優等生的なイメージゆえに歴史から忘れ去られたゴダイゴ

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拙著『タモリと戦後ニッポン』で、1970年代に一瞬ながらせんだみつおの時代があったことに触れた。

せんだが司会をしていた月〜金の公開生番組「ぎんざNOW!」は、のちの「笑っていいとも!」のルーツの一つともいえるし、同番組中の「素人お笑い道場」というコーナーからは関根勤や小堺一機が輩出されている。所ジョージが初めてラジオに出演し、秋元康が高校時代に放送作家としてデビューしたのもせんだの番組だった。

このように言及したことが、なぜか妙に好評を受けたのだが、じつのところ、あれは高田文夫の受け売りである。高田の『誰も書けなかった「笑芸人」』では、せんだみつおと並んで「ずうとるび」「あのねのね」のひらがな名前の3組が70年代のビッグ3ならぬリトル3として再度スポットを当てられていた。

1979年はゴダイゴの時代だった!


高田文夫の本は、そんなふうに世間の大方の人が忘れているような事実を掘り起こしていたのが面白かった。最近、それと同様のさまざまな発見をもたらしてくれたのが、スージー鈴木『1979年の歌謡曲』(彩流社)である。本書ではたとえば、これまでの日本のポップス史を語るうえであまり注目されてこなかったゴダイゴおよび同バンドの中心人物だったミッキー吉野が高く評価されている。著者いわく「1979年こそはゴダイゴの時代だった」というのだ。


世の中には、同時期に同じ世界で同等の業績を残しながら、語られやすい人とそうでない人に分かれてしまうことが多々ある。たとえばマンガでいえば、これまで何度となく論じられてきた大友克洋に対して、デビュー時に大友と同じく一部のマニアの人気を集め、のちには国民的マンガ家にまでなったいしいひさいちについてはあまり語られてこなかった印象がある。笑いの世界でいえば、タモリは昔からたしかに語られてきたとはいえ、それでもライバルと目されるビートたけしとくらべたらその量は圧倒的に少ない。

ゴダイゴもまた、同時期に登場したYMOなどとくらべたらほとんど論じられてこなかった。両者とも日本語ではなく英語で歌った楽曲でデビューするなど、共通点は少なくないにもかかわらずである。

ミッキー吉野は、10代にしてザ・ゴールデン・カップスのキーボーディストとしてデビューしたあと、一念発起してアメリカのバークリー音楽院に留学し、「音楽の構造を完璧に知り尽くした人」(本書)と評される(このあたり、東京藝大卒という経歴を持つYMOの坂本龍一と重なる)。そんな吉野を中核に据え、ゴダイゴは次の一文が示すとおり、日本のロック・ポップス史に間違いなく画期をもたらした。

《ゴダイゴの『モンキー・マジック』や『銀河鉄道999』に特徴的なのだが、完ぺきに計算された緻密な編曲と演奏。息もつかせぬ(むしろちょっと息苦しい)圧倒的な音の塊(かたまり)。それは、それまでの歌謡曲には言うまでもなく、それまでの日本ロックにも無かった完成度》(14ページ)

しかし時代の流れというのは非情である。国連の制定した「国際児童年」のテーマ曲「ビューティフル・ネーム」を手がけたこともあり、ゴダイゴには「国連的・文部省的・優等生的」なイメージがついてしまう。それと相前後して、世の中を斜めから見下ろすような「軽薄短小」ムーブメントが台頭(YMOや毒舌漫才はその急先鋒であった)。そのなかでゴダイゴ的なるものは、一気に相対化されていく。

「軽薄短小」の象徴であるタモリの側から同じ時代を描いた者としては、タモリらの活躍によって忘れ去られた歴史があったことを思い知らされ、すごく新鮮だった。

大阪のディスコから人気に火がついた山下達郎


『1979年の歌謡曲』はゴダイゴの再評価にとどまらず、さまざまな発見、示唆に富んだ本である。私がいまひとつ強く印象に残ったのは、1979年を境に、歌謡曲においてアレンジ、アレンジャーがそれまで以上に重要な役割を担うようになったということだ。

たしかにある時代までの歌謡曲やニューミュージックをいまの耳で聴くと、どんなに名曲であっても古びて聴こえてしまう部分がある。そうした違和感も、1979年前後の楽曲から徐々に薄れていく。1980年の山下達郎の初のヒット曲「ライド・オン・タイム」あたりを聴くと、そのサウンドはいまのJポップとほとんど遜色ない。それはやはりアレンジによるところが大きいのだろう。

アレンジの進歩の背景には録音機材の充実があった。本書の「虹とスニーカーの頃」(チューリップ)のくだり(73〜75ページ)では、この一曲でチューリップはビートルズの幻影から解放され、独自の音を創造したと評されている。その根拠として著者があげるのはやはり、楽器やボーカルを何重にも録音できるマルチ・トラック録音機材の浸透だった。この意味でも、1979年は、歌謡曲やニューミュージック、そして現在のJポップへと続く歴史を振り返るうえできわめて重要な年であったといえる。

本書は、来るべき1980年代の“予兆”がほのめかしながら締めくくられている。そのなかで、前出の山下達郎についてこんな記述が出てきた。

《山下達郎はまだ音楽シーンの中で、マニアックな存在に留まっている。ただこの年、名曲『BOMBER』が大阪のディスコで火が付いて、それがブレイクのきっかけになる。ナニワの夜に鳴り響く『BOMBER』を聴いていたかもしれない島田紳助や西川のりお、ぼんちおさむらが翌年「漫才ブーム」で一気にブレイクするのとともに、それを歌っていた山下達郎も翌年5月『ライド・オン・タイム』で世に出ることとなる》(162ページ)

若き漫才師たちと山下達郎のリンク。これを読むと、紳助ら漫才ブームの人気者たちが出演した「オレたちひょうきん族」で、山下達郎の曲がたびたびエンディングテーマに使われていたことを想起せずにはいられない。

1979年にはそんなふうに、さまざまなシーンでその後へとつながる布石や伏線が用意されていた。この本はそういったもろもろを楽曲を丁寧に分析しながらずばり見出した、スリリングな1冊である。

【以下、告知】ここまで紹介してきたように幅広い視野をもって1979年の歌謡曲を総ざらいしてみせたスージー鈴木さんをゲストに、今度の日曜、11月22日に東京・下北沢の本屋B&Bにて「戦後林檎歌謡史〜戦後70年の日本歌謡曲&Jポップ史」と題してイベントを行なうことになりました。音楽的素養のまったくない私が、どこまで鈴木さんを相手に話を展開できるかいささか不安ながら、そこは胸を借りるつもりでのぞむつもりです。まだ席が残っているようなので、どうぞよろしくお願いします! 詳細およびチケット予約はこちらから。
(近藤正高)