『みがかヌかがみ』中里 友香 講談社

 題名の『みがかヌかがみ』は、中央のヌを隔てて「みがか」と「かがみ」が対称をなしているが、作品そのものもふたつの世界が鏡像のように互いを映しあう構成だ。

 もちろん機械的な鏡像ではない。それぞれの世界のできごとは独立しており、共通する設定はなく登場人物も別個だ。誰かが誰かの生まれ変わりだとか分身だとかファンタジイにありがちな仕掛けもない。にもかかわらず、ふたつの物語はしだいに強く縒りあって、ひとつの緊密な律動を響かせる。

 いっぽうの世界は現世で「青女房」の章題があてられている。時代は大正。民主的な空気も入ってきてはいるが、舞台となる町には封建的な伝統が根強く残っている。若い娘、月里見紗葵子(やまなし・さきこ)が、茶道の名家である青天目(なばため)家と関わりになるところから物語ははじまる。青天目家の血には青女房が憑いているとの言い伝えがあった。同家の男は夢のなかで、鏡に映った美しい女に魅了される。やがてその女の面影を宿した女と出会い、それを娶るが、子を産んだ女は早世してしまう。現在の青天目家の嫡男、准一朗もそうやって生まれた子だという。彼は「青天目家にとって青女房は呪いでもあり、守り神でもある」と解釈しながら、自分自身はそうした因習には振りまわされたくないと言う。そんな准一朗に紗葵子は引かれていく。

 もういっぽうの世界は異界で「夢浄土」の章題があてられている。不来方(こずかた)と呼ばれる領域で、ここに生まれ落ちた者----あるいは死に堕ちた者----は、着の身着のままで一切を持たず、食わずとも死なない。ただ腹はいつまでも減る。獄卒どもが気まぐれに巡回しており、見つかると何をされるかわからない。この世界で目を覚ました雨夜城(あまよ・きずき)は記憶を失っており、自分の名前以外は思いだせない。そばにつきそっていた童女が「あなたは記憶と引き換えに刀を手に入れたのだ」と説明する。そうまでして刀を必要としたのは、ある目的を達成するためだ。童女は謎かけのような言葉を雨夜城に告げる。「不来方を去らんとするには、幸福であらねばならぬ。ただし不来方を去るものだけが、幸福になれる」。

『みがかヌかがみ』は、「青女房」の章と「夢浄土」の章が交互に連なる。前述したように両者は独立しているが、互いを映しだす関係になっていて、その中心点----すなわち鏡そのもの----に、ひとつの因縁が楔のように打ちこまれている。

 その昔、この地方が干魃に襲われたとき、年若だが聡明な天女目(なばため)姫の指示によって、ひとつの井戸が掘られた。その工事は困難をきわめ、民衆の怒りが姫へと集中する。結局、姫は井戸の完成と引き替えに自らの命を犠牲にするはめになった。

 青天目家(綴りこそ違うが「天女目姫」に由来する姓だ)が守りつづけているのは、その井戸と伝来である。いっぽう、雨夜城は民衆に殺され不来方へ堕ちた天女目姫を奪還しようとしている。

 ふたつの世界を鏡像のように配置した作品構成。別々の物語がそれぞれの水準で、天女目姫を永劫の苦しみから解放しようとする展開。それがけっして図式的に固まらず、たおやかな物語として紡がれるのは、この作者の豊かな表現性があってこそだ。〔青天目氏は声なく笑って、野生の狐がふとわたしだけに心を開いて無邪気に甘ったれてじゃれつくような、胡乱な人懐こさが過(よぎ)った〕といった文章がさらり流れる。中里友香は激しい言葉ではなく、ほのかな官能性で読む者を誘いこむ。

 もうひとつ傑出しているのは、「青女房」の章で立ちあがる民俗学的な世界像だ。青天目家が天女目姫の「清浄」を継承しているのと対照的に、蛇神の「怨念」を引き受けている善覚寺がある。天女目姫と蛇神は対極だが同根で、じつは青女房の伝説は両者を結びつけ共同体を維持する要の役割を負っていた。ただし、清浄と怨念は現世的に分離しなければならず、それは地理的な生活圏の隔てとしても定着している。両者の境をなす分断線が化粧坂(けわいざか)で、クライマックスで紗葵子はこの坂を登る。

 天女目姫が因縁のはじまりにいるヒロインだとしたら、紗葵子は因縁のおわりにいるヒロインだ。紗葵子には特別な力も知恵もない。大正時代の地方都市、若い娘が自立して生きていくのはきわめて困難だ。もとより彼女は、女権論者や社会改革者といった強い思想・信念で行動しているわけでもない。両親は家の都合で彼女を青天目家へ嫁がせようとしており、青天目家の父と母(准一朗の実母が亡くなったあとに入った継母)も、紗葵子の人格など認めず、世継ぎをつくるための器としてしか見ていない。准一朗の態度も曖昧だ。そんな寄る辺ない状況にあっても、彼女は周囲の思惑どおりになるのは「胸糞悪い」と思う。

 因習の圧力と渡りあう、決定的な手だてはない。それでもなお押しつぶされず抗いつづける紗葵子の姿が鮮烈だ。

(牧眞司)