昨年、『桜色の魂〜チャスラフスカはなぜ日本人を50年も愛したのか〜』を上梓することができた。

 取材は24年にも及んだが、ベラ・チャスラフスカさんが1964年東京五輪の体操女子個人総合で金メダルを獲得したのは半世紀も前のことで、近年の出版不況で本にするのは無理だろうとほとんど諦めていた。ところが敬愛する同業者の木村元彦氏の粘り強い叱咤激励を得て、何とか1冊にして世に出すことが叶った。おかげさまで日本経済新聞や朝日新聞で、2014年のノンフィクション部門のベスト3に選んでくださった人もいて、つくづく出版できて良かったと思った。

 年が明けた2015年3月、そのチャスラフスカさんから少し不思議なメールが届いた。

「あなたが書いたすばらしい本に充分に感謝の気持ちを伝えていなかったことをお詫びします。私の日本人の友人にとっても、とてもすばらしい本であることをお伝えいたします。オサダ様どうぞお元気で」

 私はこのメッセージを読んで、彼女があらためて何かを伝えようとしているようで少し胸騒ぎを覚えた。ほどなくして、チャスラフスカさんが膵臓ガンを患い、手術することになったという一報が入ってきた。

 4月21日に腹部に強い張りを感じたという。翌日、病院に行くとただちに手術の日取りが決められ、5月15日、8時間に及ぶ手術で膵臓、胃、胆のう、肝臓など5カ所を切り取った。

 私は居ても立ってもいられなかった。すぐにでも彼女が住むチェコに行きたかったが、もし、やせ衰えたチャスラフスカさんの弱々しい姿を目の当たりにしたら、私は何を言えばいいのか、何を言ってあげられるのか、何を言えば慰め、元気づけられるのか、まったく自信がなかった。どうすればいいのか。心底悩んだ。そして、あるプレゼントを思い付いた。

 日本を愛するチャスラフスカさんに、日本の友人たちの応援メッセージを撮影したビデオレターを届けようと思ったのだ。そこに2012年3月に彼女が中心となってチェコに招待した、東日本大震災で被災した岩手県の陸前高田市と大船渡市の子供たちからのメッセージも入れることにした。私はビデオカメラを抱えて、チャスラフスカさんの体操仲間や友人たちの声を集め続けた。皆、事情を察して気持ち良く協力してくれた。

 この時点で、まだ彼女にどこで、どんな状況で会えるのかは分からなかった。病院ならばビデオをテレビに接続して見られるのだろうか? そもそもチェコの映像機器と日本のものは適合するのだろうか? せっかく日本の友人たちの声と映像を集めたのに、結局は見せることができなければ意味がない。確実に映像を見せるには、どんな機材を準備していけばいいのか。とりあえず映像を編集したDVDなど、3種類の再生パターンを用意して、パソコンを抱え、すべて手荷物に入れて飛行機に乗り込んだ。

 事前にチェコのプラハでチャスラフスカさんと会える日を調整していた。たまたま9月のシルバーウイークと重なった。欧州経由の航空機はどこも予約で満席だったが、幸いUAEアラブ首長国連邦のドバイ経由の便が確保できた。彼女から体調が分からないので、3日間はプラハに滞在する日程にしてほしいと言われていた。ところが、到着の翌朝には「午後4時にプラハ城が見えるブルタバ川沿いのカフェ・レストランに来てほしい」との連絡がきた。

 実際に会えることになり、新たな不安が募った。彼女は手術後も化学療法が続き、体重もかなり減ったと聞いていた。家から出て大丈夫なのか? カフェ・レストランまではどうやって来るのか? 車いすに乗っているのかも知れない。私が日本から来たことで、ひどく無理をさせてしまったのではないだろうか? さまざまな思いが駆け巡った。

 夏を思わせる日差しのカフェ・レストランのテラスで彼女を待った。ふいに少しハスキーな声が響いた。

 「オサダ!」。車いすではなく、スウェット姿に赤いスニーカーをはいたチャスラフスカさんが立っていた。別人のように痩せた彼女を抱き締めた。そして、すぐにDVDに編集した日本の友人たちからのビデオレターを、パソコン画面で再生して見せた。

 彼女は一人一人の名前を口にして画面に見入った。オリンピック5大会で体操の審判をした102歳の吉田夏さんが拳を振り上げて『頑張れベラ! 負けるなベラ!』と鼓舞する映像を見ると、同じ身ぶりで応えて、声を上げて喜んだ。

 そして彼女は言った。

「心配してくれて本当にありがとう。私は大丈夫です。病気なんかには負けない。体操という難しいことをずっとやってきたので、それが(病気にも)役立っています。負けません。安心してください。2020年の東京オリンピックには必ず行きますので、そこで会いましょう」

 以前と変わらない、とても張りのある声だった。彼女は強がりではなく、何のてらいもなく、ありのままで病気を組み伏せているように見えた。

 四半世紀も取材を続けて彼女の心の強さは十分すぎるほど知っているつもりだったが、正直言って、今回会って感じた彼女の強さは、私の想像を遙かに超えるものだった。

 少し私がボーッとしていると、スウェットの袖をたくし上げて、肩の近くにある点滴の管を見せた。その管から毎日16時間も薬と栄養剤を注入しているという。「今、口からは食べられないので」とも言った。「少し痩せましたか?」と控えめに尋ねると「ええ、25キロ痩せました」と言った。私は思わず言葉を失ったが、彼女はさらに続けた。

「ここ何年も太っていたので痩せたいとは思っていたけれど、病気で痩せるのは想定外でした。でもそのほかには髪が抜けたりだとか、激しい痛みなどはないの。良い医者に出会えたし、薬も合っているみたい。医者はいつも私の元気な様子を信じられないと言っているんです(笑)」

 私が彼女の話に聞き入っていると、さらにこう言った。

「オサダが日本からの使者となって、みんなのエネルギーを運んできてくれたので、必ず病気を退治してみせます」。彼女は上体を反らして胸を張った。

「今まで私には本当にたくさんの敵がいたのよ。どんな時代にも次々に敵が出てきたの。だからこの程度のことではへこたれないし、負けませんよ」

 チャスラフスカさんは現役引退後、チェコの政権に翻弄され、20年もの間、一切の職を与えられず、不遇な時代を送った。その後の政変で復権し、大統領補佐官まで務めたが、プライベートな事件で元夫が死に至ったことでマスコミから非難を浴び、それにより深く精神を病み、14年間も重い心の病に伏せった。

 チャスラフスカさんの話を聞きながら、私はそんな彼女の激流のような人生に思いをはせた。

 テラスに西日が傾き、急に気温が下がりはじめた。彼女はプラハ郊外の自宅に帰るという。「タクシーを呼びますか?」と声を掛けると、彼女は路面電車に乗って帰るから大丈夫だという。

 一緒に停留所まで歩いた。4カ月前に大手術をしたとは思えない軽やかな足取りだった。停留所に並ぶ人の列を見て彼女は「あっ、電車がくる」と言い、私をもう一度抱き締めると「楽しかった。日本のみんなにお礼を言ってね。ありがとう」と口早に言い、走って電車に飛び乗った。遠のく電車を見送っていると、窓から腕がまっすぐ突き出てきた。人さし指と中指が立っていた。彼女からのピースサインだった。

 日本では「病は気から」とよく言われるが、こんなにも強くて、へこたれない彼女の姿を見られるとは夢にも思わなかった。その姿はまるで樹齢600年という巨木を前にしたときと同じような迫力を感じた。そして、たくさんの約束をした。次回プラハで会うときにはビールとワインを浴びるほど飲む、オペラとバレエも見に行く、そして2020年の東京五輪で体操を一緒に見る......。握り締めた手の温かさを今も覚えている。

どうか本当に病を克服して、元気になってほしい。幾度も不死鳥のように甦った人だから、今度もまた信じている。

【プロフィール】
■ベラ・チャスラフスカ 
1942年、チェコスロバキア(現チェコ)生まれの体操選手。東京五輪(64年)では3種目、メキシコ五輪(68年)では4種目で金メダルを獲得。その優美な演技は「オリンピックの名花」と称えられた

長田渚左●文 text by Osada Nagisa