トーナメント戦で1試合だけルールが異なれば、もはや意味をなさない。普通ならそれだけで暴動ものなのだが、この日ばかりは違っていた。東京ドームに詰め掛けた大観衆にとって、誰が優勝するかは二の次。むしろ、そのルールの異なる試合を目当てに集まっていた。
 桜庭和志vsホイス・グレイシー。2000年5月1日、全8選手が参加した第1回PRIDEグランプリ決勝トーナメント。同年1月に行われた1回戦に続く2回戦は、他の試合が15分1R制(ドロー判定は延長15分)であるのに対し、この試合のみ判定なし、レフェリーストップなしの無制限ラウンド制。前年にホイラー・グレイシーがレフェリーストップで桜庭に敗れているため、それを不服としたホイス側が要求したルールであった。

 日本の格闘技界にグレイシー旋風が吹き荒れる中、桜庭はファンの“希望”そのものだった。師匠の高田延彦がヒクソン・グレイシーに2連敗、ホイスにも同グランプリ1回戦で判定負けする中、桜庭は同じ一族のホイラーをきっちりチキンウイングアームロックに極めて快勝していた。
 「体重では10キロ以上も桜庭が上回り、今になって思えば勝って当然だったのかもしれないが、その当然の1勝が日本人の誰にもできなかった」(格闘技ライター)

 桜庭は'97年、ケージマッチのUFCジャパンヘビー級トーナメントでも優勝している。
 「桜庭が片足タックルに入ったのを、レフェリーが“ヒザを受けてのダウン”と判断。一度は理不尽な判定負けとされたものの、ケージ内に居座って抗議した結果、再戦となり腕十字で勝利。このときの相手だったマーカス・コナンは柔術黒帯で、桜庭は重量級の黒帯相手に勝った初の日本人選手となりました」(同)
 桜庭の優勝コメント「プロレスラーは本当は強いんです」は、名言としてファンの心に刻まれた。もちろん、ホイスも第1回UFCで優勝して以降、世界の格闘技シーンをけん引してきた強者ではあるが、それでも多くのファンは桜庭の勝利を信じて疑わなかった。

 緊張と興奮に包まれた東京ドーム。おなじみのグレイシートレインで入場したホイスに続き、桜庭の入場テーマが流れると、花道にはストロングマシン風のマスクをかぶった男が3人並んだ。館内のどよめきを気にするわけでもなく、ひょうひょうとリングイン。リングアナのコールとともにマスクを脱いだ桜庭の髪は、イメージカラーのオレンジに染められていた。
 ファンサービスのエンタメ精神と同時に、相手の動揺を誘う場外戦の意味もあったのか。しかし、百戦錬磨のホイスもさすがで、眉ひとつ動かすことなく試合開始のゴングを迎えた。

 得意の寝技に持ち込もうと引き込みにかかるホイスに対し、桜庭はスタンドのまま背中を向けて腕を取りにかかる。ホイスの腕をつかんだまま、ロープから場外に半身を乗り出し、ニヤリと笑う桜庭の表情が館内モニターに映されると、観客席から大歓声が上がった。
 ホイスがグラウンドに誘う隙を突いて、桜庭が膝十字を極めたところで15分が経過。1R終了のゴングが鳴らされた。
 「あとになって、このときホイスの脚が壊れたとの情報もありましたが、ともかく以後は、桜庭ペースの試合となりました」(同)

 ホイスの柔術着を脱がせにかかったかと思えば、モンゴリアンチョップを打ち込む。それもご丁寧に、天山広吉ばりに手刀を切ってからのものだった。さらに、ホイスの帯をつかんで引き上げると、AVでいうところのマングリ返しの体勢に持ち込む“恥ずかし固め”まで、やりたい放題の展開。桜庭の人柄から、どこかユーモラスな印象もあったが、いずれも柔術のセオリーを覆すべく考え抜かれた戦法であった。
 結果、試合が6R(90分)に及んだところで、ホイス陣営は脚のダメージから、試合続行は不可能とみてタオルを投入。この瞬間、桜庭は完全なるグレイシー越えを果たし、日本格闘技史上にその名がしっかりと刻み込まれた。