松本清張を昭和史発掘に駆り立てたGHQの占領下の事件とは

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10月15日発売の雑誌『ケトル』は、特集のテーマとして「松本清張」をピックアップ。「松本清張が大好き!」と題し、作品の魅力、清張ファンの著名人が語る松本清張、作中に登場した場所・小物など、彼にまつわるあらゆる情報を紹介しています。今回紹介するのは、清張を昭和史発掘に駆り立てたある事件。清張が怒りを覚え、日本の暗部を暴くきっかけとなった事件は何だったのでしょうか。

社会派推理小説家として名を馳せた松本清張が、昭和30年代に取り組んだのが『小説帝銀事件』『黒い福音』といった、主にGHQ占領下で起きた事件を題材にした作品群です。取材と資料に基づいて事件の真相に迫るジャーナリストスタイルに没頭し、その後の『下山国鉄総裁謀殺論』『推理・松川事件』をはじめとするノンフィクションシリーズ『日本の黒い霧』や『昭和史発掘』に繋がっていきます。

清張が昭和史に挑むきっかけとなったのは、昭和25年7月11日に故郷・小倉の米軍城野キャンプで発生した米兵の集団脱走事件。武装した米兵二百数十人が、周辺の民家で強盗や強姦、暴行を働いたショッキングな事件でした。

しかし報道は占領軍の統制によって北九州の一部だけに限られ、その後上京した清張は、東京の誰も事件について知らなかったことに驚愕したといいます。この衝撃から昭和33年、事件の取材に基づく小説『黒地の絵』を発表。のちの『日本の黒い霧』はここから始まったのです。

実は、清張は事件発生当時、城野キャンプの目と鼻の先に暮らしており、当日の夜も現場のすぐそばを通って帰宅していました。『黒地の絵』には、生活者として清張が実際に感じた事件の恐怖や理不尽さ、市民の怒りと悲しみが痛いほど込められています。

清張は小説として体裁に限界を感じ、ノンフィクションへと移行していきますが、日本の暗部に切り込む挑戦の根っこにあったのは、“人間を描く”という信念で人々の日常を描き続けた清張の、一庶民としての実感だったのです。

◆ケトル VOL.27(2015年10月15日発売)