『隊務スリップ 1巻』(小学館)

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 核テロにより東京は壊滅し首都は熱海に移転。憲法9条はなくなり、日本は多国籍軍の一員として、アフリカにあるテロ組織国家と交戦中。そして政府内では秘密裏に徴兵制の復活が計画されている......。

 国民の意見を無視したプロセスでの安保法案可決、そして、先日発生したISによるパリ同時多発テロ。昨今の社会状況を鑑みるとあながち絵空事とも思えない、こんな世界を描いた漫画が話題を呼んでいる。

 その作品の名は『隊務スリップ』。「ビッグコミック」(小学館)にて連載中で、現在4巻まで単行本が発売されている。作者は『静かなるドン』(実業之日本社)でおなじみの、新田たつおだ。軍事国家への道を再び歩み始めようとする日本の姿を、シリアスなストーリーのなかに新田たつおらしいギャグを散りばめながら描いている。

 物語の核となるのは、倒産寸前の饅頭屋に勤める社員たち。彼らが社命により軍隊に出向させられるところからストーリーは始まる。前述の通り、作品上の世界では「集団的袋叩き権」によりアフリカのテロリスト国家と日本を含む多国籍軍が交戦中。主人公・青乃盾たちは、徴兵制復活に先駆けてのサンプル部隊として極秘に派兵されていくのであった。

 主人公らサンプル部隊のなかには、饅頭屋社員の他にも大手電気メーカーの窓際社員や派遣社員なども多く含まれており、職を失うわけにはいかない人々が次々と動員されていた。そこには余剰人員問題を解消したい企業側の企みがあった。徴兵制をめぐる大企業役員と軍部との会談ではこんなセリフが描かれている。

〈できれば大佐、徴兵制が復活次第、早急に我が社の余っている社員を軍で引き受けて頂きたいのですが...2千人ほど...〉
〈戦場へ行ってもらいまひょ! 昔は学生まで動員された学徒出陣があったぐらいですから〉
〈現代はサラリーマン出陣ですか。まあ、ホワイトカラーの矜持として、ネクタイは軍服の上からも締めてるんでしょうな〉

 これも経済的徴兵制のひとつのかたちなのであろうか......。しかし、この話、先日ついに非正規雇用比率が4割台に乗ってしまった現状と重ね合わせると、単なる絵空事のギャグとして看過できない設定である。

 そう。この作品には、作者本人はギャグのつもりで描いた大げさな設定が図らずも現実とリンクしてしまうケースが頻出するのだ。

 例えば、前述の通り『隊務スリップ』の世界では9条がなくなっているのだが、それだけにとどまらず、この世界では「特別高圧警察」が暗躍し、平和を訴える者たちを思想犯・政治犯として投獄している。この話もまた、単なるフィクションとして笑える話ではなくなっている。

 先日当サイトでは、音楽評論家・ラジオDJとして知られるピーター・バラカン氏が「憲法9条のTシャツ」を着ているだけで警官から呼び止められたという話をご紹介したが、こういった事例を見ていくと、現実の世界がどんどん『隊務スリップ』に近づいていることを実感せざるを得ない。

 そもそも、この『隊務スリップ』という作品の核になっている「憲法9条がなくなった世界」という設定自体、連載開始当初は「ギャグ設定」のひとつとして考えられたものだったという。「Journalism」(朝日新聞出版)15年10月号にて、新田はこう話す。

〈2013年暮れに連載を始めた時は、本当に「突拍子もない作品」を描いているつもりだったのです。
 いくら総理が国防軍だなんだのと言っても、徴兵制なんて現実離れした冗談だと思っていました。憲法を変えるには国民の抵抗がありすぎて、あまりにもハードルが高いですからね。
 ところが現実はご覧の通り、憲法を変えられないなら解釈を変えればいいと言い出した。
 現政権の、この突拍子もない発想には驚かされます。徴兵制も一概に冗談とも言えなくなってきた感があります〉

 昼は下着会社のデザイナー、夜は広域暴力団の総長(『静かなるドン』主人公の設定)といった、突拍子もないストーリーに定評のある人気漫画家すら驚かせる安倍政権の突拍子もない発想。正直笑いごとではない。

 実は、新田は20年にわたる長期連載『静かなるドン』を完結させた後、そのまま漫画家引退を考えていたという。しかし、そこでもう一度ペンを握らせるきっかけとなったのは、安倍晋三のトンデモ発言であったという。

〈『隊務スリップ』を描くきっかけは、さかのぼれば2012年、安倍晋三総理(当時・自民党総裁)の「憲法を改正して自衛隊を国防軍に」という発言でした。
「もし捕虜になった時、軍人ならばジュネーブ条約で人道的待遇を受けられる」というのが理由ということでしたが、それを聞いた時に「ん?」とひっかかるものがあったんです
 待てよ、捕虜になるということは、つまり他国に行って戦うということではないか。それは日本の国を守るためではなくて、アメリカのいいなりになって一緒に戦う、ということではないのか。日本はまだアメリカに占領されているんじゃないのか!?
 最初に感じたその憤り、そして実際に国防軍ができたら、いずれは徴兵制も?という発想、さらには現在の若者たちが徴兵されたら、一体どういうことになるのか?という漫画家としての興味、それらが作品の発想につながりました〉(前掲書より)

 ストーリーは現在、激戦が繰り広げられるアフリカに派兵され、多くの仲間が殺されているなか、それでも、人を殺めずに、戦うことなく「世界を変える」ことができないかどうかを、「超人的能力」に目覚めた主人公が必死に模索する展開となっている。その方法が何かはまだ明らかになっていないが、そこに作品を通して新田が伝えたいメッセージがこめられているのは間違いないだろう。

 最後に、前出の「Journalism」から、現実世界の我々にもできる「世界を変える」方法について新田が語った言葉を引いて本稿を閉じたい。

〈昨年末の衆院選は、投票率が戦後最低の52.66%だったということです。僕は投票に行きましたが、正直、棄権する人の気持ちはわかります。「誰が総理になっても一緒だ。どうせ世の中は変わらない。受け皿となる投票先もないし」
 僕も昔はそう思っていました。ところが昨年末の選挙後から世の中は大きく変わってしまいました。誰が総理になるかによって、こんなにも違いが出るとよくわかりました。
 最近はまた、逆の意味でも世の中が変わりつつありますね。一部の若者たちや、戦争体験者の方々など、声を上げる人々が増えています。
(中略)
 僕は次の選挙にも必ず行きます。受け皿がないからなどと棄権する必要はありません。自分が投票した政党に政権を取ってもらいたいわけではなく、ひとつの政権が暴走しないよう、国会の場で釘を刺す役割をしてくれればいいのです。それもしっかりとした大きな釘を〉

『隊務スリップ』の世界を現実のものとしないために、我々にできることはまだまだ残されている。
(井川健二)