評価は真っ二つ

日本テレビ系『金曜ロードショー』での『るろうに剣心祭り』も今日で3週目のオーラス。和月伸宏の人気マンガを実写化したシリーズ第三作、『伝説の最期編』がノーカット放送されます。


“数字”はとても正直。2012年公開の第一作『るろうに剣心』が興行成績30億を叩き出し、二作目『京都大火編』は約52.2億円。映画の高評価が収益にも反映され、続編で右肩上がりの理想的な展開でした。そして三作目の『伝説の最期編』は43.5億円……あれ、下がってるよ最終作?

実際、映画サイトでも『伝説の最期編』の評価は真っ二つ。「アクションはすごい!」というのと「アクションはすごいんだけど」と分かれている…ようで、結局は同じことを言っています、つまるところ、アクション以外の矛盾やアラに目をつぶれるかどうかが評価の分かれ目。
が、一見してダメな箇所も、実は理由がある。せっかく邦画の枠を超えた大作を観るのに、モヤモヤを抱えていたのでは心の底から楽しめない。そこで、「伝説の最期編」で批判されているところを全力でかばってみます!

十本刀の扱いがひどい!


明治政府転覆をもくろむ志々雄真に仕える同志の中でも、特に抜きんでた戦闘力を持つ精鋭集団という十本刀。その中でも“刀狩“の張が、前作で長回しのバトルを演じていたため、これ以上のすごい戦闘が……と期待が高まっていただけに、落差も激しかった。実力がトップに近い“盲剣”の宇水でさえ、砂浜で斎藤一に瞬殺という体たらくでしたから。
が、原作マンガでも十本刀の実力には、かなりのバラつきがありました。子供の弥彦に倒された“飛翔の”蝙也(空を飛んで爆弾を落とす強敵だが、軽量化のためダイエットしすぎて打たれ弱かった)が見たいか? 一応強いとはいえ、剣心と実力の隔たりがある薫に負かされる鎌足に尺を割かれても困ります。時間無制限のマンガと違い、映画は2時間強しかないのだから。

もしも十本刀が活躍するチャンスがあったとすれば、前作「京都大火編」ラストだったのでしょう。原作にはいなかったニセ志々雄軍団が堂々と放火しながら街を練り歩き、剣心に襲いかかる乱戦シーン……大立ち回りは凄いが、ここで十本刀を出そうよ! 「伝説の最期編」の彼らは、ニセ志々雄たちのワリを食った形なのです。

比古清十郎との修行が長すぎ!


前作のラストで志々雄の甲鉄艦・煉獄から薫を追いかけて海に飛び込んだ剣心。砂浜で倒れていた彼を救った男の名は比古清十郎。優しすぎる子供だった「心太」の名前を剣心と改めさせ、飛天御剣流を授けた師匠その人です。
再会を果たした二人。剣心は志々雄を倒すため、奥義を教えて欲しいと頼み込む。こうして師弟の修行が始まりましたが、長い!15年間どこで何をしていたのかを聞かれても剣心ははぐらかし、質問に答えない禅問答が続くものだからよけい長く感じる。
でも、思い出してほしい。剣心を演じる佐藤健は『龍馬伝』の人斬り以蔵こと岡田以蔵を演じ、清十郎役の福山雅治は坂本龍馬でした。さらに本作の監督は『龍馬伝』の大友啓史です。
つまり清十郎と剣心の師弟関係は、坂本龍馬と岡田以蔵の“こうなるかもしれなかった”関係でもある。龍馬は以蔵を人斬りの道から救おうとして、結局は果たせなかった。その心残りを、佐藤と福山、二人の超売れっ子の共演が奇跡的に再現できたこの場で今こそ……と大友監督が考えたとしても不思議ではありません。

ドラマ的には『龍馬伝if』でもあり、『るろうに剣心』の文脈では命がけの戦いの中で奥義を授ける大事な通過儀礼でもあります。原作では剣心をはるかに凌ぐ最強キャラを表現しようと、忙しい中で重厚な殺陣の練習をした福山雅治の努力を粗末に扱えないじゃないですか!

甲鉄艦「煉獄」が政府軍の大砲にフルボッコ


志々雄が「国盗り」する切り札でありながら、東京湾に姿をさらけ出したあげく、砂浜に政府軍が並べた砲台の集中砲火を食らって撃沈された甲鉄艦の煉獄。そもそも一隻で日本を征服するためには神出鬼没で東京ほかの都市を奇襲するしかないのに、なんで隠れもせずに堂々と浮かんでるの…?

あれでも原作以上に活躍してるんです。
マンガ版では出港前に剣心たちに突き止められ、左之助の投げた改良型の手榴弾に直撃されて半壊して炎上。常識的には手榴弾ぐらいで鉄に覆われた艦艇が燃えるわけがないが、常識を超えるオーパーツ的な火力だったから不可抗力です。当時の和月氏のアシスタント達が「こんな複雑な船は描きたくない!」と反乱を起こしたから早々に壊されたという説もアリ。
 原作通りなら前作で退場していたところが、剣心チームvs志々雄の決戦場になるという大出世ぶり。何もせず海に浮かんでたのは、格闘ゲームで次のステージをチラ見せしていたとポジティブに捉えましょう。せっかく煉獄のセットを作ったから、なるべく多くのシーンで使おうという実写ならではの事情もありそうです。

「誰だお前は?」と言われる四乃森蒼紫


かつて江戸城を警護していたお庭番衆、15歳にしてそのお頭の座についた天才剣士(というか忍者)の四乃森蒼紫。原作では一二を争う美形キャラにふさわしく、伊勢谷友介がカッコよく熱演しています。
煉獄をステージにした最終決戦の場にも、剣心が復活するまでの時間を稼ぐ大役を果たす。そこは原作と変わりないんですが、乱入してくるや志々雄に「誰だお前は」とツッコまれる。観ているお客もウンウンと頷いてしまう哀しさ。
この点は『伝説の最期編』単体のおかしさというよりは、三部作シリーズの全体構成から来る現象です。もともと原作の蒼紫は、第一作の悪役である観柳の用心棒として剣心と激突していましたが、実写版では戌亥番神に差し替え。

そこで生じるはずの剣心との因縁や、「最強」へのこだわりが次元の彼方に消えてしまったので、二作目『京都大火編』で初登場したときから「誰だお前」だったわけです。
しかも剣心はどこだー!と京都にやってきた時、街はニセ志々雄軍団が火を放ち、天下がひっくり返りそうな動乱のまっただ中。仲間たちの無念を背負っていた悲劇的なキャラも、私怨に目がくらんで状況が見えてない気の毒な人に……。
伊勢谷はハマり役だし、舞踏家の田中泯が68歳(当時)とは思えない動きで演じる翁との激突は三部作の中でもベストバウトの一つ。でも空気読め。カッコよさがドラマとまるで噛み合ってないという意味での悲劇のキャラなのです。

さらに原作では志々雄とも、共通の敵・剣心に対して「同盟」で縁ができていたんですが、十本刀でさえ出番がないぐらいなのでカット。「誰だお前は」は一作目から伏線が張られていたのだ!
ついでに煉獄を出し続けるために「手榴弾を投げる」という記憶に残る活躍を奪われた左之助も志々雄に「誰だお前は」と言われていて、妙にバランスが取れています。

以上、先回りしてフォローを入れてみましたが、序盤〜中盤にかけての清十郎パートさえ受け入れられれば、あとは怒涛のようなアクションに次ぐアクションの快感に身を委ねて、幸せな気分で最後まで連れて行ってもらえます。ふかく考えるのは止めましょう。
剣心に匹敵する実力を持つ瀬田宗次郎との戦いも、佐藤健×神木隆之介という若くて身体能力バツグンで“動ける”二人が、生身なのに立体起動装置ばりの三次元的な立ち回り。
宗次郎といえば室内でこそ“縮地”のワザが活きるのに…なんて頭の片隅にも浮かばない連撃、ドリフト走行、壁を垂直に走るアスレチック剣劇バトル。今までどれだけ悲惨な目にあったか、世を恨んだかという説明を省いていますが、神木くんの演技力だけでその空白を埋めているのがお見事です。

志々雄VS剣心チーム、1対4のラストバトルには全てが詰まっています。剣心、斎藤一、蒼紫、左之助とトップクラスの身体能力を持つ4人の攻撃を受け切り、強さを見せつける志々雄=藤原竜也の圧倒的な役者力。しかもスタントマンなし、本人の奮闘ですよ。
マンガと実写との「リアルとファンタジー」の距離を克服した精神と肉体。実写『るろうに剣心』三部作は、ハイレベルな肉体言語で綴られた物語なのだ!ということで、以上のことを“覚悟完了”しておけば、スッキリ楽しく見られるはず。
あと、鑑賞した後にまだお近くの映画館で上映しているなら、実写版『バクマン。』を観に行くのがオススメ。剣心&宗次郎コンビが、今度は剣をペンに持ち替えて文字通り“戦って”いますから。
(多根清史)