人間は1000年前も滑稽だったんだなあ 古典傑作が読みやすく『謹訳 平家物語』第二巻が登場

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 日本の古典物語の傑作として名高い「平家物語」。平安時代末期の平家の盛衰を描き、「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。」という書き出しは、多くの人が覚えていることでしょう。
 現在、そんな「平家物語」の現代語訳を手掛けているのが“リンボウ先生”として知られる作家・国文学者の林望さんです。「謹訳」シリーズ第2弾『謹訳 平家物語』(祥伝社/刊)は第一巻が今年5月に刊行され、「訳の調子が素晴らしい」「面白い」などの声が上がったそうです。そして待望の第二巻がこの秋、出版されました。

●人間とはなんと滑稽なものだろう
 第二巻では、清盛を抑えていた嫡男重盛の亡き後、平氏の歯車が狂い始める様が描かれていきます。そして、遂に清盛も死し、源氏へ靡く者が続々と立ち上がり――。

 宮さまが女装をして逃げ出したり、家の灯を敵方の焔と見て退散したり、馬のやりとりに嫉妬の炎を燃やしたりと、『平家物語』に描かれる人間は皆、じたばたと滑稽に生きて、死にます。
 林望さんは「『平家物語』は『源氏物語』と並び立つ名作と言っていい」と指摘します。日本古典の最高峰である『源氏物語』が涙で語る人間の物語であるなら、『平家物語』は人情と滑稽さで人の世を描く一大叙事詩といえるかもしれません。
 『平家物語』は終盤に向かうにつれ、ますます面白くなる物語。第二巻では、合戦場面の躍動感、情緒溢れる悲しい恋の話など、一巻を凌ぐ名場面が続きます。

●どんな風にリンボウ先生は「謹訳」しているのか?
 このシリーズの面白さの裏には、林望さんの“謹訳”の妙があります。では、本書ではどんな風に『平家物語』の世界が広がっているのでしょうか。『謹訳 平家物語 二』より、一部抜粋して紹介しましょう。

 たとえば、宇治橋の橋合戦の場面。古典の名調子を生かした現代語訳は、活弁調の小気味よさです。

「橋の行桁をば、さらさら、さらさらと危なげもなく走り渡ってまいります。人は恐れて渡らぬが、浄妙房の心地には、あたかも一条二条の大路を走るがごとく楽々とした振舞いであります」(『謹訳 平家物語 二』「橋合戦」より)

 かと思えば、こんなしっとりした場面もあります。

「亀山のあたり近く、松の木立が一叢あるところで、かすかに琴の音が聞こえました。  あれは嶺吹く嵐の風の音か、それとも松の枝音か、はたまた、尋ねる人の琴の音か、いずれがいずれともはっきりいたしませぬが、ともかく駒を早めてまいります。すると、たしかに、片折戸を設けた小家のうちに、琴を弾き澄ましている音が聞こえます……。駒の手綱を控えてこれを聞いてみるに、はたしてこれは、紛うところもなく小督殿の爪音に相違ありませぬ。その楽は何であろうと聞いたるところ、これぞ「夫を想うて恋う」と読めまする、あの『想夫恋』という楽でございました」(同書「小督」より)

 また、頼政が死を覚悟する、この名場面。

「三位入道は、渡辺長七唱を呼び寄せ、  『わが頸を討て』
 と命じられますが、生きながら主の頸を討つことの悲しさに、涙をはらはらと流して、
 『とても、そのようなことを、できようとも思えませぬ。ご自害なされましたならば、その後にお頸を頂戴することにいたしましょう』
 こう申し上げる。そこで、
 『まことにもっともである』 
 とて、頼政は西に向かって座し、声も高らかに念仏を十遍唱え、最期に辞世の歌を詠み置かれたのは、まことに感銘深いことでありました」(同書「宮御最期」より)

 いかがでしょうか。完全に現代語で訳されているので、スムーズに物語を理解できます。
 他にも鵺、富士川の合戦、清盛の死など、名場面が続々。その息吐く間もない筆の運びは、リンボウ先生による謹訳の真骨頂といえるでしょう。

 ロバート・キャンベル氏は「読みながら千年の悲哀に心を奪われる。この林さんの文体に、ふたたび惚れました」と本作を推薦。昔、読んだことがあるという人も、学校で国語の時間に教科書で読んだだけという人も、『謹訳 平家物語』の世界にどっぷりと浸かり、歴史の変革期のスリリングさと面白さを味わってみてはいかがでしょうか。
(新刊JP編集部)