東京・乃木坂。





赤坂、六本木、青山エリアの中心あたり、外苑東通りに続く、港区にある坂の名称だ。
ちなみに、「乃木坂」という町名は、ない。



最近では、こんな感じのロゴマークでおなじみ、アイドルグループ乃木坂46でおなじみの地名でもある。



乃木坂46の所属レコード会社は、乃木坂にある(グループ名の由来)。

乃木坂は、なぜ“乃木坂”というのか。
乃木神社/乃木邸/乃木公園の前にある坂だから、乃木坂。それはそうなのだろう。
さらにいえばその乃木神社は、日露戦争の旅順攻防戦を指揮した、帝国陸軍大将・乃木希典とその妻を祭神として祀る神社で、当時の乃木邸の隣に大正12(1923)年に創建されたこともよく知られている。



ちなみに乃木坂46は、メンバーの成人式など、節目の際に乃木神社を参拝したりすることなどから、いわゆる「聖地」化しているようで、境内にある絵馬には、メンバーの活躍やチケット当選といった乃木坂関連の願いごとを書いた絵馬がたくさん飾られている。

旧乃木邸の建物は保存され、一部公開もされている(2016年3月まで改修工事中)。

さて、その乃木坂。
港区立港郷土資料館の学芸員さんに話を聞いたところ、上記の乃木神社の創建に合わせて、その名称がつけられたのだという。



では、乃木神社が出来る前、この坂は、何坂だったのだろう。
「幽霊坂と呼ばれていました」(港郷土資料館)

「都内には、他にも『幽霊坂』と呼ばれた坂は、いくつかありました。名前の通り、少し寂しい場所にその名前がつくことが多く、今の乃木坂も、そういった雰囲気で、幽霊が出そうな坂だったようです」

「私たち、幽霊坂46です!」
じゃあなぁ。そもそもそんな名前、つけないかと思うが。地下鉄の駅も、「幽霊坂駅」になってたかもしれないのか。

港郷土資料館の学芸員さんによると、この坂は、「幽霊坂」と呼ばれる一方で、「行合坂」とも呼ばれていたそう。

「こんにちは! 行合坂46です!」

これはこれでちょっと微妙か。

複数の名称がある理由については、
「昔は、坂の名前などに関しては、特に正式に定められていなかったんです」
“通称”だったわけだ。

江戸時代、このあたりは武家屋敷があったという。武家屋敷だったら、そこまでうら寂しくないような気もしないでもないが、
「屋敷といっても、当時は広大な敷地で、すべて手入れされているわけではありません。それこそ薮のようになっている場所もあり、乃木坂のあたりもそんな雰囲気だったのかもしれません」(港資料館)
このあたりは、もともとは現在の青山や赤坂の一部の広大な敷地を所有した、青山氏の敷地。その後、江戸末期に屋敷街となり、明治期に乃木希典が邸宅を構えた。



車両の通行量も多く、六本木の街にも近い、現在の開けた雰囲気からは、そりゃ「幽霊坂」って呼ばれるわ、的な、寂しさを感じることはない。
幽霊坂といわれるほうが、もはやピンとこないかもしれない。
(太田サトル)