『いつまでも若いと思うなよ (新潮新書)』橋本 治 新潮社

写真拡大

 生きている限り、誰しも逃れることのできない"老い"。白髪を見つけたとき、一晩中起きていることが難しくなってきたとき、気ばかりが急くものの身体が思うようについていかないときなど、日常生活を送っているなかで、ふいに"老い"を感じる瞬間は訪れます。

 小説・評論・エッセイ・古典の現代語訳と、多彩な執筆活動を繰り広げる作家・橋本治さんは、自著『いつまでも若いと思うなよ』の中で、次のような瞬間に"老い"を感じたと綴っています。

「五十歳を過ぎたある日、朝起きて鏡の前で歯を磨いていて、自分の顔色があまりよくないことに気がついた。長い仕事をずーっとやり続けていたから、『あ、疲れてるんだ』と思った。『疲れている』ということでさえ、人間はあまり気がつかないが、その時の私は気がついた。それで『あんまり睡眠時間を削らないで、寝るようにしよう』と思った。『疲れている』と気がついた時の私の対処法は『まず寝る』」ので、その日はちゃんと眠った。その日もその次の日もちゃんと眠ったはずなのだが、三日たっても顔から『疲れ』の色が消えていない。『あれ?』と思って、しばらくして気がついた。『これは疲れじゃないよ、老いだよ』と」

 治ったり回復することなく、これからは"このまま"なのだということ。それに気がついたとき、老いを認識したのだといいます。

 本書では、65歳を超えた橋本さんが、借金を背にひたすら仕事に邁進した若き日から、数万人に1人という難病に見舞われた現在まで、自らの人生を振り返りながら"老い"とはどういうことなのか、そして今現在どのように向き合っていこうと考えているのかが語られていきます。

 口では年を取ったと言いつつも、実際に老いを受け入れ、付き合っていくことはなかなか難しいもの。橋本さんは、誰しも自分の老いに対してはアマチュアであり、幾つになっても老いはよく分からないものなのではないかといいます。

 なぜなら老いは、年を"取った"といって完結するものではなく、死という最終のエンドマークに向かって年を"取り続けていく"こと。さらに、老いとは各人の人生の結果が現れる最終段階であるため、人の生き方がそれぞれ違うように、老い現れ方もまた一人一人オリジナル。

 それゆえ、本書でも「老いながら『自分の老い』を発見し続けるのですから、誰もが『自分の老い』の前ではアマチュア」であり、「分かったようなことを言っても、自分の老いの形はそんなによく分からない」のだと指摘します。

 自らの"老い"とどのように向き合っていけばよいのか。他人事だと言って目を背けたり、あるいは必死に抵抗するのではなく、分からないながらも、自らの老いを受け入れたときに見えてくるものがあるのかもしれません。