中澤佑二が2015年10月17日にJ1通算500試合出場を達成【写真:Getty Images】

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17年目で500試合出場を達成

 ガンバ大阪の遠藤保仁と同時にJ1通算500試合出場を達成した横浜F・マリノスの中澤佑二。37歳になっても衰えを知らないプレーはどのように生み出されるのか、そして37歳のベテランDFは節目の時にこの先を見据えて何を思うのか。周囲の証言とともに追う。

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 2015年10月17日、横浜F・マリノスの中澤佑二がJ1通算500試合出場を成し遂げた。初めてJリーグのピッチに立ったのはヴェルディ川崎に在籍していた1999年3月13日のセレッソ大阪戦。足かけ17年での大記録達成となった。

「みんなが僕の500試合とか関係なく、この試合に勝ちたい、ホームで勝って勝ち点3を取るんだという思いがあったからこそだと思うし、蓋を開けてみたら『今日500試合だ、よかったね』という感じだった」

 そう中澤は謙遜したが、J1通算500試合出場はリーグ史上5人しか到達していない偉業だ。1年目から毎年20試合以上に出場し続け、昨年36歳にして成し遂げた全34試合フルタイム出場はJリーグファンを驚かせた。

 そして今季も昨季と同じように1分も休むことなく出場を続けている。なぜ若いころと変わらないハイパフォーマンスを37歳の今でも維持し続けることができるのだろうか。チームメイトや監督、クラブOBの証言から紐解いていく。

中澤とR・セニは「ほとんど同じ」

 神戸戦終了後、ミックスゾーンで選手の到着を待つ間に横浜FMの最終ラインを長年にわたって支え、現在はクラブのアンバサダーを務める波戸康広氏に話を聞くと、「当たり前のことを当たり前にやるというのは一番難しいと思うんですけど、そういう部分で自分のルーティーンを試合の状況とか色々ある中でも続けていた」というエピソードが出てきた。

 この日も中澤は全ての選手がメディア対応を終えてもなかなか外に出てこなかった。記者たちが他の作業を始めるのを見た広報担当者がロッカールームまで様子を確認しに行ったほどだ。

 波戸氏は「一番先に練習場へ来て、まず怪我をしない身体作り、アスリートとしての身体作りをして、そこからチームのみんなと交わって、ウォーミングアップをするので、より怪我はしにくい。そういう活動をずっと続けていたので、そこは500試合というところにつながっている」と中澤の徹底したプロ意識について明かした。

 同僚も中澤のプロ意識を称賛する。今季からチームに加わったアデミウソンは「彼は経験を積んで、こういう年齢であるにも関わらず、今でも若い時と同じように日々すごく努力をしている。なかなか自分も今まで見たことはない」と語り、そのサッカーに取り組む姿勢に驚いた様子だ。

 しかし、古巣サンパウロでもロジェリオ・セニという偉大なGKがいる。42歳になっても変わらぬパフォーマンスでゴールマウスに君臨する大ベテランと中澤を比較したアデミウソンは次のように述べた。

「彼らは全てが近いと思う。同じような選手というのはあまりいないけど、日々努力していることもそうだし、トレーニングもやりなさいと言われたことはしっかりやるし、若い選手とも話すし、努力を怠らないプロの鑑になるような選手として、そういった部分でほとんど同じだね」

「彼はいつも自分の行動で示してくれる」

 常に若手の見本となり続ける中澤とR・セニには共通点が多いようだ。さらに横浜FMのエリク・モンバエルツ監督も「彼は毎日サッカーに情熱を持って取り組んでいる。素晴らしい準備のための努力を毎日して、生活の全てがプロサッカー選手を中心にオーガナイズされている。この普段の姿勢がなければ、ここまで彼はできなかったと思う。彼の姿勢はクラブの全ての若い選手の見本になる」と“ハマのボンバー”を手放しで称賛した。

 中澤から多くのことを吸収している若い選手の象徴と言えば、CBでコンビを組む機会が増えたファビオだ。ブラジル出身の長身DFは「言葉でアドバイスというのはそんなにないけど、選手として一番残るものは行動だと思う。彼はいつも自分の行動で示してくれているので、それを見て学ぶことは多い」と、隣にいる大先輩のプレーを見て実力を急速に伸ばしてきた。

 これまで何度も対戦相手として向き合い、めったに選手個人を褒めないことで知られるネルシーニョ監督も「彼はシーズンを通して自分のパフォーマンスを維持できる、非常に優れた経験のある選手だと思っている。Jリーグで500試合に出たということも納得できる」と中澤の偉業に祝福の言葉を送った。

 一方、これだけ後輩や指導者から絶賛される中澤本人にとって500試合は通過点にすぎない。「ナラさんが、600試合がいますもん。それがいる限り僕は何試合達成しても嬉しくないですね。楢崎正剛という偉大な先輩がずっと走り続ける限り、それを追い続けるしかない」とJ1通算600試合出場という前人未到の領域をひた走る偉大な先輩の背中を見つめている。

中澤を奮い立たせる2人の“先輩”

 そしてもう1人、いまの中澤に影響を与えた選手がいた。それは昨年夏に41歳で現役を退いたドゥトラの存在だった。2006年シーズン終了時に一度チームを離れたサイドバックは、2013年に横浜FM復帰を果たすと若手を押しのけ、40歳にしてレギュラーポジションを掴んだ。

「まずは40歳の壁を目の前にしてその先が見えるのかな。まだ30代なので、ドゥさんを見ているから40歳まではドゥさんみたいなトレーニングをして、ドゥさんみたいなモチベーションでいけばやれるのかな」

 ドゥトラの不屈の精神を間近で見続けてきた37歳は、「40歳になって練習しながらまだやれるなってこともあるだろうし、逆に40歳になってくると落ちるものもあると思う。そういった発見をしながら、40歳の壁を乗り越えていこうというモチベーションがある」とさらなる挑戦に意欲的だ。その力はどこから湧いてくるのだろうか。中澤はこうも話す。

「負けず嫌いなだけ。若い子に負けらんねえっていう、毎年入ってくる新人に絶対負けないとかね。(栗原)勇蔵とかファビオとか、カンペー(富澤清太郎)がいた時もマリノスはCBが結構豊富だった。

 そういった中で競争に勝っていくんだという、まだまだ下には負けられないよというね。練習の中でもファビオとか勇蔵とかのいいプレーを見ていると、いいなって思う。でも俺も負けられないなって思うし、チームメイトの姿を見ながら自分の中で火をつけていく」

「止められない悔しさ」がモチベーションに。中澤の挑戦は続く

 アデミウソンは「いまの状態を続ければ10年後も元気で選手としてやっているんじゃないか」と笑顔で冗談交じりに話したが、これだけ向上心にあふれていると本当に10年後も日産スタジアムのピッチに立っているのではないかと期待してしまう。

 2018年のロシアW杯も「頭の片隅にはある」と語り、まだまだ“ボンバー”の魂は熱く燃えている。同い年の中村俊輔の存在も「すごく一生懸命、サッカーに対して貪欲」と中澤の心に強い刺激を与えているようだ。

 常に最善の努力を怠らず、若手の見本として先頭を走ってきた中澤佑二。スタジアムでも欠かせない“背番号22”はこれからもモチベーション尽きることなく毎週ピッチに立ってチームメイトを鼓舞し続ける。そして若い選手に負けるつもりはなく、キャリアの終わりはまだまだ先のことになりそうだ。

「(齋藤)学みたいな活きのいい若手と対峙して抜かれた時に、悔しいって思う自分がまだいる。学だから仕方ないと思う人もいるかもしれないけど、止められない悔しさが自分の中にあるし、悔しさがある限りは続けるんでしょうね」

text by 舩木渉