アウシュヴィッツ強制収容所での大量虐殺には医師も関与 shutterstock.com

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 この夏、敗戦から70年の節目を迎えました。

 そもそも医学の進歩には「生きた人間を対象とした研究」が不可欠ですが、戦時下では、それを盾にとった非人道的な人体実験が行われていました。今回はその史実を振り返り、医学・医療の倫理について考えてみましょう。

戦争犯罪で注目された医師の倫理問題

 第二次世界大戦中に行われた最大の悲劇のひとつは、ポーランド南西部のアウシュヴィッツ強制収容所におけるナチス・ドイツが行ったユダヤ人の大虐殺です。150万人以上が犠牲になったこの虐殺には、兵士だけでなく医師も関与していました。

 さらにヒトラーは、「T4作戦」と呼ばれる安楽死政策(本当に安楽であったかは不明ですが)も行っています。これは「優生思想」に基づくもので、1939年から1941年までに、約7万人の障害者や難病患者が「生きるに値しない生命」として抹殺されました。この政策を行うにあたって、ヒトラーは医師に「致死法」を研究させています。具体的には、一酸化炭素、モルヒネ、自動車の排気ガス、麻酔薬などの人体に対する作用を研究させていたのです。

 1941年、ナチス・ドイツは、ポーランド国内に10か所のユダヤ人絶滅収容所を作り、毒ガスなどで集団虐殺を行いました。この集団虐殺はドイツが降伏する1945年まで続けられ、ナチス・ドイツが殺害したユダヤ人は、ポーランドのほか、ロシア、ハンガリー、チェコスロバキアなど多くの地域に及びました。

 これらの収容所で虐殺されたユダヤ人は、医師たちが研究した致死法によって殺されたのです。また、虐殺時にガス室のレバーを開閉していたのも医師です。そして、死亡を確認していたのも医師です。このような戦争犯罪に医師が加担していたことは、紛れもない事実なのです。

日本陸軍の軍医も人体実験をしていた

 1931年に満州事変が勃発し、中国東北部を支配した日本陸軍は、捕虜にした中国人や朝鮮人に対して、非人道的な細菌実験や凍傷実験、手術演習などの人体実験を行い、細菌兵器や化学兵器の研究を行っていました。

 この事実は、1993年1月、米国の国立公文書館で人体実験に関する報告書が発見されたことで明確になりました。また、米国ユタ州にある軍の実験場には、2000ページ以上にもなる日本陸軍による人体実験の報告書が保管されていました。なぜ、米国に資料が保管されていたのでしょうか?

 731部隊が行った非人道的な行為は、終戦後、戦争犯罪者を裁く東京裁判の対象になるべきものでした。731部隊長を務めた2人の軍医は、当然、GHQ(連合軍総司令部)の呼び出しを受けました。その際、731部隊の行ったことについての資料を提示したところ、米軍はその内容が得難い貴重な資料であることに驚愕したのです。そして米軍は、この資料を独占し、当時のソ連軍には「部隊長は消息不明で戦犯に値しない」とする見解を伝えたそうです。

 軍医とはいえ、医師がこのような非人道的な人体実験を行っていたということは、わが国の歴史を考えるうえで、決して無視してはならないことです。

 第二次世界大戦中、日本国内でも非人道的な人体実験が行われています。1945年5月、米軍のB29爆撃機が大分県内に墜落しました。10人の搭乗員がパラシュートで着地し、捕虜として収容所に入れられました。12日後、2人の搭乗員が九州内の医大へ連れて行かれました。そして、手術の必要もないのに、損傷がない片肺を摘出した後、体内に海水が注射されました。海水を注射したのは、代用血液の研究のためだと言われています。

 このような人体実験が計4回行われ、捕虜8人の命が奪われました。その後まもなく終戦を迎えましたが、この事実はしばらく伏せられていました。しかし、翌年、手術を担当した九州帝大(現在の九州大学)の関係者14人、軍関係者11人がGHQに逮捕されとことで、「九州大学生体解剖事件」として知られるようになりました。後に遠藤周作の小説『海と毒薬』のモチーフになった事件です。

 この事件が発覚した直後、九州帝国大学は組織的関与を否定しています。しかし、先輩医師の中には、この事件を風化させず後世に伝えることが重要だと話している方もいます。

医学倫理の礎となった「ニュルンベルグ綱領」

 ドイツが連合国に敗れた後の1945年8月8日、国際軍事裁判が設置され、戦争犯罪や非人道的行為への裁判が行われました。この中で、戦争という名の下に医師に人体実験を行わせ、そして人命を奪ったことが強く非難されました。その一方で、これらの実験結果には、皮肉なことに医学の進歩につながる大きな発見も含まれていたと伝えられています。

 1947年、裁判の判決文がドイツのニュルンベルグで公表されました。そこでは、医学の実験が許されるための10箇条が定められました。これが「ニュルンベルグ綱領」として知られるものです。医師という立場の者が、非人道的に人の生命を奪っていたことは、紛れもない事実です。これが医学や医療倫理の礎となったのです。

一杉正仁(ひとすぎ・まさひと)
滋賀医科大学社会医学講座(法医学)教授。厚生労働省死体解剖資格認定医、日本法医学会法医認定医、専門は外因死の予防医学、交通外傷分析、血栓症突然死の病態解析。東京慈恵会医科大学卒業後、内科医として研修。東京慈恵会医科大学大学院医学研究科博士課程(社会医学系法医学)を修了。獨協医科大学法医学講座准教授などを経て現職。1999〜2014年、警視庁嘱託警察医、栃木県警察本部嘱託警察医として、数多くの司法解剖や死因究明に携わる。日本交通科学学会(理事)、日本法医学会、日本犯罪学会(ともに評議員)など。