『新・オタク経済』(原田曜平/朝日新聞出版)

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 ダンロップ、チェックシャツ、バンダナ、パンパンに詰まったリュック。アキバでこうした典型的オタクスタイルを見なくなってどれくらいになるのだろう。最近は代わりにこぎれいな格好をした大学生風の若者がアニメショップに出入りしている。

 ファッションばかりでない。コミュニケーションも消費傾向も、かつて「アキバ系」と揶揄された時代からオタクたちの姿は大きく変わってきている。この変化を説明するのが『新・オタク経済』(原田曜平/朝日新聞出版)だ。

〈あまりにオタク然とした人を見かけなくなっており、そしてオタク一人あたりの消費金額が減ってきているのに、オタク市場全体は拡大している。つまり今時のオタクは明らかに以前のオタクから変貌を遂げているわけですが、彼らの実態とこの謎を解き明かすのが本書の目的です〉

 著者の原田氏は「さとり世代」、「マイルドヤンキー」、「女子力男子」などと最近の若者をカテゴライズする造語をつぎつぎ広めてきた人物。今回の本でのキーワードは「リア充オタク」という語義矛盾のように聞こえる概念である。

「リア充オタク」とはその名のとおり、社交性が高く交友関係・恋愛関係も充実しているが、アニメ、アイドル、ゲーム等の趣味をもつ若者のこと。彼らは一般的なリア充と同じように服にも気を遣い、ダンスサークルやフェスなどいかにもリア充的な活動をする。ステレオタイプのオタク像(インドア・暗い・コミュ障等...)からはかけ離れた存在。だが、自分が「オタク」だと公言してはばからないのだ。

〈なぜ、自分をオタクだと言いたがる若者が増えているのか。それは、「オタク」というパーソナリティ属性を、自分を特徴付けるもの(キャラ)として利用し、対人コミュニケーションツールにできるようになっているからです〉

 その存在が知名度を上げるにつれ「オタク」はたんなる「キャラ」になってしまった。このことに関連して著者は「オタクのライト化」を指摘する。たとえば、アニオタを自称する若者に好きなアニメを聞いてみるとメジャーな作品をせいぜい2、3本しか観ていないということが普通にある。そんな風に「オタクという言葉の意味自体が、以前と比べるとかなり軽くなってきている」という。

 また「オタクのライト化」の進行は消費傾向にも表れている。2004年に試算されたオタク一人あたりの消費額は10万円。それが2013年には約2万5000円という数字が出ている。つまりオタクの個人消費は10年で4分の1に。しかしオタク市場全体の金額をみると、2004年に2600億円だったのが、2013年には1兆5億円にまで膨らんでおり、10年間で4倍近くになっているのだ。

 一人あたりの消費額は減っているにもかかわらずオタク市場全体の規模はますます拡大している――これが意味するのはマニアックに金をつぎ込むコアなオタク層が減って、まさにライトな、あまり金を使わないオタクの数が増えてきているということだ。さらに著者の私見では、オタク市場1兆5億円という数値も実際にはもっと大きいのだという。

〈オタクジャンルの広さ、オタクを自称・他称する若者の多さを考えるとき、オタク市場は、おそらく3兆円程度はあるのではないかと見ています〉

 さて、その是非はさておきオタクが変わってきているのは実感レベルで誰もが感じていることだろう。消費行動からオタクの変遷を分析する著者は、従来型のオタクからリア充オタクの間に「知識から態度へ」というパラダイム・シフトを見出す。

 かつてのオタクは知識を増やすことで自分の好きなものへの愛を表現していた。そのために雑誌を買い、ビデオソフトを買い、設定資料集を買い集めた。膨大な時間と金を投資してこそオタクを名乗ることができたわけで、そこにはある種の選民思想があったといえるのだが、ネットが普及し、よって無料で簡単に情報を得ることができるようになって、そうした優位性は失われてしまった。それが現在の20代後半から30歳前後にあたるオタク第三世代までの状況である。

 では、その次の第四世代に該当する「リア充オタク」は対象への愛をどのように表現するのだろうか。

 そのひとつが「無限回収」だ。これはたとえば自分の好きなキャラやアイドルに一点集中して、同じ商品を何十点も買いまくる行為をいう。グッズを販売する側も「無限回収」をあてこんで単価の安い缶バッジなどの商品を数多く提供しているそうだ。

 さらに「リア充オタク」が従来のオタクと大きく違うのは「オタク」を周囲にアピールするようになったことだと著者はいう。つまりオタクとしての「態度」は対象そのものだけでなく他人にも向いているわけだ。

〈それを普段持ち歩くものに装着するのも大事な態度表明。自分の抱く愛を他人に見えるように「可視化」してはじめて、愛が完成するのです。かつてのオタクが自分のオタク性を隠し、一目を忍んでいたのとは隔世の感があるのがお分かりいただけるでしょう〉

 たしかにショルダーバッグに刀剣男士の缶バッジを大量につけた若い女性オタクを街で頻繁にみかけるようになったが、そういう理由だったのか......。

 ちなみに「リア充オタク」が自分のオタク性をアピールするのはオタク同士の間だけではないらしい。むしろそうした趣味をもたない一般人との交流でこそ威力を発揮する。先に述べたように「リア充オタク」はオタク属性をコミュニケーションツールとして利用するが、いまや市民権を得た「オタク」は一般人にとって非常に「わかりやすいキャラ」であり、そう振る舞うことで円滑に相互のコミュニケーションがはかれるということのようだ。

 しかし、読み進めているうちに疑問に感じ始めたのだが、そもそも、これを「オタク」の新しいトレンドと考えていいのだろうか。

 たとえば、「リア充オタク」は著者の観察によれば「ガチオタク」と「エセオタク」のふたつに分類されるという。「ガチ」なのはウィキペディアや海外動画サイトの違法視聴などで情報を得て一般人がオタクになったケース。「エセ」は本来オタクコンテンツにほとんど興味がないのにオタクキャラを便利に使いたいがためにオタクを自称する。つまり「昔からマンガが好きで、かなりマニアックなマンガも読みます。とくに好きなのは『ワンピース』です!」というような人らしい。著者によれば「ガチ」と「エセ」の線引は「一定水準以上のオタク知識・経験」があることらしいが、ウィキペディアで「ガチ」って......それはもはや「オタク」ではなく「一般人」だろう。

 また、ひとりひとりのオタクが金を使わなくなったというような話も、2004年か2013年の間にはリーマンショックによる全体的な経済事情の悪化もあり、本書であつかう「リア充オタク」に該当する10代後半から20代前半の若者が金を持っていないのは当然ではないか、という気もする。

 まあ、こういう言葉はもともと、広告屋が企業にもっともらしいプレゼンンテーションをするために生み出されたマーケティング用語なわけで、そこにはかなり無理矢理な後付け解釈が入り込んでいるものだ。実際、著書の作り出した「さとり世代」「マイルドヤンキー」も、今となっては存在していたかどうかさえ怪しくなっている。

 本書では他にも現代若者オタクをマトリックス図で細かく分類しており、さらにそれぞれのタイプ別に「いま求められる商品とサービス」を提案している。中には、「"ちゃんとおしゃれな"オタク向けアパレル」や「オタク向け「相席屋」」など、「3兆円市場」で一発儲けたいビジネスパーソンからすると「なるほど」と思いそうなものも多い。

 しかし、一方で、マーケティング屋がロジックで捕捉できるほど、今の若者の消費傾向はわかりやすいものではないような気もするが......。
(松本 滋)