今も昔も阪神ファンは弱い阪神、いわゆる「ダメ虎」も見放さず、厳しい言葉を投げかけながら応援を続ける。だが、さすがに心が折れそうになった時代がある。1987〜2002年、俗に「暗黒時代」と呼ばれる阪神の低迷期だ。藤田平監督時代の1996年に球団常務となった野崎勝義氏(元球団社長)が当時を述懐する。

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 その頃のタイガースは10年間で6位が5度、Aクラスが1度だけ。そして私の就任した年も最下位を走り、秋には藤田監督の解任騒動が起こりました。

 藤田監督には「今季限り」と伝えていたはずが、監督は「電鉄幹部からオーナーは続投の意向と聞いている」と主張した。三好一彦球団社長との押し問答が延々と続き、藤田さんが深夜まで籠城する形になりました。翌日に久万俊二郎オーナーが出馬して金銭補償で話がついたが、後味の悪いものでした。

 とにかく弱く、話題はグラウンド外のことばかり。私はこんな球団は生半可なことでは立ち直らないと思った。そこで外部から力がある人材を招聘して意識改革をしないといけないと考えた。

 その時は、メジャー屈指の名監督スパーキー・アンダーソンを次期監督に推薦しました。ア・リーグ、ナ・リーグでワールドシリーズを制覇した初の監督で、当時62歳。ただ、交渉は契約寸前まで話が進みましたが、最後の最後に夫人の猛反対に遭って成立しませんでした。

 阪急の元監督・西本幸雄さんら、名監督といわれた複数の野球人にも声をかけたのですがダメ。結局、三好社長と昵懇の仲だったOBの吉田義男監督の3度目の登板となったのですが、事態は好転しませんでした。

※週刊ポスト2015年10月16・23日号