首都圏でも注目を集め始めた佐賀の日本酒(佐賀市「居酒屋ふるかわ」にて)

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 佐賀県の日本酒がいま、日本中、そして海外から注目を浴びている。

 近年、首都圏の日本酒取扱店や地酒処において佐賀の銘柄のラインナップが増え始めた。それもそのはず。消費量が年々減少し、日本酒を取り巻く状況が厳しいなか、佐賀県の県外出荷量は増加傾向にあるからだ。純米酒・純米吟醸酒の出荷は2004年度から2014年度の10年間でなんと2.5倍に拡大。さらに、佐賀の蔵元が海外でのコンペティションで続々と賞を取り続け、高い評価を得ている。

 しかし、これまで佐賀の酒はほとんど地元消費。そのうえ、「九州=焼酎」のイメージが強すぎて、県外では日本酒が造られていることさえ、あまり知られていなかった。しかし、焼酎王国・九州の中において、唯一、佐賀は日本酒が圧倒的に好まれる「日本酒県」。一人あたりの日本酒消費量は九州一である。

 その歴史は、江戸時代、佐賀藩の鍋島直正公が政策として酒造りを奨励したことにはじまる。「佐賀県は有数の米の産地で、良質で豊かな水にも恵まれて米のうまみを生かした、濃醇甘口の美味しい日本酒が造られています。県内に酒蔵がまんべんなくあるのも佐賀ならでは」と、佐賀県酒造組合の山崎みち子さんは語る。明治の最盛期には県内に、700もの酒蔵があったという。

 ところが、そんな日本酒王国・佐賀県ですら、消費に陰りが見え始めた。80年代のチューハイブーム、2000年以降の空前の焼酎ブームで、県内の焼酎消費量が日本酒を上回ってしまったのだ。30年間で44あった蔵元の数は27に激減した。

消費量は九州一なのになぜ?
県民さえ注目していなかった佐賀の地酒

 酒造組合は、日本酒の消費低迷を打破すべく、さまざまな取り組みをスタートした。そこで実働部隊として活動を担ったのが、20〜40代の若い蔵元の息子たちで組織されている組合の青年部である「佐醸会」だった。

 山崎さんは、佐醸会のただひとりの事務局担当。2000年ごろからは、県内外で試飲販売など行ったが、ことごとく売れずにたくさんの在庫を抱えて帰ってくる日々だったという。一体なぜか。佐賀の酒は当時、県外でも県内でもまったく注目されていなかったのだ。それでも佐醸会の面々は諦めなかった。

 佐賀の日本酒ファンを、ひとりでも増やそう――。その思いのもと、数多く行った施策の1つが、酒造組合のアンテナショップとしてオープンさせた日本酒バー「nom.(のんどっと)」だった(現在は閉店)。女性が気軽に入れるようにと、スタイリッシュな雰囲気の店内では、ワイングラスで日本酒を提供。さらに、佐賀初の「県内全蔵元の日本酒が揃う」という画期的な店にした。

 実はこれまで佐賀県内の飲食店では、「メニューに銘柄の記載がない」ことが当たり前だったという。扱いは1銘柄で、書いてあるのは、冷やか、燗かそれだけという店も少なくなかったが、nom.効果で、市内には複数銘柄の佐賀の酒を置く飲食店が増えていった。

 しかし、「東京で有名にならないと、佐賀では認めてはもらえない」と山崎さんは痛感していた。

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