42歳で遅咲きデビューの巨匠・松本清張 貧しさと悔しさに満ちたその半生

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11月10日、今年話題になった言葉を選ぶ「2015ユーキャン新語・流行語大賞」の候補が発表され、お笑いコンビ・ピースの又吉直樹の芥川賞受賞作「火花」がノミネートされました。彼が書いた『火花』は、売上累計が200万部を超える大ヒットとなりましたが、今から半世紀以上前の1953年、44歳で芥川賞を受賞したのが、その後の大ベストセラー作家の松本清張。しかし42歳でデビューした遅咲きの巨匠が作家で身を立てるまでの道のりは、決して平坦なものではありませんでした。

下関から小倉に移住し、もっとも多感な時期を、近くの製紙工場から流れる廃液の匂いが漂いナメクジが這うバラックで過ごした清張。尋常小学校を卒業後、家計を助けるために進学の夢も絶たれ、電気会社の給仕として働き続ける日々を送っていましたが、文学への興味が湧いたのはちょうどその頃。手元にはいつも文庫本があり、暇を見つけては読書に耽ったといいます。

探偵小説雑誌『新青年』を購読して海外の探偵小説や江戸川乱歩の作品に衝撃を受け、新潮社の『世界文学全集』、芥川龍之介、夏目漱石、森鴎外の作品に触れたのです。青年時代には東洋陶器(現・TOTO)や八幡製鉄所の文学青年たちと交流し、短編を書いてみせたこともありました。

しかし、仲間から借りたプロレタリア文芸雑誌を読んでいたことで、不遇にも小倉警察署の赤狩りに遭ってしまいます。父親に蔵書をすべて焼かれた上、読書を禁じられた清張は、文学への思いを封印し、再び労働に身を捧げたのでした。

清張は、そんな生活苦と絶望に満ちた小倉時代を、『半生の記』で「濁った暗い半生であった」と記しているものの、ベストセラー作家となり上京した後も、母校の小学校にグランドピアノを寄贈したり、北九州市立図書館ができた際には自分の蔵書千冊あまりを寄贈したりと、故郷との関わりを持ち続けました。確かに暗い時代ではあったものの、小倉は清張が絶対に忘れることのできない土地だったようです。

◆ケトル VOL.27(2015年10月15日発売)