「ビール前に水を飲むやつは出世しない」東海林さだおは凄いことを言う

写真拡大 (全2枚)

『中央公論』10月号で酒特集が組まれていると聞き、手に取った。第二特集的な扱いではあったが(第一特集は「習近平の実力」)、45ページに渡り硬軟織り交ぜた記事が並び、よい酒のツマミになったので紹介したい。


「ビール前に水を飲むやつは出世しない」by 東海林さだお


「旨い酒が飲みたい!」と銘打った特集は、まず東海林さだおと椎名誠の対談「人生のコトはビールがみんな教えてくれた」から始まる。さながら「まずはビール!」といったところか。酒飲み的にはお馴染みであり、鉄板の組み合わせである。

これまでも、ことあるごとにビール愛を語ってきたこの2人、その執着ぶりは相当なものだ。ビールを飲んだ椎名の第一声からして、

うー。効くなあ。今日は午後三時から水分をとらないで来た。

である。応える東海林も、

そういうことを全然考えない人がいるからね。これからビール飲みに行くというのに、水を飲んでいる人。

と、「ビールを最高の状態で味わう」ことに無頓着な人に対する不信感をあらわにする。「ビール前に水を飲むやつは人間として信用できない/脇が甘いから出世しない」「ビール飲んで『あー、うまい』とも何とも言わないやつは馬鹿」「でも、そういうやつに限って酒が強い。そして、酒癖も悪い」などと持論を展開、まったく容赦なしだ。

その後は、「最近の若者は……」系の話から、椎名がカナダのバフィン島で21日間ビールを飲めず苦しんだ話(ビール自体が無いそうな)、理想の居酒屋像などなど、飲みながらの対談とあって、話題はあっちこっちへ。

酒の話題からはちょっとズレるが、「最近の若者は酒を飲まなくなった」という話の流れで、「文章」に言及した箇所が印象的だった。

メール、ツイッター、LINE等、いわばITが文章の在り方を変えたーーというところまでは、まあよくある話だ。だが東海林は、その誰もが毎日何かしらの文章を書いている現状から、読者の文章に対する見方の変化を指摘する。

新聞のコラムなんて字がびっしり書いてあるでしょう。真っ黒に。そういうのを見て、「ああ、これはダメ、読む気しない」と思う人は多い。書くほうもそれに対応しないと。真っ黒な人は絶滅しちゃう。

なるほど、だから東海林エッセイには改行が多いのか! 改行を多用する(というか、句点ごとに全て改行を入れる)東海林独特の文体には、こうした狙いがあったのである。気になって、1971年に刊行された1冊目のエッセイ集『ショージ君のにっぽん拝見』(文庫版の初版は76年)をあらためると、確かに今よりも改行が少ない。もっとも東海林エッセイにおいての話であり、それでも一般的にはかなり多い方ではあるのだけれども。

ウイスキーは見栄っ張りのための酒だった?


また、以前ここエキレビ!でも紹介したことのある酒情報誌「さけ通信」を発行する「酒文化研究所」の代表・狩野卓也による「戦後70年、日本人は何を飲んできたか」というコラムも読み応えがあった。

内容はタイトル通り、食べることで精一杯だった終戦直後の日本が、経済成長・バブルなどを経て現在に至る70年の間に、酒に関する嗜好をどのように変化させてきたかをまとめたものだ。

現在の日本の種類消費量は年間約860万キロリットル、これは戦前のピーク時の6倍以上になるという。そして、このシェアをめぐってビール、日本酒、焼酎、ウイスキー、そして近年では発泡酒・第三のビールがここに参戦し、しのぎを削っている。

酒という嗜好品の変遷を追うことは、「豊かさ」について考えることと同義だ。

ビールは、昭和30年代家庭用冷蔵庫の普及と足並みを揃えるように消費を伸ばし、昭和39年には日本酒を抜き種類内でトップになる。狩野によれば「このころ晩酌で冷たいビールを飲めるということは豊かさの実感にもなった」という。そして、缶ビールの登場によってよりカジュアルな存在となり、さらに味や香りを重視した商品の登場によって多様な選択肢を持つ飲み物へと変貌を遂げていく。

一方、ウイスキーは、89年までは特級・一級・二級と酒税法によって3区分に分けて課税されていたことから、欧米以上にブランドごとの価格ヒエラルキーが強調されて成長した。このことによって、純粋に飲んで楽しむ以上に、「ステイタス」としての意味合いを強く帯びたという。狩野は、飲む銘柄が社会階層、思想などを主張するアイコンにもなってきたことを指摘する。

可処分所得の増加や地位の上昇につれて、サントリーレッド→ホワイト→オールド→リザーブと上級移行が当たり前のように進んでいた。さらにニッカ、バーボンなどを選べば個性派を、スコッチを選べばエスタブリッシュメントを気取ることもできた。(中略)もしかすると、高級ウイスキーの味が好きなのではなく、女性にもてるために高価な酒を飲んでいたのかもしれない。

思い返してみれば私も、今でこそ味が好きで飲んでいるバーボンも、飲み始めた頃は気取りと共に背伸び気味に飲んでいたような気がする……(恥ずかしい)。

これを読んで「そんな浅はかな飲み方は断じてしてこなかった!」と主張する方もいるかもしれない。狩野は、83年頃から始まった焼酎ブーム等を契機に、ウイスキーが00年初頭までに最盛期の1/4まで減少してしまったことに触れ、ウイスキーが「自己主張」のために飲まれてきたことを証明してみせる。

焼酎ブームが到来すると、さまざまなシーンでウイスキーは焼酎に置き換えられ、その市場を短期間で大幅に失ったからだ。ウイスキーが嗜好品として味が評価されて飲まれていたのであれば、全く別種の酒である焼酎にこのように劇的に置き換わるとは考えられない。

読みながら、こうした鮮やかな分析に幾度となく膝を打った。こんな方向から戦後70年を振り返るのも面白いものだ。

『文學界』10月号「酒とつまみと小説と」特集もよろしく


『中央公論』「旨い酒が飲みたい!」特集には、他にも日本外交におけるワインの重要性を論じた西川恵の「日本外交をワインで読み解く」、日本人とウイスキーの関係〜日本におけるウイスキー造りの歴史を追った土屋守の「ジャパニーズウイスキーの芳醇な世界」、酒造会社の経営難から消えつつある安芸津杜氏とそれに代わる技術の開発を取材した葉上太郎の「消えゆく杜氏の清酒造り」、『酒場放浪記』でおなじみ吉田類のエッセイ「酒は人の上に人を造らず」(これは今後、連載として続行するそうだ)と、じつに濃い読み物が揃っていてオススメだ。

あ!

そうそう、「酒」といえば、私が企画段階からお手伝いした『文學界』(文藝春秋)10月号「酒とつまみと小説と」特集もひじょうに面白いので、ぜひ!(全然さりげなくない宣伝でスミマセン)


酒のツマミとしての小説「極上つまみ小説」(戌井昭人、藤野可織)や、好きな酒本(お酒の場面が出てくる本)&酒量アンケート「グラスを傾けながら読みたい名文撰」などなど、酒と本好き必読の読み物が揃っています。

また、構成を担当した女性作家3人がお酒と生活と小説について語り尽す「日本酒女子会 完全実況中継」(柴崎友香×島本理生×村田沙耶香)も収録。お酒の思い出、失敗談、小説でお酒のシーンを描く意味……等々、根掘り葉掘り伺いました。

ちなみに、『文學界』は10/7に、『中央公論』は10/9に次号が出てしまうので、興味を持たれた方は急ぎ書店へお願いします(もちろんAmazonでは買えます)。
(辻本力)