もるさん 男性向けカリスマ美容系YouTuberの夢への決断
独自に制作した動画をYouTubeにアップロードすることで自らを表現し、ビジネスを実践するクリエイターを指すYouTuber。そのなかで、昨今、注目を集めているのが、メークやオシャレの方法を指南する“美容系”YouTuberたちの存在。もるさんは、男性をターゲットにしたヘアセットの講座で、運営する2つのチャンネルの登録者総数48万人、Twitterのフォロワー数は約27万人と絶大な支持を集めている。ファッションブランドのプロデュース、ボーカルユニットとしてのデビューなど、多岐にわたる活動のかたわら、美容学校に通い、来春からはプロの美容師として働き始めることも決まっている異色のカリスマに話を聞いた。

撮影/平岩亨 ヘア&メーク/藤沢輝守 取材・文/黒豆直樹 制作/iD inc.

YouTubeでギターの指の動きを完コピ



――1993年生まれで、今年22歳ですね。そうすると、15年ほど前に起きたカリスマ美容師ブームは知っていますか?

美容学校に入ってから、以前、そういうことがあったと知りましたね。

――2000年にはドラマ「Beautiful Life 〜ふたりでいた日々〜」(TBS系)が放送され、木村拓哉が美容師を演じて、一気に美容師志望者が増えたんですが…。

ドラマは知ってます。キムタクのドラマは、以前のものもわりと見てます。

――リアルタイムではないですよね?

DVDとか再放送ですね。「世界に一つだけの花」が流行ったときに、母親が車で聴いていて、そこからSMAPに興味を持って、ドラマを見るようになりました。キムタク主演の「プライド」(フジテレビ系列)や「GOOD LUCK!!」(TBS系列)はリアルタイムで見てたし、「ロングバケーション」(フジテレビ系列)も好きですよ。

――TVはよく見る子どもだったんですか?

昔はTVっ子でしたね。いまはほとんど見ないんですけど。

――子どものころは、どんなお子さんでしたか?

小学生のころは目立ちたがり屋で、授業でもよく手を挙げるようなタイプだったし、悪ガキで、通信簿の担任からのひと言欄ではいつも叱られてましたね(笑)。

――中学以降は?

バスケ部に入ったんですけど、すぐに行かなくなって、そのころはゲームばかりして地味な生活を送ってました。高校に入ってバンドを始めたんです。

――担当は?

父親がベースをやっていて、同じじゃつまらないので、ギターにしました。

――ギターやってたら、かなりモテたのでは?

それが、そうはそうならなくて…おかしいですよね?(笑) どこかで間違えたんでしょうね。

――どんな曲をやってたんですか?

僕も含めメンバーみんな、アニメやゲームが好きだったので、アニソンをよく演奏してました。これがかなり盛り上がるんですよ。

――他に当時、ハマったり、影響を受けたものは?

YouTubeは、よく見てましたね。

――当時からすでに?

実は僕、ギターを弾くにも楽譜が読めないんです。ギターを始めたけど、どうやって弾こうかと考えて、YouTubeにアップされている、指の位置を完全コピーした動画をひたすら見て、すべて覚えてました。

――じゃあ、本番では楽譜は?

ありません(笑)。記憶だけを頼りに弾いてました。あとは当時から、髪のセッティングも、雑誌より、YouTubeにアップされている動画を見たほうが分かりやすかったので、よく参考にしてました。



父から受けたファッション英才教育



――インターネットに関しては、子どものころから身近にありましたか?

小3で家のパソコンを使い始めましたね。夏休みの自由工作もネットで調べて作ったし、ゲームの攻略方法もネットでよく調べてました。

――雑誌や攻略本を買うのではなく…

基本的にすべて、ネットで無料のものを探して使っていました。子どものころは、お小遣いももらってなかったので。

――ファッションやヘアスタイルなど、オシャレに目覚めたのはいつごろですか?

小さいころからですね。基本的に、髪を切るのは美容院だったし、父親がオシャレが好きな人で、子どもにもそうさせたいと考えていて、かなり鍛えられました。

――具体的には?

急に「買い物に行こう」とお店に連れて行かれるんです。そこで、好きなトップスを買ってもらうんですが、家に帰ると、買った服を並べて「これに合うパンツを自分で選んで持ってきなさい」と。

――ファッション講座ですね。

当時は、めんどくさかったですけね。「早く寝たいのに…」とか思ってましたが、いま考えると、ありがたかったです。高校までは静岡だったんですが、当時からちょくちょく東京に来て買い物してましたね。

――高校を卒業して、その後は?

横浜の大学に入学しました。もともと、高校を卒業したら美容専門学校に行きたいと思ってたんです。でも、兄が大学に行っていたので、親は「あなたも行きなさい」という感じで。

――横浜の大学を選んだ理由は?都会への憧れ?

いや、特に憧れとかはありませんでしたね。大学に進むことに決めたのが高3の夏で、すでにかなり遅かったんです。推薦で行けることになったんですが、それが東京とか横浜の大学ばかりだったんです。





「ちょっと動画でも撮ろうかな?」



――YouTubeに動画を投稿するようになったのはどうしてですか?

朝9時から講義が始まるんですけど、大学まで5分くらいのところに住んでて。8時半ごろ起きて、それこそ当時は髪もろくにセットしないで出て(笑)、午後4時過ぎにはすべて終わって、その後は何もすることがなかったんです。

――時間を持て余してたんですね。

それで何かしたいなって思っていて、高校のころ、YouTubeを見て髪をセットしていたことを思い出して、じゃあ自分で撮ってみようかなって。

――かなり軽いノリだったんですね。

「ちょっと動画でも撮ろうかな?」って(笑)。高校時代に見てた動画は、編集がされていなくて、顔も隠してたし、何もしゃべらないから、ちょっとわかりにくいなと思ってたんです。それなら、自分の持っている知識や経験を活かして撮ってみようと。



――動画で収入を得ようとも思ってなかったんですか?

そもそも、YouTubeでお金を支払われるシステムがあることも知らなかったです。最初は単純に、自分が「あったらいいな」と思う動画を作ろうとだけ考えてました。

――視聴者の反応は?

いまでは珍しくないですけど、当時はこういう美容系の動画で顔を出して説明している人はほぼ皆無だったんです。それもあって「わかりやすい」と言ってもらえました。とはいえ、再生回数は50回とかで、こんなもんなのかなって思ってました。

――その後も定期的にアップを続けたんですか?

定期的ではなかったです。扱うのが髪の毛なので、一度、切っちゃうと長い髪用のセッティングは無理だし、伸びてくるとショートヘアのことはできないし。自分のタイミングで気ままにアップしてました。

――閲覧数が増えたきっかけは?

ずっと再生回数が50回前後だったのに、あるときに急にワッと10倍くらいに増えたんですよ。誰かがブログに僕の動画を貼り付けて、それがさらに、まとめサイトに転載されたんです。

――それから雪だるま式に増えて、人気YouTuberの仲間入りを?

たいていの人は、アップした日と翌日にガッと数字が上がり、それから落ちるんですけど、僕の動画の場合、お笑いのネタとかと違って、使いたい人が見るので、コンスタントに見られるし、それが徐々に増えていく感じでした。でも、どのタイミングでYouTuberになったと言えるのかな…?

――動画で収入を得るようになったのは?

投稿を始めて2か月目くらいのころに、同じように動画を投稿していたトミックさんという方からコンタクトがあって、「チームを組んで一緒にやらないか?」と誘われたんです。そこで、収入を得られるシステムを教えてもらって、実際にお金が入るようになったのは4か月目くらいからかな?

――そのころには、どうしたら多くの人に見られるかなどの工夫もするように?

はい。まずはタイトルが大事だって気づきました。長すぎると、パソコンではすべてが表示されないので、大事な単語はなるべく最初に置いたり。髪のセットなら海外の人でも見ればわかるので、英語のタイトルも入れてました。そうしたら一気に4ケタまで上がりました。

――動画の内容に関しても試行錯誤を?

自分で簡単にセットできる――“セルフセッティング”が基本コンセプトで、それはずっと変わらないですね。自分がセットの参考にしたいと思えるような動画を常に意識はしています。