根本陸夫伝〜証言で綴る「球界の革命児」の真実
【連載第52回】

◆敵将も認めた根本のスカウト術

 1965年から導入された、日本プロ野球のドラフト制度。今年で50年の節目を迎えるが、根本陸夫はドラフト以前から新人の獲得に動いている。57年限りで近鉄での現役生活を終えたあとも球団に残り、二軍コーチに就任する62年までの4年間で、二軍マネージャー、スコアラー、そしてスカウトの仕事にたずさわった。

 当時、球団の役職分担が現在のように明確ではなかった。いわゆる"裏方"の仕事の一環にスカウトがあり、二軍コーチ時代にもスカウト活動をしていた。自身で見出した選手が入団したあと、現場の指導者として責任を持って面倒を見るのだ。

 言い換えれば、ほぼスカウト専任ではなかったわけだが、そういう中でも根本は、新人獲得で敏腕を発揮した。特に、61年パ・リーグ新人王に輝いた右腕の徳久利明(高知商)と、のちに強打者へと成長して通算2452安打、465本塁打を記録した土井正博(大鉄高)。この両選手を獲ったことで根本は注目され、周りから評価されるようになる。

 根本が徳久を「発見」したのは、まだ中学2年生の時。地肩の強さだけに着目して、自らピッチングを教え込んだ。その後、高知商に進んだ徳久は2年時に甲子園出場を果たすも登板機会がなかったが、予選でノーヒット・ノーランを達成する。以来、プロに注目されるようになり、各球団が激しいスカウト合戦を繰り広げた。

 そのなかで中学時代から培った関係がある根本は粘り強く密着し、徳久の両親の心をつかんだ。他球団のスカウトからは、根本が徳久や両親を連れ回して隔離状態にしたように見えたため、「プロ野球全体の信用に関わる」と非難された。それでも、南海(現・ソフトバンク)監督の鶴岡一人はこう言って擁護した。

「我々は競争に敗れた。スカウト根本の努力は認めねばなるまい」

 さらに鶴岡は、土井が近鉄に入団すると、自軍のスカウトに「根本をマークせよ」と指示したという。なぜなら、土井は高校を2年で中退して近鉄に入団したのだが、南海は中退の情報を得ていなかった。もっとも、根本はいち早く土井の実家を訪ね、「誰が来ても『うちの子は大学へ行きますから』って言っておいてください」と母親に告げている。他球団も誘いに来ることを見越して先手を打ち、母子家庭に育った土井が高校中退でも不安なくプロ入りできるよう、相応の条件と待遇を提示していた。

 そのようにして、鶴岡という名将に認められたからか、「スカウト根本」にマスコミも注目するようになった。61年の夏に発行された野球週刊誌には、巻頭に根本のインタビューが載った。『スカウト稼業というもの』と題された記事中、根本はこう語っている。

「スカウトの仕事というのは、日本の野球界を隅から隅まで知っていなければならんのです。下は中学校から上はノンプロまでね。そして好選手がいたら、常にその周辺を探知しておく必要があるのです。今の当人の精神状態、一定期間内にどのくらい腕を上げたか、他の選手との力量の差はどうか、といったデータをいつも手もとに置くわけです。そしていいタイミングの時に、パッと入団交渉をするわけです」

 こうしたスカウトの心得は、近鉄創設時のチーム編成責任者で、根本にとっては法政大の先輩に当たる大西利呂から教え込まれたものだった。選手の情報を得るスピード、接触と交渉のタイミング、そして入団契約する、しないに関わらず、勧誘した本人と関係者へのフォローという三原則が大事とされた。

◆下は中学生から上はノンプロまで選手を視察

 ただ、いくら大事にしても、ドラフト以前、自由競争の時代である。人気球団とはいえない近鉄に有望選手を引っ張ってくるのは難しかった。まず近鉄が目をつけると、次に阪神が来て、最後に巨人が来て持っていかれるのは、宿命的ともいえる図式だった。だからこそ「下は中学校から」見て回り、「これは」と思う素材に出会ったら、なるべく早い段階で良好な関係を築くよう努めたのだった。

 良好な関係を築くのは選手本人に限らない。むしろ、チームの指導者や関係者、家族に親戚、地元の名士など周りの大人のほうが多くなる。すなわち、そうした人々との関わり合いが、日本全国に広がる"根本人脈"の原点になったのだ。

 根本にとっての人脈は、アマチュア選手の情報を提供する人間の連なりでもあった。近鉄のスカウト時代から西武、ダイエー(現・ソフトバンク)で編成のトップに立ったときまで、プロではない素人の情報も生かす姿勢は変わらなかった。近鉄における徳久も土井も、元はといえば、素人から情報を得て獲得に乗り出した選手だった。

 素人の情報提供者は、アメリカでは"バードドッグ(猟犬)"と呼ばれる。かつてのドラフト会議の名物司会者にしてメジャーリーグ解説者だったパンチョ伊東が、そう述べている。曰く、アメリカは国土が広いため、ひとりのスカウトが小さな町、村のあちこちにまで目を光らせることは難しい。だから元野球経験者のガソリンスタンドの経営者とか、雑貨屋の主人などの"バードドッグ"に、「もし目についたのがいたら」と頼んでおく。

 この"バードドック"、パンチョ伊東は「日本にはないシステム」とも述べている。確かに「システム」にはなっていないが、日本にも素人の情報提供者は存在し、根本自身、こう語っている。

「素人の情報をバカにしたら絶対にダメだということです。素人で野球好きの人というのは、自分の町の高校なら高校へ毎日毎日行って、いつも同じところに座って見ている。そうすると、ある日、突然、その人がそれまで見てきたレベルとは違う選手が現れる。その人は高校のレベルしか知らないから、その人には物凄いレベルに映るわけです。そこで連絡を入れてくれる。でも、こういう中に本当にもの凄い選手がいるんだよ」

 西武の管理部長時代、根本はタクシー運転手を"バードドッグ"にしていた。「この選手がいい」という噂を聞いて現地を訪ねると、最初に乗ったタクシーの運転手に「情報が入ったら教えてくれ」と言って、1万円と名刺を渡す。名刺を見て「ライオンズの管理部長」とわかった運転手が、無線で他の運転手たちにも回す。「いい選手がいたら教えてくれって、西武が言ってるぞ」と触れ回ると、みんながスカウトになったような気になって、喜んで情報を提供してくれたという。

 そして、ダイエーに移ってからの根本は、"バードドッグ"とはまた違う立場で、アマチュア選手の情報を喜んで提供する素人を生かしていた。

つづく

(=敬称略)

高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki