夫は美脚、妻は大股「あさが来た」36話

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朝ドラ「あさが来た」NHK 月〜土 朝8時〜)11月7日(土)放送。第6週「妻の決心、夫の決意」第36話より。原案:古川智映子 脚本:大森美香 演出:佐々木善春


【36話は、こんな話】
あさ(波瑠)が買おうとしている炭坑の持ち主の未亡人・櫛田そえ(木村佳乃)が加野屋に訊ねて来て、炭坑を売ることを了承する。
いよいよあさは、亀助(三宅弘城)をお供に九州へ。見送りに現れた五代(ディーン・フジオカ)は、あさに、出会いのきっかけとなった拳銃を手渡す。

わて 泣かしたらあかんで


そえの夫に手紙を書いたあさ。汚い字と謙遜するも、映った手紙の字は、以前よりは上達していた。
ここで以前のように汚な過ぎる字だったら、場面が違う雰囲気になってしまうので真面目な字にせざるを得ないとはいえ、そこからもあさは努力のひとだとよくわかる。
新次郎が36話の後半で、「すぐ無理をする」と心配しているくらいの頑張りで、あさは自分の思いを実現していく。
舅・正吉(近藤正臣)は、そんなあさを信じて、蔵を手放して炭坑を買うお金をつくろうとまでする。
そこで、「自分が恵まれているということ」を自覚するようにと、そえが念を押すところが、前作の「まれ」と違うところだ。
この時代は、そえが言うように、近いうちに女性が留学もするようになり、女性が外で活躍するようになるかもしれないという状況だったから、ひとつひとつ変革していくときに、あらゆる出会いや幸運に対してビビッドに感謝を抱けたのだろう。

やがて、女性は社会進出し、男性と肩を並べることも当たり前のようになっていくと、たとえば、連続テレビ小説「まれ」の主人公が、仕事も結婚も育児も深い考えなしに手を出して、こわいもの知らずの自由人として世間から激しいブーイングを受けるように。まさか将来、そんなことになろうとは、この時、あさは思いもよらないのだ。

つまり、あさたちが変革してきた女の生き方は、いまなお、不自由さから完全に逃れてはいず、そえの台詞「女ん人が大股で歩き続けるのは難しい事ですき。」はそれを感じさせる重いものだ。
原案にあった「外股でのっしのっしと歩く」という描写が、ここまで豊かに広がるとは胸のすく思いがする。
こうしてあさは、新次郎に「わて 泣かしたらあかんで」とまで言わせて、男女の価値観を転倒させ、九州の岩場を相撲で鍛えた足腰の強さにものを言わせ、のっしのっしと先頭を切って歩く。
「どないなとこで寝ても朝は来ます」とたくましいけれど、さすがに、この時代、真っ暗だろうから、野宿をおそれないのは無謀過ぎる・・・かな。

こんな感じで一応ツッコんでみたが、基本、ツッコむスキがあまりない「あさが来た」。妾候補になった美和(野々すみ花)にもわずかの時間で見せ場を与える。
三味線の師匠の仕事を辞めるようにという、よの(風吹ジュン)の条件を断ったときの美和の顔の清々しさよ。彼女もまた、恋はするけど、男に全面的に頼る気はないという意思をもった女性だった。

「あさが来た」は朝の陽光のようなあたたかさを醸しながら、顔を洗うとき、目が覚めるような冷水の高潔さで女性を描いていく。
そんなに女丈夫ばっかりでもこわい感じもする・・・かなあ。と、やっぱりツッコむスキがあまりないまま、7週のあさの活躍(拳銃もって炭坑に立ってほしい)にも期待。

6週の、追加で復習 大河コラボが新選組だけじゃなかった


11月3日(火)32話で新次郎が読んでいた本は、近松門左衛門が「義経記」を下敷きに書いた歌舞伎「御曹司初寅詣」で、義経と玉木宏には縁があった。かつて、大河ドラマ「平清盛」(12年)で義経の父・源義朝を演じていたのだ。脚本家がここまで指定していたら唸るし、美術スタッフの遊び心なのかもしれない。いずれにしても、「新選組!」の土方登場に続いて、大河ファンがニヤリとする小ネタだった。
(木俣冬)

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