『ラオスにいったい何があるというんですか? 紀行文集』村上 春樹 文藝春秋

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 アメリカ・ボストン、ギリシャのスペッツェス島やミコノス島、イタリア・ローマとトスカナ地方......といった、かつて住んでいた場所、そしてアイスランドやラオスといったまだ足を踏み入れたことのない場所をめぐりながら、村上春樹さんがさまざまな思索を繰り広げる、紀行文集『ラオスにいったい何があるというんですか?』。

 たとえば、村上さんが1993年から95年にかけて過ごしたという、ボストン近郊。そこでの日々のなかで特に印象深い場所だというのは、毎日のようにジョギングしていた"チャールズ河沿いの道路"。村上さんのみならず、ボストンに暮らす人々は、いわば河をめぐる生活を送っているといっても過言ではないほど、チャールズ河のほとりにやって来ては思い思いのひとときを送ることが、日常生活になくてはならないものとなっているようです。

「僕は思うのだけれど、たくさんの水を日常的に目にするというのは、人間にとってあるいは大事な意味を持つ行為なのではないだろうか。(中略)僕はしばらくのあいだ水を見ないでいると、自分が何かをちょっとずつ失い続けているような気持ちになってくる」(本書より)

 日々の水面の微妙な変化、色や波のかたち、流れの速さ。河の織りなす繊細な表情の変化から、季節の移ろいに目を向ける村上さん。文章の節々からは、村上さんのものごとに対する視点の持ち方、いうなれば世界の見方といったものが垣間見えてきます。

 ものごとをどのように"見る"のか。ラオスのルアンプラバンで数多くの寺院をめぐっているうち、村上さんは「普段(日本で暮らしているとき)僕らはあまりきちんとものを見てはいなかったんだな」(本書より)ということに、ふと気がついたといいます。日々の忙しい生活に追われ、見る必要性に迫られてものを見る毎日。ひとつのものをじっくりと眺めることもなく、受動的にただ目で追ってばかりの日々。

しかしウアンプラバンでは、自分が見たいものを自分でみつけ、時間をかけて眺め、観察し、想像力を働かせるという自発的な姿勢が必要となってくるのだそう。そして、そのような姿勢でものごとを"見る"うち、新たに見えてくるものが多々あったのだといいます。

さらに村上さんは、こうして"見た"風景からは、匂い、音、肌触り、そのときの心の震えまでも思い出すことができ、「それらの風景はそこにしかなかったものとして、僕の中に立体として今も残っているし、これから先もけっこう鮮やかに残り続けるだろう」(本書より)といいます。

世界各地で村上さんは何を"見た"のか。その足跡を文章にて辿ってみてはいかがでしょうか。