ドイツで子どもを育てるということ。中野吉之伴( @kichinosuken)

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中野吉之伴さんは、ドイツ・フライブルクに在住し、奥様と2人のお子さんと一緒に家庭を築いています。日本人が現地に根を下ろし、現地の学校に子どもを入れるというのは、どのような楽しみ・苦労があるのでしょうか? UEFA A級ライセンスを保持する経験豊富なサッカーコーチの顔とは別に、中野さんの「ドイツで子育てをする父親」としての部分にフォーカスを当ててもらいました。

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ドイツの夏休みは7月の終わりから9月中旬まで。基本的にドイツでは夏の間、街クラブの活動は行なわれない。少なくとも小学生の間はまるまる休み。日本の部活動やクラブ活動のように、毎日練習や試合に明け暮れるということはなく、家族や遊びに費やす時間と考えられている。
 
クラブ活動が休みの代わりに、それぞれの団体やクラブでは体験教室やミニキャンプを開催され、小学生1年生を終えたばかりの長男も火おこしだったり、サッカーのミニキャンプだったりといろんなところのイベントに足を運んでは、毎日を楽しんで過ごしている。この日はロッククライミングの体験教室に挑戦。その奮闘ぶりを見ながら、ソファに腰をどっしり据えて、この原稿を書いている。
 
初めて足を踏み入れたフライブルク郊外にあるロッククライミングセンターだが、高さ15mまでのクライミングを楽しむことができるしっかりとした施設。二人でびっくりしながら、「すごいね」と自然に笑顔になっていた。小学生向けの体験教室でもザイルをつけて、まずは5mくらいの壁で練習した後に、ベテラン指導員のサポートを受けながら、普段体験できない高さまでチャレンジすることができる。
 
「こんなことまでできるんだ」
 
長男の言葉には驚きと憧れと喜びがあふれていた。
 
好奇心は子どもの成長を支える一番大きな要素だと思う。真新しいことへの目のキラキラが自分の知らない世界へのドアを開けるカギとなるし、今までなかった視点から見たこれまでの景色は、彩新たに新鮮な思いを抱かせてくれる。まずは怖がらずに、嫌がらずにやってみよう。きっと何かを感じ取ることができるんだから。オープンな姿勢を持つこと、それがドイツという地で生きる僕が子育てで大切にしていることだ。
 
ドイツで生活を始めて15年半になる。初めは2年くらいで帰る予定だったのに、次から次へとやりたいことがあふれてきた。気が付くと結婚して10年。7歳と4歳の息子とともに、ここでの暮らしを楽しんでいる。言葉や習慣の違いに戸惑うことはない。いや、違うことがないというわけではない。違うことばかりだから、いちいちそこに戸惑ったりすることは少ないという意味だ。子どもたちは普通の地元保育園や小学校に通い、その感覚を日常の中で身につけている。
 
よく「子どもは吸収力がすごいから、言葉もすぐに覚える」ということを聞くし、僕も言われる。実際に2人の息子のドイツ語力は高いし、数いる日本人ブンデスリーガーの誰と比べてもうまいだろう。でも自動的にすべてが頭の中に入ってきたわけではない。彼らは彼らなりにすごい苦労をして、身につけてきたのだ。
 
僕らは両親ともに日本人なので、家の中での言語は日本語。子どもは日本語の中で育ってきた。ドイツに住んでいるから多少は単語を聞き知っていても、文章でしゃべられるレベルにはない。ドイツ語しか通じない保育園に入った当初の彼らの怯えぶりを今でも鮮明に思い出す。自分が異質の存在だというのを感じて、その中で理解しあうための手立てを自分で見つけ出していかないといけないのだから。
 
親身にサポートしてくれる保育園の先生方のおかげもあって、2カ月もすると友達と遊ぶのは楽しいと思えるようになり、嫌がることはなくなった。それでもドイツ語を使って友達とコミニュケーションをしっかりと図れるようになるまでは2年近くかかったのだ。
 
長男の場合は、4歳ころから好きになった恐竜の世界を共有できる友達ができたことが大きい。日本語で読んだり、聞いた話を一生懸命ドイツ語に直して説明しようとしていた。自分で恐竜ゲームを考えては友達を巻き込んで遊ぶようになり、気が付くと「今日は何して遊ぶ?」とみんなに聞かれる存在に。今でも次男のお迎えで一緒に保育園に行くと、子どもたちから熱烈な歓迎を受けている。
 
そんな長男がいたおかげで、次男は比較的早く園になじむことができた。言葉がわからなくて困っても、長男が助けてくれるという安心感はすごく大きかったことだろう。それだけに長男が卒園し、一人で通園するようになると、寂しかったのだろう、長男の友達とばかり遊ぼうとした。
 
ある日、園に迎えに行くと次男の担任の先生から「友達のパンをとって食べてしまったんです」と話をされた。その子は次男と同じくらいの年の子。聞くとその日が初めてだったわけではないという。そのまま二人で近くの公園に行き、ベンチに座って話をした。怒りもした。でもちゃんと話を聞いた。そしてどうしたらいいかを二人で相談した。
 
次男なりに考えて「明日ちゃんと謝って、一緒に遊ぶ。遊ぶ時にはおもちゃとかを貸してあげる」と答えを出した。たぶんこの件がきっかけで、自分の居場所をしっかりと作り上げたんじゃないかなと思う。その子とは大の仲良しとなり、「今度の誕生日には絶対に呼ぶ」と言っている。
 
僕は親として彼らが立ち向かったことへの敬意を忘れないようにしようとしている。子どもだからという理由で、彼らの頑張りが損なわれていいわけではない。褒めることと甘やかすことは違う。どんな小さなことでも、目の前にあるやるべきことから逃げずに取り組み、そこから何らかの成功体験を積むことができたら、それはとても喜ばしいことなのだ。
 
うまくいかなくても、挑戦して失敗するからこそ学ぶことがたくさんある。それも大きな成功体験のひとつ。甘やかして子どもに手を貸すことで、こうした機会を与えないということは、成功体験を積むチャンスも奪うということ。そこには決定的な違いがある。
 
息子は僕の影響もあり、サッカーが大好きだ。いっしょにテレビ観戦しながら、いろいろな話をするのは幸せな時間だ。僕はテレビを見ながら、「サッカーは一つの方向から見ただけではわからないことがあるんだ。『なんであそこでミスをしたんだ!』と思うシーンでも、対戦相手側から見たら違う答えが見えてくるものなんだ」ということをよく口にする。サッカーに限った話としてだけではなく、視野の広さというのは日本人として国外で暮らしていくために非常に重要な点として僕はいつも指摘している。
 
ドイツでは、自分の意見を通すことが大切だとされている。なぜ自分がそのように思うのかを理論立てて説明することが初等教育においても非常に重要視されている。僕もかつて小さな子どもの練習を見ているときに、「なんでこの練習をするの? この前の練習のほうがゴールに運びやすくて効率的」という思いもよらぬ理論的な指摘を受けて驚くことがあった。
 
でもそんな社会だからこそ、いろいろな人の意見をまとめ上げ、筋道をつけていける人間が重宝される。相手の立場に立ったものの見方ができるというのは日本人の美徳の一つ。自分の意見をしっかりと持ちながらそうした視点を持つことは、将来的に息子が世界のどこでやっていくうえでも大事なベースとなるはずだ。
  
ちなみにサッカーに関してはドイツ語オッケーとしている。というのもこっちでサッカーを見て、サッカーをしている息子たちはその感覚が日常化しすぎており、ドイツ語でのほうが自然と楽しむことができるからだ。好きなチームはバイエルン、好きな代表チームはドイツ代表。日本人選手や日本代表も少しは気になるらしいが、そもそもまだそんなに日本サッカーを見たことがないし、代表チームをあおるテレビ番組もこっちだとないしで、感情移入が難しいのが現実。そんなわけで今度の一時帰国時にでも一緒にスタジアムに足を運んで、日本サッカーを見に行けたら素敵だなと思う。初めてちゃんと見るそのサッカーを、息子たちがどんな視点からどのように語ってくれるのか。それを今からすごく楽しみにしている。
 
<了>