ベンツやフェリーでの個別送迎に、選手一人ひとりに用意された煌(きら)びやかなロッカールーム。そして、1試合勝つごとに手に入る2000万円近くの賞金......。

 昨年、錦織圭が出場した「ATPツアーファイナルズ」は、試合結果や内容もさることながら、その豪華さが散々メディアを賑わせた。報じる側は「なぜ、こんなにお金があるのか?」と、さまざまな憶測を巡らせたが、ATP(男子プロテニス協会)の広報の回答は、大会そのものの本質を簡潔に言い表す。

「この大会に集う8人は、それだけの厚遇に値する選手だからだ」

 多くの犠牲を払いながら自分を律し、11ヶ月に及ぶ長いシーズンを戦い切り、8位以内でゴールテープを切った選手たち――。試合で勝つのみならず、サイン会やエキシビションなど会場内外でのイベントもこなし、ファンサービスと競技の人気向上に貢献してきた"テニス界の顔"。それら8人の真のエリートたちが一堂に会し、雌雄を決するのが、11月15日からロンドンで開催される「ATPツアーファイナルズ」だ。だからこそこの大会は、他のどのトーナメントよりも選手を大切に扱い、プロモーションや大会運営にも力を注いでいるのだという。

 そのシーズン最終戦の場に、錦織は2年連続で戻ってきた。25歳10ヶ月の錦織は、8人のなかで最年少。また、昨年は錦織も含めて3人のニューフェイスがツアーファイナルズデビューを果たしたが、今年、その晴れの舞台に戻って来られたのは、錦織ただひとり。開幕当初からひとつの目標に掲げていた"選ばれし者の大会"で、今年も彼はシーズン最後の戦いを迎える。

 このツアーファイナルズが他の大会と異なる点はいくつかあるが、なかでも大きいのが、大会フォーマットだ。通常のツアーの大会は勝ち抜き形式のトーナメントだが、ツアーファイナルズではまず、ランキングに応じて8人の選手が4人ずつの2グループに分けられ、総当たり戦(ラウンドロビン)を行なう。そして、各グループの上位2選手が準決勝に進出し、以降はトーナメント形式で頂点が争われる。

 このような変化は、テニスプレーヤーにとって、意外に適応が難しいもののようだ。彼らは日ごろ、負ければその敗戦を悔やみ、時にはしばし落ち込み反省し、そして次の大会に向けて心をリセットする。だが、総当たり形式の場合は、敗れても大会は続き、すぐに次の試合に向けて気持ちを切り替えなくてはならない。

 たとえ勝利しても......あるいは敗れても、次の試合の出来が準決勝進出を左右する場合もある。昨年の錦織は、2試合目でロジャー・フェデラー(スイス)に敗れた後、「次に向けて気持ちを切り替えないと......」とその難しさに触れながらも、2日後の試合で快勝し、準決勝の席を地力で勝ち取った。同じグループに誰が入るか、そしてどのような順番で対戦していくのか――。そのあたりも、選手の動向や心理面に微妙な影響を及ぼしそうだ。

 そうなると気になるのが、最近の錦織の戦績と傾向である。9月に全米オープンの初戦で敗れて以降、10月のジャパンオープンではベスト4に進んだものの、上海マスターズでは3回戦で敗れ、パリ・マスターズでも3回戦でケガによる途中棄権に終わった。棄権の原因となった脇腹の痛みに関しては、所属マネージメント会社や錦織も、「ロンドンには100%の状態で挑める」と発表している。

 もっとも選手は、自分の身体については多くを語らぬもの。それは錦織に限ったことではなく、どの選手も常に、どこかに痛みや故障の火種を抱えながら、厳しく長いツアーを戦っている。それがシーズン終盤のこの時期となれば、なおのことだ。この件に関しては、本人が「大丈夫」と言う以上、周囲があれこれ詮索しても仕方がないだろう。

 では、錦織のテニスの状態そのものはというと、決して悪いわけではない。上海マスターズ3回戦では敗れながらも、「ここ最近では一番と言ってもいいプレーだった」と語り、パリ・マスターズのリシャール・ガスケ(フランス)戦では、好調の相手を上回る攻撃力を見せていた。

 ただ、最終的に好プレーが勝利に結びつかないのは、勝敗を分ける数ポイントを取り切れていないため。ガスケ戦の第1セットでは、7本あったブレークポイントを1度もブレークできずに終わっている。加えるなら、同大会2回戦のジェレミー・シャルディー(フランス)戦では勝ったものの、18本あったブレークポイントを14本逃したことが、フルセットまでもつれ込んだ苦戦の原因だった。

 本来、錦織は勝負強い選手であり、ブレークポイントの獲得率も、キャリア通算で40%を記録している。その彼が近ごろは、重要な局面で「思い切り打っていけばよかった」と唇をかむことが多いのだ。

 現在陥っている状況から抜け出すには、自分を信じる根拠となる、結果を得る以外にないだろう。そして、迷いを振り切り、「思い切り打っていく」場として、ツアーファイナルズ以上に適した舞台もない。対戦相手は、すべて上位選手たち。ラウンドロビンであれば、仮に敗れてもまだ次がある。その意味でも初戦をどう戦い、その試合から何を持ち帰るかが、今後を占ううえでも大きなカギとなりそうだ。

 今大会の訪れを誰より楽しみにしているのは、出場が決まった瞬間にフェイスブックやブログでファンに喜びを報告した、錦織圭本人だろう。今大会に出場する選手たちと錦織が対戦したのは、8月のモントリオール・マスターズで、ラファエル・ナダル(スペイン)とアンディ・マリー(イギリス)に当たったのが最後。それ以降は上位陣との対戦はなく、フェデラーやトマーシュ・ベルディハ(チェコ)に至っては、今季は一度も戦っていない。それだけに、きっと錦織も強敵たちとの手合わせを、心待ちにしているはずだ。

 今の彼が王者たち相手に、いかなる戦いを見せるのか? 何を感じ、どれだけの経験値を獲得するのか? どんな結果になろうとも、そこには楽しみと興奮しかない。

内田暁●取材・文 text by Uchida Akatsuki