語り継がれる大一番がある。土俵の神に愛された"角聖"たちの血沸き肉躍る激闘譚!!

初日、2日日と横綱・白鵬が連敗。その後、休場するという波乱含みの幕開けとなった大相撲秋場所。終盤に差し掛かり、手に汗握る熱戦が続いたが、大相撲の歴史に残る大一番と比べると、少し物足りないと感じている読者諸兄も多いことだろう。そこで本誌は、専門家3人に「これは!」と思う名勝負を挙げてもらった。誰もが知る大一番あり、その一方でマニア受けする一戦や珍戦もあり。本誌が自信を持ってお届けする大相撲激戦史、いざ開幕!

その1 前乃山VS大鵬(昭和44年秋場所)

三役復帰後、好調を維持していた関脇・前乃山(のちに大関)は、張り手を交えた突き押し相撲が得意。

その前乃山は、大鵬戦で立ち合いから猛然と突っ張り、大鵬がひるんだ隙に強烈な張り手を繰り出した。

その一撃に、なんと、大鵬は脳震とうを起こしてしまう。それでも前乃山は攻撃の手をゆるめず、そのまま押し出して圧勝した。なにしろ当時、子どもの好きなものといえば、"巨人・大鵬・卵焼き"といわれた時代。漫画家のやくみつる氏は、

「相手は"あの大鵬"ですよ。禁じ手とまでは言いませんが、大横綱に向かって、あそこまでの張り手を見舞うとは、大それた取り口。僕はまだ小学校5年生でしたが、テレビでその取組を見ていて、"怖いな"と直感的に思いましたね。いまだに、あのときの光景が忘れられません」

と語る。

まさに、やく氏を含め、当時の子どもにとって悪夢とも言うべき一番だったに違いない。

その2 貴ノ花VS清国(昭和46年秋場所)

当時の関脇・貴ノ花(のちに大関)は、角界のスーパーアイドル。とはいえ、人気先行のきらいがあった。だが、この大関・清国戦は、貴ノ花がただのアイドルではなく、「実力を兼ね備えた力士である」という一面を周囲に印象づけた記念すべき一番となった。

「立ち合いから優勢に攻め立てた清国が、貴ノ花の左足を抱え上げたんです。大関が格下の貴ノ花の足を取ったわけですよ。それにも驚きましたが、それ以上に衝撃だったのが、貴ノ花の驚異の粘り腰」(やく氏)

片足を取られた貴ノ花がケンケンの要領で耐えること10秒余り。うまく体を入れ替えた瞬間、清国の右上手を取り、半身のまま土俵際へ寄り立て、最後は上手出し投げで破ったのだ。

片足だけで逆転勝利した取り口は今も伝説である。

その3 輪島VS北の湖(昭和49年名古屋場所)

史上最年少で横綱昇進を狙う北の湖は、14日目まで1敗。片や輪島は2敗。横綱2人(琴桜と北の富士)が引退したため、横綱と大関ながら、千秋楽の結びで、優勝を賭けて激突することになった。

まず結びでは、強引に寄る北の湖に対して、輪島は満を持して、左下手投げを繰り出し、北の湖を土俵上に転がす。これで相星となり、優勝決定戦へ。

そこでも北の湖は、輪島の左下手投げに屈し、輪島に逆転優勝を許した。翌場所、北の湖は横綱へ昇進するものの、2番続けて輪島に敗れたことが昇進ムードに水を差す結果となった。

「"黄金の左"といわれた輪島の強さが存分に発揮された取組です。輪島の強烈な右おっつけからの左下手投げは天下一品。下手投げで、輪島にかなう力士はいないと思いますよ」(相撲雑誌・読売『大相撲』元記者の長山聡氏)

結びと優勝決定戦、2番続けて"黄金の左"が炸裂した伝説の一番となった。

その4 魁傑VS旭国(昭和53年春場所)

大相撲史上、最長不倒といわれる熱戦。魁傑は大関に2回昇進したことで知られるが、このとき、2回目の大関陥落で平幕へ番付が下がり、翌年に引退。一方の大関・旭国も三十路のベテラン力士だった。

その2人が水入り、取組再開で、計10分を越える死闘を繰り広げた。

「熱戦といっても、普通は長くて3分。しかも、最近は四つに組み合っての相撲が減ってきているだけに、記憶に残っています」

と感慨深く語るのは『大相撲想い出の名力士たち』(双葉社刊)の著書があるノンフクションライターの武田葉月さん。

まず、小兵の旭国が右を差して頭をつけ、やがて両者、左四つがっぷりとなり、両者攻めあぐんで水入りとなった。再開後、魁傑は旭国の体を起こし、右上手投げを繰り出そうとするが、それも決まらず、再び水入りに。協議の結果、一番あと(約10分後)に取り直しと決まり、両者はいったん支度部屋へ下がる異例の事態となった。

「三十路の両者が渾身の力を振り絞り、取り直しの一番では、すくい投げで魁傑が勝ちました。でも、そのときの髪はもうボサボサ。ヘトヘトになったベテラン2人の姿が忘れられません」(前同)

NHK相撲中継も午後6時までには終わらず、25分間の延長になったという。

異例尽くしの一番だ。

その5 高見山VS貴ノ花(昭和55年秋場所)

高見山は最高位の関脇から平幕へ陥落し、貴ノ花は引退する前年。観衆を魅了してきた人気者同士の最後の戦いが名勝負となった。

高見山がまず得意の突っ張りで突き放しにかかろうとすると、貴ノ花は巧みに突っ張りをかいくぐって両差し。貴ノ花は右から投げを打ち、高見山の巨体は大きく傾いたものの、高見山は左小手投げを打ち返し、右手で貴ノ花の頭を押さえつけた。

「土俵際の小手投げ(高見山)と、すくい投げ(貴ノ花)の打ち合いが見事。いったん、高見山が先に落ちたように見え、貴ノ花に軍配があがるんです。しかし、物言いがつき、貴ノ花のマゲが先に土俵についていたとして、軍配差し違えで高見山の白星。貴ノ花の驚異の足腰、さらには、差し違いでの黒星にも一切言い訳をしなかった潔さが素晴らしいですね」(武田さん)

のちに、貴ノ花が"マゲ敗け"したと語り継がれる伝説の一番である。

その6 西乃龍VS貴花田(平成2年春場所)

のちに"平成の大横綱"となる貴乃花(当時は貴花田)の十両時代の一番。その貴花田は十両に昇進した際、「史上最年少で関取になった」と騒がれ、当時、十両の力士たちは「貴花田にギャフンと言わせてやれ」を合言葉に、打倒・貴花田に燃えていたという。

「17歳の貴花田に対して、西乃龍は"十両の番人"といわれる26歳。その意地もあったんでしょう。立ち合い後、西乃龍の厳しい張り手を頬に受け、虚を突かれた貴花田は無残にも土俵下に突き倒され、館内からは悲鳴があがりました。前年、西乃龍は若花田(のちに横綱・若乃花)にも同じ作戦で勝ち、若貴兄弟を揃って破った初めての力士となりました」(武田さん)

西乃龍はその後、しこ名を常の山と改め、新入幕を果たすが、やがて幕内に定着できず引退している。いくら若貴兄弟を初めて連覇した力士とはいえ、それだけでは記憶に残らないが、この話には続きがある。

はるか後年。引退後に貴乃花親方は、大阪場所(3月場所)担当部長となり、在阪中、毎日のように大阪・千日前で西乃龍が経営する、ちゃんこ料理店に通っていたという。

「順当に昇進していた貴乃花が、西乃龍に敗れて初めて壁にぶちあたり、それを乗り越えられたからこそ、今の自分がある。そんな思いで、店に通っていたのかもしれません」(前同)

この後日談なくして語れない名勝負だろう。

その7 貴乃花VS武蔵丸(平成13年夏場所)

「痛みに耐えて、よく頑張った。感動した! おめでとう!」

優勝した貴乃花に内閣総理大臣杯を授与した小泉純一郎首相(当時)の名セリフとともに、「日本中が感動した一番。千秋楽の優勝決定戦、手負いの貴乃花が"鬼の形相"で武蔵丸を投げ捨てました」(長山氏)

この場所、13日目まで全勝で来た貴乃花に14日目、異変が起きる。大関・武双山との対戦で右ひざ亜脱臼のケガを負い、千秋楽の出場さえ危ぶまれたのだ。

しかし、貴乃花は強行出場。武蔵丸との本割(正規の取組)での対戦では予想通り、相手にならず、武蔵丸が完勝。まさか、優勝決定戦で奇跡が起きるとは誰も予想していなかった。

「決定戦で土俵に上がった貴乃花が塩を取りに行き、そのとき、亜脱臼している右ひざを回してみたら、うまくハマったというんですよ。それで、なんとか戦えると思ったと……」(前同)

貴乃花は右足を引きずりながら対戦に臨み、左からの上手投げで勝利した。そのあと、目を吊り上げ、唇を噛みしめた表情は、まさに"勝負の鬼"。これが貴乃花最後の優勝になった。

その8 旭天鵬VS栃煌山(平成24年初場所)

モンゴル力士のパイオニア、旭天鵬が現行制度では初となる平幕同士の優勝決定戦を制し、史上最年長(37歳8か月)の優勝を果たした取組。記録尽くしの一番となったが、この場所、旭天鵬は5日目まで2勝3敗の負け越しだった。

しかも、場所が始まる前、師匠の大島親方(元大関・旭国)が定年退職し、所属する大島部屋は閉鎖。友綱部屋に移籍し、初めて迎えた不安含みの場所だった。だが、6日目から破竹の10連勝。まさかの優勝を成し遂げたのだ。

「当たって、まわしを取られないようにするというシンプルな作戦で、一発勝負に出た旭天鵬が貫禄勝ち。優勝を決めて花道を下がる際、旭天鵬は涙にくれ、迎える付け人や弟弟子が号泣していたシーンが印象的でした。横綱・白鵬らモンゴル勢の兄貴分として、旭天鵬が皆に慕われていたことを、改めて証明してくれました」(武田さん)

勝って流した涙が印象に残った一番だった。

その9 白鵬VS稀勢の里(平成25年夏場所)

白鵬時代に突入後、多くの名勝負を残した2人。取材した専門家もいくつか、2人の取組を挙げている。

たとえば、平成22年九州場所2日目の取組。当時、白鵬は初場所から積み重ねた白星が63個となり、双葉山(元横綱)の69連勝越えも夢ではなかった。

「だが、白鵬戦に特別な執念を見せる稀勢の里(のちに大関)は、張り手で白鵬から冷静さを奪い、土俵下に突き落としました。土俵下に落ちた白鵬の呆然とした表情が忘れられない一番です」(武田さん)

"平成相撲史上最大の金星"と呼ばれる一番だ。この名勝負と甲乙つけがたかったが、本誌が「白鵬・稀勢の里」のベストバウトに選んだのが、平成25年夏場所14日目の取組。横綱(白鵬)と大関(稀勢の里)の両者が優勝を争い、全勝同士で迎えたこの日。

まずは稀勢の里が差し勝つ形で左四つに組み、さらに稀勢の里が右上手を取って十分な体勢になった。

「その後も、稀勢の里の寄りに右足が崩れかかった白鵬ですが、執念のすくい投げで制したんです。千秋楽には稀勢の里が敗れ、結果、全勝で白鵬の25回目の優勝が決まりました。かつて稀勢の里には連勝を止められているだけに、白鵬の勝負への執念を感じた一番でした」(長山氏)

その10 高安VS里山(平成26年初場所)

ラストは、やく氏が「僕の中でベストバウト」という取組で締めくくろう。

「それまでは、昭和46年九州場所の三重ノ海−黒姫山戦がベストでしたが、40年以上経って、ベストバウトが塗り替えられました」

ちなみに、三重ノ海(当時小結=のちに横綱)と黒姫山(当時平幕=最高位は関脇)は、30秒ほどの短い相撲の末、三重ノ海が寄り切って勝ったものの、両者とも流血する惨事に。

さて、その"血染めの一戦"を上回る取組とはどのようなものか。この場所で久しぶりに幕内に返り咲いた里山(現・十両)は健闘。

12日目には栃乃若相手に一本背負いという大技を決め、決まり手がアナウンスされると、館内はどよめいた。その活躍もあって、千秋楽、勝てば、初の幕内勝ち越しと技能賞が手に入る。

本人いわく、初めて「神様にお祈りして」迎えたという高安(現平幕)戦。2分を越える大相撲の末、頭をつけて高安を突き倒す。軍配は里山にあがった。

「勝った瞬間、里山の口の動きから"ヤッター!"と言っているのが分かりました。ところが、物言いがつき、里山が高安のマゲをつかんでいたとして反則負けになったんです。歓喜の瞬間から一転して奈落の底へ突き落され、そのときの里山の悲しそうな顔が忘れられません。これほど失うものが多い敗北があったでしょうか……」(やく氏)

敗者の無念さが滲み出る、ほろ苦い名勝負だった。

本誌が選びに選んだ"伝説の取組"、いかがだったろうか? これからも、永年にわたって語り継がれる一番が生まれることを願いたい。