熊本ローカルから世界へ。今、石牟礼道子を読むべき理由

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池澤夏樹=個人編集《日本文学全集》(河出書房新社)の第1期第11回配本は、第24巻第24巻『石牟礼道子』


この巻の収録作はこちら。
・回想記『椿の海の記』(1976)
・長篇小説『水はみどろの宮』(1997)
・ノンフィクション『西南役伝説』(1980、現在は『石牟礼道子全集 不知火』第5巻に全篇収録)より「いくさ道(上)」「いくさ道(下)」「六道御前〔ごぜ〕」
『はにかみの国 石牟礼道子全詩集』(2002)より「埴生の宿」「烏瓜」「川祭り」「娼婦」「風」「水影」「墓の中でうたう歌」「糸繰りうた」「便り」「瓔珞」
『潮の日録 石牟礼道子初期散文』より随筆「タデ子の記」(1946)
・新作能『不知火』


石牟礼道子は、すでに先行する池澤夏樹=個人編集《世界文学全集》のなかに『石牟礼道子』の巻があり、同全集唯一の日本人文学者だった。


世界文学全集に入れる日本人は、村上春樹でも大江健三郎でもなくて石牟礼道子だと池澤さんは判断したのだ
これはもうひとつ異例のことだが、小説中心だった同全集のなかで、石牟礼道子の巻の収録作『苦海浄土』(これについては後述)は、ノンフィクションだった。

第2次世界大戦後の日本を襲った国難のひとつ「水俣病」(その遠因は戦前の1930年代初頭に遡る)の患者・家族・共同体を、水俣在住の詩人が1960年以降、継続的に取材しつづけた。その取材が『苦海浄土』に実っている。
《世界文学全集》のこの巻が出て2か月後、東日本大震災で福島第一原発が大きな事故に見舞われた。産業と環境との相関に興味を持つ人にとって、『苦海浄土』を読むべき時代がもう一度やってきたのだった。


ただ1作で有名になることのデメリット


これはあまりに有名な作品で、僕も石牟礼道子というと長いこと『苦海浄土』の名前しか知らなかった。
《世界文学全集》に石牟礼道子を入れたのだから、今回の《日本文学全集》には入れなくていいよね、というふうには、池澤さんは考えなかった。
解説の冒頭で池澤さんはこう書く。
〈まず、石牟礼道子を『苦海浄土』の作者という身分から救い出さなければならない〉

喩える例が唐突かもしれないが、お笑い芸人があるギャグやある芸風で一挙にブレイクすると、そのイメージがついてあとで苦労するということがある。
また新人俳優も、特定の作品のキャラクターで大ブレイクすると、つぎの展開が心配になるという。

石牟礼道子は一発屋ではもちろんないけれど、『あまちゃん』のイメージが重荷になってしまった能年玲奈さん、あるいはかつてのジョン・トラヴォルタくらいなデメリットはあったのかもしれないなー。それくらい『苦海浄土』はビッグヒットだったのだ。


じっさいには、石牟礼さんには幅広い分野の作品がある。ノンフィクション、回想記、随筆、小説、戯曲、詩歌……。
石牟礼作品をずっとプッシュし続けてきた池澤さんが、いわば「裏ベスト」として選んだ石牟礼文学サンプラーとして、今回の《日本文学全集》『石牟礼道子』の巻を読んだ。

フォークヒストリーの問題


聞き書き形式だけでなく、取材対象の内面・視点にフィクション的手法で踏みこんだ『苦海浄土』の大胆な手法は、宮本常一ら先行する民俗学者によるフォークヒストリー(野史、口誦史話)の記録と、カポーティの『冷血』(1965)のようなノンフィクションノヴェルとを結合したような結果を生み、偶然かもしれないが同時代(1960年代後半)に米国で高まった「ニュージャーナリズム」の動きに呼応する結果となった。


『苦海浄土』執筆と同じ時期、熊本県南部や鹿児島県には、西南戦争(1877)の記憶をとどめる人たちがまだいた。多くは100歳を超える老人たちに取材を重ね、1962年以降本格的にその記録を発表していく。
並行する水俣病取材のほうがどうしても忙しかったのか、『西南役伝説』が書き下ろしを加えて単行本化されたのは、1980年のことだ。


さきほど書いた「ニュージャーナリズム」の問題にかかわるが、『西南役伝説』が単行本化されたときに書き下ろしたいくつかの断片がフィクションであるということを、同書が『石牟礼道子全集 不知火』第5巻に全篇収録されたときに石牟礼さん自身があとがきで告白している(今回の《日本文学全集》抄録されたうち「六道御前」はフィクション部分に属する)。

多少複雑な思いがする。《日本文学全集》第14巻所収の「土佐源氏」のばあいはまだ、インタヴュアー宮本常一にたいして語ったインフォーマント(情報提供者)が作り話をしていたというふうに取れるから、「そういう作り話をする現象」の記録として真実かもしれない。けれど、石牟礼さん自身がこっそり作り話を書いたということになると……。


石牟礼さんの文章を読みたくて読む読者にとって、内容(聞き書き)がフィクションかどうかはあまり気にならないはずだ。その気持ちは僕も同じだ(僕はすっかり石牟礼さんの文章の力に魅せられてしまっている)。けれど文学という考えかたを一歩出てしまうと、これはルール違犯ということになる。
僕はいいとか悪いとかを割り切ることはできない。石牟礼さんが「あとがき」でこれを告白してくれたことをむしろありがたく思う。

多様な作品群


とにかく、今回の「サンプラー」に選ばれた作品は、形式も多様で、内容も多彩だ。
『椿の海の記』は、中勘助の(小説だけど)『銀の匙』(小学館文庫角川文庫Kindle)、幸田文の『みそっかす』、石井桃子の『幼ものがたり』と並ぶ、純度の高い幼年期回想。


小説『水はみどろの宮』は、阿蘇山と有明海とにはさまれた地域共同体を舞台にして、フォークヒストリー的な世界を期待して読んでいたら、なんとほとんど動物が主役のファンタジー小説だったので大いに驚いた。
詩や新作能も(そういう分野について云々できるほどの素養は僕にはないが)、読んでいると広くて高い見通しのいいところに連れて行ってくれるような言葉の「圧」に持っていかれそうになる。


「表」の代表作『苦海浄土』


最後に、《世界文学全集》のほうに収録された「表」の代表作『苦海浄土』について、手短に書いておきたい。『苦海浄土 わが水俣病』は、石牟礼さんが水俣病についての文章を発表しはじめて10年目の1969年に刊行された。
これは大きな話題を呼び、現在までにいくつもの言語に翻訳されている。熊本(ローカル)から離れないことで、この作品は逆に、国家(ナショナル)や世界(グローバル)を超えて、普遍的/宇宙的(ユニヴァーサル)な視点をそなえたのだ。

石牟礼さんは他の作品を書き続けながら、引きつづき水俣病の取材を進め、市民運動にも立ち会った。『苦海浄土』第2部は1970-80年代をつうじて雑誌に掲載されていく。
1974年には水質汚染の原因である大企業チッソとの交渉や裁判にまつわる『天の魚 続・苦海浄土』を刊行するが、これは第2部ではない。現在の『苦海浄土』第3部である。


いっぽう第2部を掲載している雑誌が何度か休刊しては再出発を繰り返したため、第2部の発表期間は1970年代、1980年代の20年間にまたがる。
掲載誌の最終的休刊以降さらに15年近くを経て、第2部『神々の村』が改稿を加えて刊行されたのは2004年、
『石牟礼道子全集 不知火』第2巻(第1部と合本)のなかでだった(第3部『天の魚』は同全集第3巻所収)。第2部は現在、独立した刊本でも読める。


『苦海浄土』全3部は第1部のスタートからじつに40年をかけて完成した作品なのだ。
異例ついでにもうひとつ言うと、池澤世界文学全集に収録された『苦海浄土』全3部は、その巻によってはじめて全3部が1冊の本にまとまった。全3部がはじめて1冊で読めるということ。
異例といえば、そういうわけでこの長大な作品を1巻に収めるために、その巻だけは2段組となっているのも異例。

次回は第12回配本(第1期最終回)、第11巻『好色一代男 雨月物語 通言総籬〔つうげんそうまがき〕 春色梅児誉美〔しゅんしょくうめごよみ〕』で会いましょう。


(千野帽子)