宮崎あおいと寺島しのぶの重厚な芝居。いいもの見た「あさが来た」47話

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連続テレビ小説「あさが来た」(NHK 月〜土 朝8時〜)11月20日(金)放送。第8週「京都、最後の贈り物」第47話より。原案:古川智映子 脚本:大森美香 演出:西谷真一


47話は、こんな話


京都から東京に引っ越す前に、梨江(寺島しのぶ)が、あさ(波瑠)を訊ねてやって来た。梨江は、はつ(宮崎あおい/崎の大は立)に、和歌山の土地の証文を託す。

女のドラマ その1 お母はん対お母様


女たちの思いが丁寧に描かれた回。

まずは、お母はん対お母様。
梨江とよの(風吹ジュン)の対話は見応えがあった。

再三、悪気なさを強調してきたよのに、じつは天然を装った本気のイケズなんじゃないかと疑いを覚えはじめてしまった。
今回も、得意の天然イケズを発動。
だが、梨江は、よのの、あさへの「笑えない(byあさ)」嫌味を、着物を差し出すことで封じてみせる。鮮やか一本!
梨江は、かつて、菊(萬田久子)で失敗した体験があるので、今回は、あさとゆっくり話す前にまずよのに挨拶をすることも忘れない。

よのもたいしたもので、いい着物へのお返しに、自分がつくった張り子の犬や猫を大量に用意する。
もちろん悪気はないのだろうが、こういうのが一番困る贈り物であることは、バイラルメディアにたくさん記事がアップされているから、よのに読ませて差し上げたい。

京都の梨江が裏表なく、大阪のよののほうがイケズっぽくて、いわゆる偏見を覆すキャラ設定になっているのは意識的なのだろうか。

女のドラマ その2 母と娘


梨江の人間力にひれ伏すのは、そのあと、はつに和歌山の土地の証文を渡すところだ。

頑として受け取らないはつに、あさが、五代から聞いた「志のある人を応援するためにお金を貸す場所」という銀行の概念を例に出して説得を試みる。
「貸してもらった分、がんばっていつ返せばいい」と言われ、ようやくはつも折れる。
ほどこしだけは受けたくないはつの意地を理解している梨江は、土地をあげるのではなく、もらって活用してくれるように「お願い」する。しかも、「最後の」と強調する。ここまでされたら、はつも受け取らざるを得ない。
以前も書いたが、「あさが来た」では折りにつけ、このように貸したら返すイーブンな関係性を重視している。
寺島しのぶと宮崎あおいの、穏やかながら芯の強さを感じる表情。互いが互いを思いやることは、生きるエネルギーの交換でもあり、見ているこちらまで力をもらえた。こういう感じは、青物を育てて、食べて、元気になることにも共通している気がしてならない。
「女のしなやかさ」とは、このふたりが最高のお手本だ。

ま、ええか な男たち


ついつい、貧しいはつが可哀想という見方をしがちだが、決して彼女を可哀想には描いていない。
どんなことがあっても、折れずにしなやかに生きていく女たちのドラマのお膳立てに、男たちが奉仕している。
まず、亀助(三宅弘城)。
梨江がうめ(友近)に、あさはもう相撲をとってないだろうなと心配すると、とってないと嘘をつくのをこっそり聞いていた亀助が、ん? という顔をしつつ「ま、ええか」と独り言。
うめの嘘を視聴者に変わってツッコむためだけに、その場にいる亀助。ご苦労様なことであるが、彼の「ま、ええか」を、その後、新次郎が引き継ぐので、一瞬のシーンが一粒で二度美味しくなる。

新次郎の視線が酷い


バトンを受けた新次郎も、はつと梨江が会えるための時間稼ぎのような役割をしているのだが、それはそれで、いい仕事している。
47話の新次郎の最も重要な仕事は、はつが土地の証文を受け取ってめでたし、めでたし、というところ。新次郎が見つめている体で、あさのアップが映ると、その奥にぼんやりと、しかも若干端が切れ気味でふゆ(清原果耶)が映る。
このカット、その前に、はつと梨江が会話してるところでも近いものが使われているので、厳密には新次郎目線とはいえないかもしれないとはいえ、どうにも新次郎にとってのあさとふゆの価値の差異がこの画に如実に出ているように見えてしまう。可哀想キャラが、はつからふゆへバトンタッチしてしまったか。いや、もしや、新次郎の目の端のふゆは、外れているのではなく、心のなかにちょっとだけ入り込んできちゃったとも解釈できないこともないぞ。
(木俣冬)

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