【六さんの中東戦記】テヘラン、この15年の変わりよう

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▽標高1000メートルを超える盆地に、1000万人にならんとする人々が住んでいるテヘランは、中東最大の都市で、まさに大都会と呼ぶにふさわしい。今回で4度目のテヘランになるが、今や、地下鉄が市内を縦横に巡り、BLT(バス専用路線)が渋滞をしり目に、目抜き通りを疾走している。そして相変わらず車が多い。渋滞は日常茶飯事である。盆地であるため、ガソリンが完全に燃焼しないまま排出されるので、これが臭くてたまらない。加えて湿度も低いため、喉を直撃してくる。のどの粘膜が弱い僕は、毎日龍角散のど飴と、ミンティアのドライハードにお世話になっている。そういえば、練習での光景だが、日本の選手たちは、給水前に必ずうがいを繰り返していた。

▽ここ近年、イランはイスラム指導者による原理主義回帰への志向が色濃く日常生活に反映されており、女性が外出する時は、頭にスカーフを巻き、体のラインがあからさまに見えないような、長めの上着の着用がほぼ強制的に求められている。かつて来た時は、ここまで極端ではなかった。今、街を歩けば、ほとんどの女性が、年配の女性のように黒装束で体を包むようになってしまった。色は黒と強制されていない為、ほかの色を着用している女性も見受けられるが、それでも単色の場合が多い。決められたモードの中でも、自分の好みを反映しているのは、若い女性だ。丈の短い上着に、スカーフから大胆に髪を出して歩いている女性も、少なくない。紀元前以前より、様々な人種、民族が入り混じったイラン=ペルシャの人々は、エキゾチックな顔立ちの女性が多い。なんとももったいない気持ちがするのだが。

▽2000年に行われた、U-19アジア選手権(日本は2位となりアルゼンチンで行われたワールドユースに出場をした)の取材で訪れたのが、最初のテヘランだったが、その当時は街を歩けば、日本語で声をかけられ、道案内をしてもらったり、ランチをごちそうになった。日本に働きに来たイランの人々が大勢いいたからだ。それが今では、僕自身の身なり、格好のせいもあるが、チャイナ、チヤイナと呼ばれてしまう。変われば変わったものである。果たしてイランの10年後は、日本との関係も含めて、どんな風になっているのだろうか。

【六川則夫】(ろくかわのりお)1951年、東京生まれ。40年近くピッチレベルでサッカーを撮り続けてきている重鎮フォトグラファー。[蹴る、観る、撮る]の順序でサッカーを愛し、現在も取材の合間にボールを蹴るという根っからのサッカーボーイでもある。