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2015年9月19日の夜。中華人民共和国を流れる黄河の上流域、通称「黄土高原」と呼ばれる一帯は、初秋の寒さに包まれていた。その静けさの中、山西省にある太原衛星発射センターでは、大勢の人々が夜通しで働いていた。

その中心には、「長征六号」と名付けられた新型ロケットが鎮座していた。暗闇の中、照明に照らされ、白く煌々と輝く姿から「白騎士」とも呼ばれていた。

夜が明け、9月20日7時1分。長征六号はまばゆい光と轟音とともに、大空高く舞い上がり、そして予定通りの軌道に、搭載していた20機の小型衛星を投入した。

長征六号に使われている技術は、世界的にも実用例が少ないきわめて高いものであり、またその技術を共有する、中型、大型のロケットの実用化に向けた先駆けとして、今回の長征六号の打ち上げ成功は大きな意味をもっている。

この長征六号にはどんな意義があるのか、そこに使われている技術はどんなものなのか、そして、その未来には何が待っているのだろうか。

○長征ロケットの歩み

1934年10月15日、中華ソヴィエト共和国の根拠地であった瑞金は、国民党政府軍によって包囲された。追い詰められた中国紅軍(中国共産党軍)は、瑞金を放棄し、この包囲網を突破することを決定。追いすがる国民党軍との戦いを続けながら、1万2500kmもの距離を移動し、1936年に延安に辿り着いた。これがかの有名な「長征」である。

長征は当初約10万もいた兵力が数千にまで減るほど熾烈なもので、また行軍中には内部で粛清が起こり、さらに行く先々の土地では横暴の限りを尽くしたが、現在の中国共産党はこれを、後の中華人民共和国の建国に至る、歴史的に大きな転換点になったと位置づけている。

中国にとって伝説、あるいは英雄譚でもあるこの「長征」の名を、中国が初めて開発した宇宙ロケットに冠したことからは、中国が当時から、宇宙開発に大きな期待を込めていたことがわかる。

長征と名の付くロケットの歴史は、1970年から打ち上げられた「長征一号」から始まる。長征一号は大陸間弾道ミサイルの「東風4」を改造したロケットで、1号機は失敗したが、1970年4月24日に打ち上げられた2号機は成功し、中国初の人工衛星「東方紅一号」を軌道に乗せた。これにより中国は、ソヴィエト連邦、米国、フランス、日本に続いて、自力で人工衛星の打ち上げに成功した5番目の国となった。

長征一号による衛星の打ち上げは2回のみで終わったが、それと並行し、より性能の高い「東風5」ミサイルを基にした「長征二号」ロケットの開発が行われ、1975年11月26日に打ち上げに成功した。長征二号は地球低軌道への衛星打ち上げに適したロケットで、現在も「長征二号丙」や「長征二号丁」など、改良型、発展型のロケットが運用されている。

1980年代になると、通信、放送衛星などの、静止衛星を打ち上げるためのロケットが開発が行われることになり、長征二号を基に改良を加えた「長征三号」と「長征四号」が開発された。長征三号は液体水素を使う上段を搭載する計画で、高い性能が見込める反面、実現性に難があった。そこで、性能は低いものの確実に開発できる長征四号が、バックアップとして開発されることになった。

その後、長征三号は開発が成功し、1984年1月29日に初飛行を行い、現在も「甲」や「乙」、「丙」などの改良型や発展型が運用されている。一方で長征四号は、地球を南北にまわる極軌道向けのロケットとしての道を歩むことになり、こちらも「乙」や「丙」といった改良型が運用され続けている。

長征二号、三号、四号は、名前や目的が違うため、それぞれまったく別のロケットと扱われることもあるが、実際のところは長征三号、四号はともに、長征二号の機体を延長したり、ブースターを追加したり、あるいは第3段を追加したりといった改良が施されているのみである。推進剤タンクの直径は同じであり、ロケット・エンジンも同じものが使われているなど、見ようによっては「同じロケットのヴァージョン違い」とも取れる。

もともとの長征二号が、それだけの発展性を見越して開発されたかは定かではないが、発展が可能なだけの余裕があったのは事実である。またこれも狙ったものかはわからないが、機体や部品を共通化することで、量産効果や信頼性の向上にも役立っている。

これら長征シリーズの道のりは決して平坦なものではなく、打ち上げ失敗を何度も経験し、そして1996年には、おそらく宇宙開発史上最悪とされるほどの大事故をも起こしている。だが、それでもめげずに数多くの人工衛星、有人宇宙船を打ち上げ続け、中国を最盛期の米ソに勝るとも劣らないほどの宇宙大国へと押し上げた。長征シリーズの全種類を合わせた打ち上げ数は200機を超え、成功率も信頼性も、高い水準を維持している。

○次世代の長征ロケットへ

これまでの長征ロケットは、長征二号を基に改良を重ねることで多種多様な能力をもたせてきたが、たとえばもっと大きく、質量の大きな衛星を打ち上げようとすると、おのずと限界があり、より大型の、新しいロケットが必要とされた。

また、長征は推進剤に四酸化二窒素と非対称ジメチルヒドラジンという、毒性の強い物質を使っていることから、環境や人体に悪影響を与える危険性があり、また運用が難しいという問題もあった。

こうした背景から、長征三号が開発されたばかりの1986年ごろにはすでに、より強力で、そして環境や人体にやさしい推進剤を使う、新しいロケットの検討が始まった。しかし、技術的な問題などをはじめ、おそらくは既存の長征ロケットの改良や発展のほうに注力する必要があったこともあり、当時はまだ本格化することはなかった。

その次世代長征ロケットの検討が本格化したのは、2001年のことだった。公になったのは2002年ごろである。「長征五号」と名付けられたそのロケットは、これまでの長征シリーズよりも大型で、そして世界的にも実用例の少ない、難しい技術を使った高性能なロケット・エンジンを装備していることも相まって、はるかに大きな打ち上げ能力をもつとされた。目標とされた性能は、地球低軌道に25トン、静止トランスファー軌道に14トンで、これは現在運用中のロケットの中で最も打ち上げ能力の大きな米国の「デルタIVヘヴィ」や、欧州の「アリアン5」と肩を並べるほど強大なものである。

当時、2001年に開発が始まり、初打ち上げは2008年に予定されていたが、中国政府から開発の許可が下ったのは2006年になってからだった。ただ、この間にもロケット・エンジンの開発や試験は行われており、長征五号に関わる開発すべてが止まっていたわけではない。

長征五号はまた、単に強大な打ち上げ能力をもつだけではなく、装着するブースターの種類や本数を変えることで、多種多様な打ち上げ能力をもたせることが可能とされた。さらに、そのブースター単体を基に、機体を束ねたり、第2段や第3段を装着することで、中型ロケットや小型ロケットを造ることもできるとされた。

このように、互換性をもつ部品を組み合わせることによってさまざまなロケットを造る技術を、「モジュール式ロケット」や「モジュラー・ロケット」と呼ぶ。同じ規格の部品(モジュール)を生産し続ければよいので、量産効果や信頼性の向上が期待できることから、ロケットの大幅な低コスト化を実現する方法のひとつとして、古くから知られていた。

ただ、詳しくは第3回で触れるが、この方法には欠点もあり、これまで本格的に取り入れられたのはロシアの新型ロケット「アンガラー」ぐらいしかない。しかし、この当時の検討では、次世代長征では、アンガラーよりもさらに徹底したモジュール化が図られ、よりさまざまな打ち上げ需要に、柔軟に対応できるようにすることが計画されていた。

後に、その小型ロケットには「長征六号」、中型ロケットには「長征七号」という名前が与えられ、長征六号は2009年に、また長征七号も2010年に開発が始まった。

中国ロケットの新たな三本柱として、また世界でも例の少ない高性能ロケット・エンジンと、モジュラー・システムをもつロケットとして、長征五号、長征七号、長征六号の開発は始まった。そして今回、その中で小型の、つまり最も開発しやすく、エンジンなどの技術の試験機としてうってつけな長征六号が、まず先んじて打ち上げられ、成功したのである。

だが、ここに至るまでには、エンジン開発の難航や、モジュラー化構想の一部が破綻するなど、まさに史実の長征のごとく、熾烈を極めた。

(続く)

(鳥嶋真也)