現代サッカーのトップ下に求められるのは、プレーのスピードだ。その意味で言えば、本田をトップ下で起用したザックジャパンは前時代的だったとも言える。 写真:小倉直樹(サッカーダイジェスト写真部)

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 ゆったりとしたリズムでボールを持ち、タメを作る。そして、動き出した味方へパス。たしかに、本田圭佑は、ひとりだけリズムが異なる。特に、球離れの早い日本代表でプレーすると、その異質ぶりが際立つ。

 本田の“重さ”は、1対1で相手を背負うボールキープなど、対人パワーに優れる反面、スピードの変化やターンといった俊敏性に欠ける。プレーが遅くなりがちだ。

 彼のようなタイプを司令塔として、トップ下周辺に置くシステムは、現代サッカーではあまり見られない。すでに前世紀の遺物となった。

 マンツーマンで対処された時代ならいざ知らず、現代サッカーのようにゾーンディフェンスで、スペースがコンパクトに縮められると、わずかなプレーの遅れで、あっという間に複数人に囲まれてしまう。そうなったら、ひとりの相手を背負うボールキープなど、なんの意味もない。

 ここで重要になるのは、1対1ではなく、1対多の能力。小さなスペースで、テンポ良くプレーし、囲まれる前にボールを動かすこと。バルセロナのアンドレス・イニエスタ、バイエルン・ミュンヘンのチアゴ・アルカンタラ、マンチェスター・シティのダビド・シルバ。彼らのように“軽さ”のある選手は、ボールを収めてさばくテンポが速い。

 ポゼッションだけでなく、縦に速いカウンターを繰り出す際にも、このテンポの早さで縦に運ぶことが重要になる。もちろん、ドルトムントの香川真司も、このタイプだ。

 あるいは、バイエルン・ミュンヘンのトーマス・ミュラー、マンチェスター・ユナイテッドのウェイン・ルーニーのように、FWタイプのセカンドアタッカーを、トップ下周辺に置くケースも多い。

 いずれにせよ、このスペースで重要視されるのは攻撃のスピードであり、そういう意味では、本田をトップ下に置いたザックジャパンのシステムは、現代サッカーには珍しい、レトロな佇まいだったとも言える。
 しかし、そのリズムの遅さをもって、本田不要論を唱えるのは、あまりにも短絡的だ。
 
 古いイメージの“司令塔”は、トップ下から様々なポジションに移動し、新しいサッカーの創造に寄与してきた。
 
 たとえば、その移動先のひとつは、ボランチだ。
 
 シャビ・エルナンデス、アンドレア・ピルロ、あるいはレアル・マドリードのトニ・クロースらは、ポジションを後ろに下げ、プレッシャーを避けて、より低い位置からゲームを組み立てるようになった。
 
 自分のやりたいプレーだけでなく、味方や敵との関係でプレーを選択する、ゲームビジョンを備えた本田も、彼らのような“ディープ・プレーメーカー”の素質がある。だが、本人はその選択を拒んだ。
 
 ニコ生で放送中のサッカー情報番組『TUESDAY FOOTBALL』で、解説の秋田豊氏が語ったところによると、秋田氏も本田にボランチ転向を勧めたが、本人は10代の頃に一度もボランチでやったことがなく、そのポジションでプレーするイメージが掴めないらしい。30歳を迎えるこの時期に、また一からやり直すリスクは、受け入れられないと。
 
 もっともな話だ。だからこそ、彼自身が経営するサッカースクールでは、若い選手に様々なポジションを経験してもらいたいと、考えているそうだ。
 
 そうした理由もあり、本田の新しい移動先は、右サイドとなった。
 
 これも司令塔の移動先としては、ボランチと並び、ポピュラーな選択肢と言える。
 
 2000年代前半、デル・ボスケが指揮したレアル・マドリードでは、ジネディーヌ・ジダンが、中央から左サイドへポジションを移した。2006年に発足したオシムジャパン、その流れを汲む岡田ジャパンでも、中村俊輔は、中央ではなく右サイドでプレー。セルティックでも右サイドハーフを務め、スペースのあるサイドから攻撃を組み立てた。