エディー・ジャパン 英国での40日(前編)
「現地で最初の公式会見、取材陣はたった10名だった」

 まだまだイングランドで熱戦が続いているラグビーワールドカップ(W杯)。ラグビー日本代表は予選プールで南アフリカから金星を奪うなど3勝1敗の好成績だったが、勝ち点の差で3位に終わり、決勝トーナメントに進出することはできなかった。しかし、ラグビーの魅力を存分に伝えてくれた「エディー・ジャパン」。イングランドでの40日間を振り返ってみたい。

「日本代表を変える切り札」だと思っていたエディー・ジョーンズが2012年にヘッドコーチ(HC)に就任してから、実に57試 合を全部、現地で観戦した。「W杯で勝利する日本代表が見たい」「ジョーンズHCなら何かしてくれるはず」という期待感から、ヨーロッパもアメリカも、すべて出かけた。結果、ここまでの成果を出してくれるとは......。私の想像を遙かに超えていた。ジョーンズHCのW杯での経験は伊達ではなかった。「すべてがW杯のための準備」という言葉を見事に実践して見せたW杯だった。

 選手たちは9月1日にイングランドに向けて出国したが、見送ったファンは数十人だったという。選手たちを追って4日の早朝に旅立った。5日、本番で2試合戦うグロスターのスタジアムで、大会直前、最後の試合があったからだ。相手はフィジカルに優れる東欧の雄、ジョージア。昨年11月にスクラムで完敗した相手にリベンジを挑んだ。しかもレフリーは本番のスコットランド戦を担当する人物を招聘。大事な一戦だった。8月、日本で行なわれたウルグアイとのテストマッチ1戦目にも南アフリカ戦を担当するレフリーを招くなど、ここまでの用意周到さは過去になかった。ジョーンズHCの「準備」の徹底に心意気を強く感じた。

 ジョージア戦で日本代表はこの10ヶ月の練習の成果を発揮し、見事なスクラムを組み、フィジカルでも真っ向勝負。ケガからの復帰戦となったNO8アマナキ・レレィ・マフィがモールから逆転トライを挙げて13―10で勝利。FWの選手がのちに「この試合が大きかった」と振り返ったように、特にスクラムとフィジカルで戦えることが証明でき、本番に向けて大きな自信を得た試合となった。ただ、BKに展開してトライを挙げることはできず、ディフェンス面も含めて、まだまだ課題があるとも思った。

 6日から日本代表はブリストルで合宿を行なった。テーマは「明確化」。セットプレーから、HO堀江翔太が重要な役割を果たす新しいサインプレーをチーム全体で確認。実際にこのサインプレーで、本番では相手のPGやイエローカードを誘い、さらに、最終戦のアメリカ戦になると、裏のプレーでゲイン。他にも地元チーム(2部)相手にFWはスクラムやラインアウトのセッションを行なっていたが、日本代表の選手たちから「(相手は)あまり強くない」という本音が聞こえてきて、少し不安になった。

 11日、 初戦の地・ブライトンに選手たちは移動した。その夜、歓迎セレモニーがあったが、エディー・ジョーンズHCがいきなりキレた。選手たちが記念のキャップとメダルを受け取って満足げだった顔とは対照的。式典ではW杯と日本代表の過去の名シーンが流されたが、ジョーンズHCがオーストラリアを率いていた時代に決勝で負けたシーンが出て、日本のビデオも24年間勝利をしていないため、当然、よいところはない......。さらに不手際で、日本の映像がもう一度再生されてしまい、司会者が場をつなぐため「もう1回見たいですよね?」と言ったことが、どうやらバカにされたと感じたようだ。選手たちが浮かれていた姿を見て、少し気合いを入れたかったのかもしれない。

 12日の午前中、現地に入って初の公式会見が行なわれた。どれだけ海外メディアが来るのか、楽しみにしていた。ところがフタを開けて見ると、私以外は日本のTV局が1社、新聞社が2社、通信社が1社、地元の新聞社が1社だった......。10人も満たない。今思えば、19日の開幕1週間前でも、現地での注目度はかなり低かった。この会見以降、「世界に日本もラグビーをしている国として、リスペクトされたい」と指揮官は強調し始めた。

 同日午後から、ブライトンでの練習が始まった。名門校の中にある囲いに覆われた練習場で、公開は最初の15分のみ。タックルバッグなどには「JAPAN」の文字。いよいよ始まったという感じだった。17日まで連日練習が行なわれ、いつになく選手たちの集中力は高かった。SH田中史朗の声は響き渡り、選手たちのプレーにもキレがあった。練習量を抑えたこともあった。「9月19日にピークを持っていく」といっていた指揮官の言葉は本当だった。

 17日、キックオフの48時間前にはついに初戦のメンバーが発表。この頃になると、日本の各メディアも渡英し、まるで日本にいるかのような雰囲気となった。18日、 前日練習の後の会見でCTBクレイグ・ウィングがケガのため、立川理道が先発に。ウィングはずっとケガをしており、コンビネーションに不安があった。個人的には立川でよかったと思った。SOには小野晃征がいたため、2人で十分にチームを動かすことができると見ていた。

 夜は開幕戦の取材でロンドンに行ったが、スタジアムの最寄り駅で人身事故が起き、宿に帰ったのは夜中の3時を回っていた。

 19日、いよいよ南アフリカ戦の日を迎えた。日本代表にとって南アフリカとの対戦は史上初。正直、日本が負けると予想している人が多かったが、個人的には4トライ以上か、7点差以内の敗戦で勝点を取ってほしいと願っていた。

 前半、FLマイケル・ブロードハーストらがターンオーバーを繰り返し、CTBに入った立川がゲインを繰り返す。「十分に戦えている」と思った。後半になるとキールアーチで建設された3万人のスタジアムは、「ジャパン」コールで鳴り響く。結果は、日本が34−32で大逆転勝利。日本代表にとっては24年ぶりのW杯での勝利だった。取材をしていて初めて涙を流した。記者仲間も関係者も泣いている。歴史が動いた瞬間だった。選手ほどではないが、メールやSNSで「おめでとう」の連絡が何通も来る。ただ、仕事があったために、すぐに現実に戻されたことは言うまでもない。

 翌日の現地の新聞は日本の報道一色。それだけインパクトが大きかった証だろう。この後、10日間くらいは、現地の人々に日本人だと気づかれると「よくやった」「50点〜60点差つくと思っていたけど、勝つなんて!」などと声をかけられ続けた。20日からメディアの数は倍増。特に海外メディアが増えていた。フランス人記者には「スクラムコーチの電話番号と教えろ」とまで言われた。この日の夜は、日本人が経営するラーメン屋で、選手数人に出くわした。渡英して3週間、美味しそうに、おそらく豚骨ラーメン!をすすっていた。束の間のオフだったと思う。
(つづく)

斉藤健仁●文 text by Saito Kenji