『七つ星の宝石 (ナイトランド叢書)』ブラム・ストーカー 書苑新社

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 ブラム・ストーカーが『吸血鬼ドラキュラ』の六年後にあらわした怪奇長篇。『ドラキュラ』が伝説的な怪異によせて東ヨーロッパ辺境の陰鬱なエキゾチズムを持ちこんだように、『七つ星の宝石』では古代エジプトの神秘が題材となる。エジプト神話では(正確に言うとヘリオポリス神話らしいが)太陽神ラーが中心にあり本書でもそのような言及があるが、物語の前面にあらわれるのはむしろ冷たい夜の感触だ。タイトルにある「七つの星」とは北斗七星であり、四千年前の女王テラが手中にしていた大粒のルビーのなかにも天の七星とおなじ配列で星が認められる。

 発端は、エジプト学者トレローニー氏が自宅で襲撃を受けて昏睡状態に陥る事件だ。物語の語り手である弁護士マルコム・ロスがまず駆けつけ、やがて刑事も呼ばれて捜査がはじまる。トレローニー氏の手首には爪で引っかかれたような深い傷があったが、それが意識不明の原因とは考えにくい。事件の不可解さもさることながら、部屋に充満するエジプト特有の匂い(瀝青、甘松、香料入りのゴム糊、香辛料など)も異様だ。また、現場の第一発見者である同家の娘トレローニー嬢は、最近になって父親と暮らしはじめたと証言をする。どうもいわくがあるらしい。

 謎をいっそう深くするのは、トレローニー氏が娘に残していた手紙だ。自分の身に何が起きたとしても部屋にあるものはひとつとして動かしてはいけないと強調されている。部屋に置かれているのは美術品などだが、そのなかに一体のミイラがあった。トレローニー氏がかつてエジプトから持ち帰ったもので、四千年前の女王テラのミイラだという。

 トレローニー嬢はシルヴィオという名の猫を飼っているのだが、この猫がしきりに女王テラのミイラを気にして引っ掻いて噛もうとする。この家にはほかにもミイラがあるのだが、シルヴィオが反応するのはそのミイラだけだ。ロスがトレローニー嬢が差しだしたシルヴィオを見ると、その前足には七本の指があった。そのうち一本がたまたまロスの手に傷をつける。「七」という数字は、この作品を通じて何度も繰りかえしてあらわれるマジック・ナンバーだ。

 この作品はいちおう推理小説仕立てなので、そこから先の展開は伏せておこう。

 全篇を通じて受ける印象は、この作品は怪奇小説ではあるけど恐怖心や不気味さを煽るようなものではなく、むしろ鮮烈な「愛の物語」だということだ。ただし、その「愛」は穏やかなものばかりとは限らない。

 確かにロスとトレローニー嬢のあいだに芽生える感情は甘やかな情愛だ。それは作品の冒頭で、彼女が読者の前にあらわれたときにはっきりと予感される。語り手のロスはこう書きつける。〔トレローニー嬢の手に僕は魅了された。小さいというわけではない。華奢で、やわらかく、指は長くほっそりとしていて......たぐいまれな美しい手だった。つい我を忘れてしまう手だった〕。この叙述はまさにメロドラマであり、その典型を裏切って彼女が酷い悪人だったりサイコパスだったりするのは現代ミステリならば大いにありうるけれど(馴れた読者はその可能性も考慮に入れて読み進むわけだ)、本書は百年以上前の小説なのでそこまで心配する必要はない。トレローニー嬢は男に庇護される飾りもののヒロインではなく理性的な判断と発言をおこなう自立した人格で、その点はあまり古くささを感じずに読めるのだが、物語の力学は型どおりの恋愛へ収まってしまう。

 それと対照的な「愛」のかたちを示すのが、もうひとりのヒロイン、古代エジプトの女王テラだ。テラ自身はとうの昔にミイラ化しており、現世的な意味で自らの思想を語ることはできないが、トレローニー氏や彼の同友であるエジプト学者ユージーン・コーベックによるヒエログリフの解読によって、彼女が生きていたときの状況と死後に託した希望が推測される。また、そうした研究的な積み重ねを超越して、トレローニー嬢は直感的に悟ってしまう。〔私には、この偉大で先見の明があって気高い古代の女性の夢がなんだったのかわかったわ。数千年もの長いあいだ具現化するために忍耐強く待っている彼女の魂をとらえている夢が。きっと愛の夢よ。(略)ええ! わかるわ! だって私は女だから、女心がわかるのよ。(略)女王テラは崇高な夢を持っていたわ!〕

 トレローニー嬢が熱っぽい口調で語る女王テラが夢見た「愛」とは、いわば天上の秩序(人知を超えた宇宙的な合一)である。しかし、それは地上の「愛」----すなわちトレローニー嬢とロスのあいだに通う情愛----と相容れるものだろうか? トレローニー嬢はテラの「愛」に激しく魅せられながら、一方で自身とロスとの温かな「愛」を願う。この振幅が、物語に強く張りつめた調子をもたらす。そこには宿命な因果さえつきまとっている。トレローニー嬢が生まれたのは、トレローニー氏がエジプト調査で女王テラのミイラを発見したのと同時刻だった。そして、現代の娘と古代の女王は容貌が酷似している。もしヒエログラフに記されたとおりに「七つの星」の秘術で女王テラが復活するとしたら、そのときいったい何が起こるのだろうか?

 この邦訳版には、もともとストーカーが書いた(初刊は1903年)結末と、ストーカー歿年(1912年)に出版された新版で改変された結末が併録されている。一方は女王テラの「愛」の畏怖すべき達成を記し、もう一方は現世の恋人の「愛」の成就を伝えている。どちらが正しい、もしくは美しい結末か、それを選ぶのは読者だ。

(牧眞司)