日本代表の中盤を彩った様々なタイプのボランチたち。求められる役割も時代とともに変わってきた。(C) Getty Images

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 日本代表のなかで、いまだレギュラーが定まっていないポジションのひとつが「ボランチ」だろう。10月のシリア戦、イラン戦では山口蛍、柴崎岳のふたりが長谷部誠とともに起用されたが、両者とも絶対的な地位を確立するまでには至っていない。
 
 ボランチに求められる役割は、時代の流れとともに変わってきたが、日本代表の中盤を彩った様々なタイプを引き合いに出しながら、現代サッカーで必要とされるボランチ像についてスポーツライターの加部究氏が論じる。

【写真】日本代表ボランチの系譜〜オフトJAPANからハリルJAPANまで
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 ボランチという言葉の使用頻度が急速に高まったのは、Jリーグ開幕前後だったと記憶している。ハンドルを意味するポルトガル語だが、選手だけではなく指導者も含めてブラジルからの輸入が俄然活発化し、人気を牽引するのがV川崎(現・東京V) 、鹿島、清水などブラジル色の濃いクラブだったことも影響したに違いない。
 
 当初は必ず 「守備的MF」という注釈が付いたが、20世紀末にはひとり歩きするようになり、やがて外来の専門用語としては群を抜く浸透ぶりを見せた。
 
 しかし用語そのものの浸透ぶりとは裏腹に、理想のボランチを発掘するのは難しい状況にある。ハンドルの意味合いを中盤の底での舵取り役と解釈すれば、確かにパスを散らし攻撃の起点となれるタイプは目に付く。
 
 だが一方で国際基準に照らすと、ボランチには守備での鎮火作業が不可欠だ。攻撃的なスタイルを標榜するなら、洩れなく求められるのがボール奪取力で、ここで相手の攻撃を堰き止められなければ高いポゼッションも成り立たない。
 
 つまり、現代のボランチには「繊細さと強靭さ」 「テクニックとパワー」と相反する要素が求められるわけで、だからこそ高性能なハンドル製造への道は険しい。
 
 ところでボランチという言葉の輸入以前に、まず守備的MFに焦点を引き寄せたのが柱谷哲二だった。国士舘大を卒業し日産自動車(横浜の前身)に入社するが、当時のチームは攻撃的なタレントが目白押し。そこで加茂周監督に勧められ、守備力を磨いて新境地を切り拓いた。
 
 木村和司、金田喜稔、水沼貴史らを揃え、圧倒的な攻撃力を示したチームのなかで、逆に最終ラインの前の防波堤として機能し、この役割の選手としては初めて年間最優秀選手に選ばれている。
 さらにドーハの悲劇(93年アメリカ・ワールドカップ最終予選)で散ったハンス・オフト時代の日本代表では、森保一が大黒柱のラモス瑠偉を影のように支える献身ぶりで評価を高めた。身体を張ってボールを拾い、ラモスに預ける地道な仕事ぶりからは、現在の毅然たる陣頭指揮を想像するのは難しかった。
 
 そして98年には、初出場のフランス・ワールドカップを山口素弘、名波浩のコンビで戦うわけだが、どちらも本来の資質は攻撃に傾いていた。
 
 山口は97年同アジア予選、国立での対韓国戦のゴールセンスがそれを物語っているし、一貫してトップ下に君臨してきた名波は言うまでもない。天性の創造性を持つ名波は、磐田入団後にオフト監督の指示で守備を鍛えられ、ボランチとしてヴェネツィアに渡るのだが、イタリアでは再度トップ下へと戻されている。
 
 概して攻撃的資質が先に開花するので「守備はプロに入ってからでも間に合う」というのが名波の見解だが、一方で「もしオレに服部年宏の守備力があったら、少なくとも3年間は欧州でやれた」とも述懐している。
 
 その点で歴史的にもボランチとして最も国際基準に肉薄したのが、稲本潤一だろう。コンタクトに強い身体的な資質に加え、技術も高く視野も広かった。相手を潰すだけではなく攻撃力も出色で、02年日韓ワールドカップではボランチながら2ゴールを記録。フルハム時代にはトップ下としてプレーし、インタートトカップのボローニャ戦ではハットトリックを達成した。
 
 思えば守備的資質が高く、ピンチを防ぐためにはファウルも辞さない強靭なメンタリティを持つ戸田和幸と稲本が組んだフィリップ・トルシエ時代の日本代表は、最も良好なバランスを保っていた。ふたりとも水準以上の守備力と意識を備え、戸田のカバーリングが担保されているから稲本も思い切って攻撃に出ていくことができた。
 逆に第二次岡田武史政権の日本代表は、あまりに大胆な選択をした。遠藤保仁と長谷部誠のコンビは、守備に回る心配が少ないワールドカップアジア予選限定のプランかと見ていたが、本大会直前まで継続し守備の綻びを修正できなかった。どちらも本来は攻撃的な選手で、前任のイビチャ・オシムは遠藤を中盤のサイドで起用している。
 
 結局2010年の南アフリカ・ワールドカップ直前に戦術を見直した岡田監督は、ふたりの後ろにアンカーとして阿部勇樹を配して日本をグループリーグ突破へと導く。ところが後任のアルベルト・ザッケローニ監督は同じ轍を踏み、ようやくブラジル・ワールドカップ前年から改めて遠藤の起用法を模索し始めるのだが、肝心なハンドル部分が定まらずに本大会でも惨敗を喫してしまうのだ。
 
 日本代表のボランチ選びが難しいのは、Jリーグに明らかな国際基準とのギャップがあるからだ。バイタルエリアでの個の仕掛けが限定的で、ボランチが強烈なプレッシャーを受けるケースも少ないJリーグなら、遠藤、中村憲剛、柴崎岳らは守備に穴を開けることなく優雅なパスワークを披露できる。
 
 しかし激しいコンタクトが断続的に繰り返される国際舞台で戦う場合は、大半の監督が彼らを1列前や他のポジションでプレーさせようと考えるはずだ。日本を代表するボランチの長谷部や細貝萌らも、ブンデスリーガではSBに回ることもあった。
 
 現代のボランチには、まさにハンドルという言葉どおりの役割が期待されるようになっている。つまり攻守の展開を読み切り、できればボールを奪い取り、しかも攻撃の起点となって、時には最前線に飛び出す。ここまでこなせるスーパーマンは、さすがに世界を見渡しても限られてくるが、時代とともに当然チーム内でのボランチの重要度は増している。今では守備的MFという枠では収まり切らない多様で質の高い仕事が求められているのだ。
 
 昨年三冠のG大阪は、理想的なボランチのコンビを擁していた。圧倒的な読みでゲームを自在に操る遠藤と、素早い寄せとボール奪取では日本屈指の能力を持つ今野泰幸。今野を欠いても、やはり秀逸な守備力を誇る元日本代表の明神智和が控えていた。
 
 また日本代表の歴史を俯瞰しても、攻撃型と守備型の組み合わせが多かった。だが、今後世界に肉薄していくなら、こうした分業制では難しい。これからは日本も、遠藤と今野の資質を併せ持つ理想のボランチ育成を急ぐ必要がある。
 
文:加部 究(スポーツライター)