通信制大学・大学院の放送大学公式サイトより

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 MARUZEN&ジュンク堂のブックフェア撤去事件に象徴されるように、「表現の自由」「言論の自由」が侵害される事態があちこちで起きているが、またトホホなできごとが起こった。今度は大学だ。

 今年7月、放送大学の客員教授である佐藤康宏・東京大学教授が今年7月26日に行われた日本美術史の単位認定試験で出題した問題が、学内サイトに問題文を掲載する際に削除されたという一件だが、単なる大学内のイザコザに留まらない深い問題がそこには横たわっているのだ。

 まず、削除された問題文をみてみよう。

「現在の政権は、日本が再び戦争をするための体制を整えつつある。平和と自国民を守るのが目的というが、ほとんどの戦争はそういう口実で起きる。1931年の満州事変に始まる戦争もそうだった。それ以前から政府が言論や報道に対する統制を強めていた事実も想起して、昨今の風潮には警戒しなければならない。表現の自由を抑圧し情報をコントロールすることは、国民から批判する力を奪う有効な手段だった」

 これに続いて戦前、戦中に弾圧された画家について書かれ、内容と一致しない画家の名前を回答するという問題であった。

 画家に対する政治的弾圧を現在の政治状況に引き寄せたものだが、放送大学は試験を受けた670名のうちの1名から「このような事をするのは問題」という抗議のメールが試験当日のうちに届き、これにより大学側が問題文の削除に動いた。

 大学側は学内サイトに問題文を掲載するにあたって、佐藤教授に該当する部分を削除するように求めたが、佐藤教授が拒んだため、副学長より削除の通告が届き、8月7日に該当部分を削除する形で公開が行われたというのが事の顛末ある。

 放送大学は放送法に則ってこれらの対応を行ったというが、なるほど放送法第4条では「公安及び善良な風俗を害しないこと」「政治的に公平であること」と「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」が求められている。

 しかし、放送大学の単位認定試験がはたして放送法の対象になるのか。しかも、日本国憲法23条では「学問の自由」が保障されている。「学問の自由」を、放送法を盾にして侵してしまうのは、大学としては自殺行為。それこそ問題文にある「言論や報道に対する統制を強め」「表現の自由を抑圧し情報をコントロールする」を地で行く対応ではないか。

 だが、こうした「学問の自由の侵害」が行われているのは放送大学だけではない。実は、今、日本の大学は全体的に、教員の政治的発言に対する圧力が高まっているのだという。

「直接、大学当局が安保法制に反対する教員を抑えこむために『教員の政治的活動、政治的発言を禁じる』というようなハードな弾圧を行う、というのは現状ではありません。しかし、ソフトな政治的弾圧は蔓延しています」

 こう話すのは都内のある私立大学の教員だ。

「現在の大学は、ネトウヨ的なクレーマーに非常に弱い。ネトウヨ的な学生は、実際には全体の数パーセントです。しかしこれらのクレームが、大学の右派教員に反体制的な教員を弾圧する根拠を与えるのです。教員の授業での発言が偏向している、という抗議が授業後に大学に来るということもあります。これは教員本人に直接言うのではなく、大学当局にクレームをつけるのです」

「学問の自由」の精神に照らせば、疑問は教員に直接ぶつけるべきであろうが、当局にクレームがいってしまうことで、教員の萎縮効果はより大きなものとなる。

 また、大学によっては、右派教員による政治的ストーキングなどもあるという。

「クレームをテコとして、右派教員が教員全体を政治的に抑え付けようとする構図があります。(安保法案に反対するような)教員に対して、あら探しのためにストーカー的に嫌がらせをします。その教員が授業をしているところに聞き耳を立て、授業が早く終わると『なぜ授業が早く終わったか』などと文句をつけるのです。理由は単に授業を早く始めたから早く終わるだけなんですがね」

 嫌がらせが、大学の意向かどうかは分からない。だが以下のような事情があるのでは、と、この大学教員は言う。

「学問と政治の関係を、例えば教授会などで本気で討議することは難しい。ですから、陰にこもった嫌がらせをするのです」

 しかし、なぜクレーマーに萎縮し、ストーカー的な振る舞いがまかりとおっているか。別の都内大学教員は語る。

「支配的な体制に順応してしまうことを良しとする、また政治的に突出することを許さない『空気』が大学に蔓延していることがその原因です。積極的に支配的な『空気』になじもうとする人はそう多くありませんが、最近の大学の教員は良くも悪くも優等生が多いので、この『空気』に抗する勇気のある人は少ない」

「空気」の問題で言えば、さらに寒々しい話がある。

「安保法制は、まだ大学で話しづらいということはありません。大変なのは慰安婦問題です。この問題は本当に大学当局も嫌がるし、教員もかかわり合いを嫌がります」

 実際、本日行われる「安全保障関連法に反対する学者の会」と学生団体SEALDsが共催するシンポジウムは、当初、立教大学に会場使用を申請したものの、立教大はこれを「純粋な学術内容ではない」などとし許可しなかった。シンポジウムのテーマは立憲主義や民主主義について大学人としての責任を問い直すというもので、数々の学者たちが出席するが、これでも「学術的ではない」と言うわけだ。このシンポジウムは、結局、法政大学で行われることとなった。

 当然、これが直接的な歴史問題となると、より厳しくなる。たとえば、慰安婦問題でシンポジウムを開こうとしても、過去に抗議行動を起こされたためか、「反日的」とレッテル貼りをされることを恐れてか、会場を貸さないという都内有名大学もある。

 また、学費や奨学金の問題も大学の「空気」を重くする原因だ、と指摘する。

「大学を巡る学費、奨学金の問題など、大学が抑圧的になっていることの根源には『経済』の問題があります。大学と経済的徴兵制の問題もありますし」(同前)

 今回の放送大学の一件で明らかになったのは、クレームにびくびくし、「空気」に振り回され、結果安倍政権におもねってしまうような「大学の溶解」状況である。

 日本の大学は今、緩やかな自殺の最中にあるのかもしれない。
(高幡南平)