エディー・ジャパン 英国での40日(後編)
「廣瀬俊朗は、最後の試合もロッカールームを片付けていた」


「エディー・ジョーンズが日本ラグビーを変えてくれる」という期待を胸に、約3年半エディー・ジャパンを追い続けてきた記者。真価が問われるワールドカップ(W杯)で、ジャパンは南アフリカに劇的な逆転勝利を収め、想像を超える快挙で結果を出してくれた。この勝利を機に、日本でも現地イングランドでも空気は一変した。後編では、その後のジャパンを振り返る。

 スコットランド戦に向けて、9月21日にメンバー発表。1時間前に選手たちのホテルに着くと、すでに4〜5人の報道陣が並んでいる。結局、メディアの数は100人を超えた。その日の夜、試合会場のグロスターに移動。22日の前日練習、初戦となるスコットランドの選手たちの方が、体がキレていると感じた。日本の選手たちは「試合に集中しよう」とミーティングをやったというが、フィジカル、メンタルともにどこまで回復しているのか......。

 23日、スコットランド戦試合当日、私に対しても現地メディアからの取材依頼が多数あった。朝7時にスタジアムに来て欲しいという、現地ラジオのオファーは無理なのでお断りしたが、イングランドでも日本のニュースが求められているのがわかった。

 試合は14時半キックオフ、後半の途中まで善戦したが、最後にトライを量産されて10−45。今後を考えると、負けてもボーナスポイントの勝ち点を取ってほしかっただけに、残念でならなかった。チームが掲げたテーマは「ファスト・アグレッシブ・スタート」。NO8アマナキ・レレィ・マフィとWTB福岡堅樹を先発させて、前半からトライを量産するプランニングだったのだろう。だが、前半をリードされて折り返し、後半10分からは足が止まった。

 24日、選手たちがキャンプ地(ウォリック近郊)へ移動したため、メディアもこぞって移動。25日の夕方にはウォリック城で歓迎セレモニーが行なわれた。五郎丸歩選手が城に向かってキックを蹴るというパフォーマンスも披露。その様子は現地のテレビが生放送で伝えるなど、依然、注目度が高いことを肌で感じた。

 世界最古の男子校と言われるウォリックスクールで、25日から練習が開始された。だが、公開は室内でのトレーニングやスピードトレーニングなどに限られ、以前より情報は出てこなくなった。そんな中、ニュースを提供してくれたのがWTB山田章仁選手だった。南アフリカ戦で大活躍したが、スコットランド戦を欠場した山田本人が、26日にその理由を「海に入って毒魚に刺されたから」と暴露。ジョーンズHCは「夢を見ていたのでしょう」と語ったが、刺されたことは事実だったようだ。

 スコットランド戦、担架で運ばれたマフィ選手の状態がどうなのか......気になっていた。大きな打撲だったようだが、トレーナー陣が1日3回マッサージをすることで回復したという。SH田中史朗、HO堀江翔太も少しケガをしていたようだ。やはり南アフリカ、スコットランドと中3日で戦った代償は大きかったのだろう。だが、メディカルチームの頑張りにより、試合に出られる状態まで回復した。結局、スコッド31名中、誰もケガのために帰国した選手がいなかったことが好結果に結びついた。そこには裏方たちの懸命な仕事があったのだ。

 控え選手もそう。サモア代表対策としてSO/WTB廣瀬俊朗(としあき)選手は、違う色のビブスを着て相手のキーマンであるSOトゥシ・ピシならぬ「トシ・ピシ」に、WTB藤田慶和選手は相手のFBであるティム・ナナイウィリアムズ役として、練習に参加。試合に出られない選手もチームに貢献した。廣瀬選手はメンバー外になると、次戦に対戦する相手の試合を分析して、他のメンバー外の選手たちとその情報を共有して練習に臨んでいたという。試合に出る23人だけでなく、選手個々が自分の役割に徹していたことが強さの要因だった。

 サモア戦まで中9日もあり、選手たちにもある程度自由時間が与えられた。競技発祥のラグビー校の見学に行く選手、家族とともにランチをする選手、散髪したり、サバイバルゲームをやったり、ゴルフをしたりする選手もいるなど、おのおの自由時間を過ごしていたようだ。筑波大の情報学群に在籍し、ゲーム好きとして知られる福岡選手は現地にPS4を持ち込み、最新ラグビーゲーム「Rugby World Cup 2015」を購入し、何人かと楽しんでいたという。

 こうして1週間はあっという間に過ぎていき、10月1日にサモア戦のメンバーが発表。やはり先発は南アフリカ戦と13人が同じ。2日にはミルトン・キーンズに移動し、3日、いよいよサモア戦当日を迎えた。もともとこの試合と4試合目のアメリカ戦はチケットが余っていたようだが、南アフリカ戦後にほぼ売り切れたという。スタジアムには日本のユニフォームや日の丸の鉢巻きを着けた地元ファンが多かった。

 サモア戦は互いに勝ち点4で並んでいたため、負けると予選プール敗退が決まってしまう。勝たなければいけない試合で、日本は完全にゲームを支配して、26−5 で完勝した。もちろん、W杯でサモアに勝ったのは初めてのこと。2012年、ジョーンズ体制になってからもサモアをはじめ、フィジー、トンガといった身体能力に長けた太平洋諸国のチームには1勝7敗と大きく負け越していただけに、大きな成長を感じた一戦となった。南アフリカ戦がフロックでなかったことを世界に証明して見せた。

 これで2勝1敗。ただ、3試合を通して、ボーナスポイントを得ることはできず、10日にスコットランドがサモアに勝つと敗退が決まってしまうという状況になってしまった。

 4日、再び合宿地に戻った日本代表だが、やはり、自力で決勝トーナメントに進出できないためか、集中できない選手もいたという。4日、5日は調整。ジョーンズHCが「コントロール外のことは気にしない」と語り、6日から11日のアメリカ戦に向けて準備が始まった。

 9日、エディー・ジャパン、最後のメンバー発表があった。CTBクレイグ・ウィング、大学生のWTB藤田が先発に名を連ねた。チームを4年間引っ張ってきたWTB廣瀬、そして3人目のHO湯原祐希の名前はなかった。湯原は4年前のW杯で試合に出場していたので、できれば廣瀬だけでも使って欲しかったが、指揮官に温情人事はなかった。廣瀬選手はいつもと同じ表情で、「この経験が次に生きるはず」と言っていた姿が胸を打った。最後の試合もロッ カールームを片付けていたという。

 10日、この2ヶ月で3度目のグロスターへと移動し、前日練習を行なった。練習後、メディア控え室のテレビでスコットランド対サモアを見た。選手たちもホテルで、みなで見ていたという。スコットランドが勝ち、日本のベスト8の可能性はなくなった。正直がっかりしたが、予選プールBの順位は南アフリカ、スコットランド、日本、サモア、アメリカと決まった。日本はプール3位となり、2019年大会の出場権を自力でも獲得した。

 11日、 「消化試合」となったが、日本は最終戦となるアメリカと対戦した。メンタル的に難しい試合だが、試合直前にジョーンズHCが「プライドを持って戦おう」と涙を流したという。そのため、選手たちは気合いが入りすぎた面もあったようだ。アメリカは、4日前の南アフリカ戦でメンバーを落とし、日本戦では13人も先発を入れ替えたベストメンバーで臨んだ。しかしそんなアメリカに対しても、日本は実力を見せつけて、W杯3回目の対戦で初めて28−18で勝利し、有終の美を飾り、3勝1敗で大会を終えた。

 12日、30分という短い総括会見を行ない、日本代表は帰国の途についた(正直もう少しやってほしかったが......)。やはりクライマックスは、今大会で一気にスターダムにのしあがったFB五郎丸歩の涙であろう。

 前日の試合後のショートインタビューでも「我々の目標というのは......、決勝トーナメントに行くことだったので......」と嗚咽し、この日も「周りの方に支えてもらったことを忘れずに......」と涙し、「前に進みたいと思います」と気丈に言った。決勝トーナメントに進出できなかった悔しさ、ジョーンズHCやこのメンバーと一緒にプレーできる最後の日を迎えた寂しさ、周りの方々に支えてもらった感謝の気持ちなど、さまざまな感情が混ざり合っていたはずだ。

 12日の夜、日本代表はヒースロー空港から羽田空港へ向けて出発。13日の午後、帰国した。帰国したときに出迎えたファンは500人に及んだという。私は翌日に帰国し、日本代表とともに戦った40日間は幕を閉じた。テレビで準々決勝を見ると、やはり日本がオーストラリアと「聖地」トゥイッケナムでプレーしている姿を見たかったと心から思った。

 ただ、日本ラグビー全体が強くなったわけではない。「エディー・ジャパン」が強かっただけである。2019年の自国開催はベスト8に、そして、その後もラグビーの強豪国になれるか。今後の4年にかかっていると言えよう。
(おわり)

斉藤健仁●文 text by Saito Kenji