庵野秀明の人生を変え、富野由悠季に敵と認められた『「宇宙戦艦ヤマト」をつくった男 西崎義展の狂気』

写真拡大

2014年12月に公開された『宇宙戦艦ヤマト2199 星巡る方舟』のスタッフロールにアニメファンは騒然となった。原画:庵野秀明というクレジットに……『シン・エヴァンゲリオン劇場版』の公開が待たれてる最中に、何やってるんですかー!?
庵野監督の人生において『宇宙戦艦ヤマト』という作品(「2199」はリメイク版)が占める重みを考えれば、全てに優先して参加したのは当たり前のこと。「ヤマトがなければ今の自分はなかった」「ヤマトがあったから僕はアニメを見続けることができた」といった趣旨の発言を繰り返していたりする。


本書は、そんな『宇宙戦艦ヤマト』をつくったカリスマ・プロデューサー西崎義展の破天荒な一生を余すところなく伝えようとする一冊だ。
『宇宙戦艦ヤマト』は1974〜75年、全26話が放映されたテレビシリーズのSFアニメ。再編集された劇場版は1977年に公開され、興行収入21億円もの大ヒット。2作目の『さらば宇宙戦艦ヤマト愛の戦士たち』は観客動員数400万人、興行収入43億円と前作から倍増した。『スターウォーズ(EP4)』が興行収入44億円だったのだから、いかに凄まじい勢いだったか分かる。
その製作総指揮をした西崎義展は、『機動戦士ガンダム』の富野由悠季監督がただ一人“敵”と認めた男だ。「ヤマト」の第四話で絵コンテを発注された富野監督がシナリオを丸ごと書き換えて西崎と大喧嘩した逸話もあるが、それだけ強烈に意識していた裏返しだ。「ガンダム」の企画を立ち上げたときも【打倒西崎】を胸に、自らを奮い立たせていたと語っている。

アニメ業界でただ一人の「個人プロデューサー」


西崎をひとことで言うなら「個人プロデューサー」だ。後にも先にも、国内のアニメ業界ではたったの一人しかいない。アニメ制作には莫大な資金と人手がかかるため、まずスポンサーや広告代理店など組織のバックアップを取り付ける。今の主流である製作委員会方式も、資金リスクを分散し、出資比率に応じて利益を分配するというもの。
西崎は個人として、たった一人で「ヤマト」の制作資金を背負い込んだ。カネを出すから、現場にも口を出す。事あるごとに会議を開く会議マニアで、スタッフが作画する時間がなくなる本末転倒ぶり。キャラクターの服の色やデザインまでチェックするので、現場のスタッフには評判が悪かった。「ガンダム」を支えた作画の巨匠・安彦良和氏も、やがて「ヤマト」への参加を断ったほどだ。

そこまで制作にのめり込んだのは、西崎がヤマトを心の底から愛していたからだ。「戦艦を宇宙に飛ばす」という発想は前例があったが、それを漫画で描くのと、アニメにするのとは大違いだ。テレビアニメは制作資金の調達や番組の枠取りなど、難易度がケタ外れに高い。
ヤマトは遊星爆弾により滅びかけた地球を救うために、銀河のかなたまで放射能を除去する装置を取りに行くドラマだ。西崎が企画を持ち込んだテレビ局の中には「地球が破滅しかける話」に拒否反応を示す担当者もいたという。それを広告代理店も通さず、西崎は粘りに粘って通した。権利を代理店に絡め取られたくない計算と裏表だが、ハイリターン以前のハイリスクを個人でかぶるプロデューサーが現代にいるだろうか。

『宇宙戦艦ヤマト』、それは従来は「アニメではやってはいけないこと」の塊だ。西崎が脚本家やブレーンと共につくった「原作」であり、スポンサーも付けない自腹だから、とことんまでやる。本放送で視聴率が低迷した「ヤマト」は、再放送で人気に火がついたと言われるが、再放送の売り込みに奔走したのも西崎その人だ。
線の多い戦艦を動かすだけでも大変なのに、宇宙空間で回り込みまでさせるのは凄まじい作画カロリーがかかる。しかも、当時はロボットアニメの全盛期で、メカが上手いアニメーターも不足していた。西崎は実力派を一人ずつ口説き落とし、相場より20〜30%高いギャラを払ったという。

それまでのアニメを「ヤマト以前」へと追いやったのが、『銀河鉄道999』でも知られる漫画家・松本零士の起用だった。宇宙に奥行きがほしいと望んだ西崎は、松本のイラストを見せられて美術設定デザインに起用。その結果、一気にビジュアルは未来的となり、常識外れのディティールを得たのだから、松本が「監督」としてクレジットされた(実際の演出は『超時空要塞マクロス』などの石黒昇)のは相応しい待遇だったといえる。
細かなディティールだらけの画面を「たっぷり引きで見せろ」という西崎の指示は、本人に恐るべきコストとして跳ね返ってくる。不沈艦とは程遠い、大海に揺らぐ葉っぱのような「ヤマト」プロジェクトの原作者は、破滅の危険さえ引き受けた西崎といわざるを得ない。
「ヤマト」は、アニメ関連ビジネスの生みの親でもある。盟友・宮川泰の名曲によってLP売上は38万6千枚に上り、『アナと雪の女王』のCD売上に抜かれるまではアニメ映画の歴代トップを守った。さらに緻密に設定された「ヤマト」は1/700のスケールモデルを作りやすく、プラモデルも大ヒット。崖っぷちにいたバンダイ模型も息を吹き返し、ガンダムプラモデル=ガンプラへと繋がったのだ。

はるか遠くで輝く星、身近な人々には暗黒のブラックホール


西崎は遠くで輝く星であり、身近な人達を不幸に巻き込むブラックホールだ。彼は決して善人ではなく、普通の感覚でいえば悪人だった。「さらば」のラストシーンについて部下に「お前は愛する人のために死ねるか」と厳しく問い詰めておいて、複数の愛人を抱えてることを隠しもしなかった男だ。
『「宇宙戦艦ヤマト」をつくった男 西崎義展の狂気』では新規のインタビューはなく、証言のほとんどは他の資料から引用されたものだ。本書の真の魅力は、共著者である山田哲久--「ヤマト」の制作助手を5年つとめた人物が地の文で語る「ナマの西崎の生き様」にある。
母方の祖母は海軍大将、父の妹は西崎流の家元・西崎緑。石原慎太郎さえうらやむ名家の西崎は東大進学に挫折して父から勘当された。その後はジャズ喫茶の司会から音楽制作プロデューサーとなり、オフィス・アカデミーを設立して創価学会系の民音(民主音楽協会)のイベントで儲けるが、借金を作りすぎて海外に逃亡。

やがて日本に戻って来るや手塚治虫のマネージャーとなり、関連会社の虫プロ商事で『ふしぎなメルモ』のアニメ化などに辣腕を振るった。しかし強引なやり方で人心は離れた上に、虫プロ商事の経営立て直しも失敗。手塚から『海のトリトン』の権利を引っぺがすようにアニメ化し、作品を任された富野監督もしばらく手塚と疎遠になるトバッチリを食らった。
借金は踏み倒し、漫画の神様とも消えない遺恨を残す。こんなろくでなしの悪党でなければ、子供だましと思われていたアニメをビッグビジネスにしようとは考えなかったろう。海千山千の音楽業界を手玉に取った口八丁手八丁があったから、「ヤマト」に注ぎこまれたケタ外れの資金も調達できたはずだ。今のアニメビジネスは、悪徳まみれの欲望と作品づくりへの純粋な想いを矛盾なく持てた、一個の怪物が切り開いた道の上にあるのだ。
目立ちたがりで大ぼら吹き、カネに汚く女ったらし。劇場版の『さらば』ではヤマトを超巨大戦艦に特攻させて「もう、二度と姿を現すことはありません」とのテロップを流しておいて、そのテレビ版である『宇宙戦艦ヤマト2』では結末を改変して主人公達を生き残らせてファンを激怒させた。「ヤマト」の末節を台無しにした西崎の醜態を、この本はありのままに記録している。

ただ、「叩かれすぎた」事実も冷静に指摘されている。晩年の覚せい剤所持は「ヤマト」制作当時からの息抜きで、重度の依存症ではなかったという。そして船からグレネードランチャー付きM16(自動小銃)などが見つかり銃刀法違反で逮捕された事件も、尖閣諸島に戦争に行ったのではなく、治安の悪いマラッカ海峡付近では武器携行は常識だったと。

それでもまるでフォローになってない気もするが、松本零士が「ヤマト」の著作権をめぐって西崎を訴えた裁判の下りは必読だ。後から参加した松本が「原作者」だと主張するのはやり過ぎた感もあるが、彼もまた西崎に心を踏みにじられた(「さらば」での特攻に松本は反対していた)一人であり、一矢報いたかった心情は分かる。今のアニメ業界に元気がないのも、西崎のような「悪人」が不在のせいかも……というのは簡単だが、ブラックホールの近くにいるスタッフはたまったもんじゃないですよね。
(多根清史)