップ」作成&配布
・市内を巡る「みのかもまるっとスタンプラリー」第1弾
・「みのかもまるっとスタンプラリー」第2弾
・「のうりん」とFC岐阜コラボイベント
・「のうりん×献血」献血キャンペーン第2弾(記念品は描き下ろしポスター)

【2015年】
・「みのかもまるっとスタンプラリー」第3弾
・アンテナショップで「のうりんレアグッズ展」開催
・「のうりん」作者・白鳥士郎が「一日みのかも観光案内所長」に
・「のうりん」と聖地巡礼アプリ「にじたび」コラボ記念キャンペーン実施
・「のうりん×にじたび」ラッピングバス登場
・「みのかもまるっとスタンプラリー」第4弾

アニメは2014年1月に放映。終了後もたびたびコラボをしているところから見ても、アニメとコラボした町おこしとしては成功、関係もうまくいっている。美濃加茂市職員の1人は、2015年8月に取材を受け「自治体としてはいい関係をつづけていきたいですし、原作にもいい影響を及ぼせるといいですね。市長も理解があり、Facebookで『のうりん』について発信していて、協力関係が構築できていると思います」と発言している。

なぜ良田胡蝶がメインに使われたのか


今回、ポスターが批判を受けたことに対して、美濃加茂市の観光協会の担当者は「困惑」していることが、「withnews」や「ねとらぼ」の取材記事で述べられている。画像の使用意図は「制作会社からいただいたデータを順番に使っている」とのことだ。
上に紹介した「のうりん」コラボでは、主に4種類の画像が使用されている。アニメの公式サイトでもトップに使われているメインビジュアル、ヒロイン木下林檎・中沢農・良田胡蝶の各ソロイラストだ(※FC岐阜とのコラボや、献血キャンペーンは、その他の描き下ろし画像が用いられている)。今回話題になった良田胡蝶のイラストは、そのソロイラストである。
基本的にはメインビジュアルが使用されることが多いが、特典グッズや同趣旨のイベントではソロイラストを使用することがある。今回以前にもこの画像は使われていた。

・「のうりん×献血」献血キャンペーン第1弾(記念品は限定ポスター&しおり)
→記念品のしおりグッズに使用。ヒロイン3人がそれぞれあしらわれたしおり。
・「のうりん×にじたび」ラッピングバス登場
→ヒロイン3人のイラストを並べて使用。全身ではなくバストアップ部分をトリミングしてデザインしている。
・「みのかもまるっとスタンプラリー」第4弾
→今回話題になったイベントのポスター。良田胡蝶を単独で使用。

なぜ「みのかもまるっとスタンプラリー」第4弾のポスターが、良田胡蝶を単独で使用したものだったのか。それにも理由がある。今回のスタンプラリーは4回目。第1弾ではメインビジュアル、第2弾は中沢農単独、第3弾は木下林檎単独。それなら第4弾は良田胡蝶単独で……となるのは、自然ななりゆきだ。
美濃加茂市は「煽情的な巨乳の女の子」としてではなく、「のうりんのメインキャラクターのひとり良田胡蝶」としてこのポスターを制作している。そのこと自体を批判するのには無理がある。
良田胡蝶は「巨乳キャラ」である。なので、「巨乳キャラ」の記号が散りばめられたキャラクターデザインがされている。巨乳キャラは、受け取り手の問題として煽情的に見えてしまう(そういった感情をかきたてる記号を持っている)。そこを問題視してしまうと、「巨乳が公的な場に出されることは不適切なのか?」というさらにややこしい話になってしまう。

「○○はOK、××はNG」のダブスタに反省


「なにをエロいと思うか」は人によって大きく違う。

のうりんのポスターを見た時、瞬間的に「これはエロい、ちょっとまずいのでは」と思ってしまった。その一方で、大洗の町おこしに成功しているアニメ「ガールズ&パンツァー」の「海水浴&海上花火イベント」告知用のポスターは、女の子たちが水着姿で戯れているものだが、「これはエロくない、OKなんじゃないか」と思った。
しかしそれをツイッターで呟いたところ、「それはおかしいんじゃないか?」と意見をもらった。露出という観点で見れば「ガールズ&パンツァー」のほうがはるかに肌面積が大きい。「海水浴&海上花火イベントだから、水着なのはあたりまえ」と思ったけれど、だったら水着姿ではなく浴衣姿にしたほうがより露出が少ない。確かに、「のうりん」がアウトで「ガールズ&パンツァー」はセーフと感じるのは、恣意的な区別であり、ダブルスタンダードだ。
反省した。


「のうりん」も「ガールズ&パンツァー」も、どちらもセーフと思う人もいるだろうし、どちらもアウトと思う人もいる。「のうりん」のほうがセーフだと感じる人もいるだろう。
エロの基準はあいまいで難しいし、はっきりと線引きできるものでもない。そして、「エロすぎる」「これは全然エロくない」と瞬間的に思う気持ちを変えることは難しい。

「のうりん」のポスターの一件は、避けようとするなら「2013年までさかのぼって良田胡蝶の画像をちょっと変更してもらう」という方法しかなかっただろう。
今回は、駅前からのポスター自主撤去という、「のうりん」ファンやコラボに尽力していたスタッフにとって残念な形になってしまった。いつかまた違うどこかで起こるだろう「事故」は、どうすれば避けられるのか?
ひとつだけ言えるのは、批判派も擁護派も、自分の気持ちの表明と対象への要求を切り離して考えなければいけないということだ。「私はこれを不快に思う/思わない、だからなくなるべき/なくならないべきだ」はどちらの立場でも正しくない。表明だけにとどめておく理性を、心のどこかに残しておきたい。

(青柳美帆子)