姉とハレンチ、ロバと破廉恥、手塚治虫はひたすらヤバい「じゃあ つまり…ご主人は…ロバと…?」

写真拡大

手塚治虫『空気の底』と『アドルフに告ぐ 1』がAmazonキンドルセールで今月107円。


『空気の底』は、大人向け雑誌「プレイコミック」に月1回連載された作品群。
扱われているテーマは、以下の通り。
人種差別、近親相姦、獣姦、異常性欲、格差社会、犯罪、公害問題、学園闘争、新薬実験、核戦争。
ダークでヤバい手塚治虫が好きな人にはゾクゾクくる14編である。
『時計仕掛けのりんご』『火の山』『サスピション』も、大人向け雑誌掲載の短編集だが、『空気の底』はそれらより一層救いのない話が多い。

巻頭に記された言葉からすでに無慈悲だ。

金魚鉢の底はいつも水がよどんで
たべ残しや糞や泥やらでどろりとにごっている
われわれの世界が
犯罪やさまざまな悲劇でうずまいているのも
それと同様に
深く沈んだ大気の底だからかもしれない
人間の一生のあいだにほんのわずかでも
清い空気の中のやすらぎを求めないものがいるだろうか?

ダークなうえに、近親相姦をテーマにした短編が多いのも本書の特徴。
「わが谷は未知なりき」は、谷の外に出たことがない一族の物語。
宇宙移民のテストとして暮らしており、基地では自分たちを見守ってくれている人がいると信じている姉弟。そこに男が迷い込んでくる。姉とその男は恋におちるが……。
SF的なツイストの効いた短編だが、それよりも印象に残るのはラストの父の遺言だ。
姉弟に「結婚しろ」と言い、遠大な計画を述べる。「火の鳥」の1エピソードに連なっていきそうな短編である。

「暗い窓の女」も、近親相姦モチーフだ。
「肉体的に……たとえば手術や放射線で その血のつながりをブッツリと切ることができないもんだろうか……」
「そりゃ不可能だね 遺伝子ってやつがある(中略)……つまり血筋ってやつだな」
医者に哀願するのは外山は、妹と肉親の縁を切りたいと願っている。
「ぼくの前に何十枚も厚い氷の窓が重なりあって そのむこうにきみがぼんやりと映っている その氷が割れるのは……この瞬間なんだ」「夜明けよ にいさん……」と会話しながらのベッドシーンもある。

「ふたりは空気の底に」は、多発性核ミサイルで世界中に死の灰が撒き散らされた未来が舞台だ。
宇宙旅行用のユニットカプセルに残されたふたりの赤ん坊。カプセル内で、学習ビデオを観て成長している。
学習ビデオのひとつをふたりで観るシーンが衝撃的だ。
スクリーンに映し出されるのが、海外ポルノの映像。手塚が描いているのではなく、ここだけ実写を合成している。
手塚治虫の絵の中に、写真が、しかもおっぱい出してる外人の実写が合成されているのは、なかなか衝撃だ。生々しい。
「ぼくは やっと きみとぼくと なぜふたりがいるのかわかったよ
こうするためだったんだ……ひとりじゃできないもんな」
「なんていうの こういうこと」
「ハレンチっていうんだ きっと……」
おっぱいに顔を埋めてのこのセリフ。
さらに、二匹の有翼馬になり、惑星に飛び、濡れた波が押し寄せ、半ば溶けた男女が重なりあう圧巻のイメージシーンが続く。

「ロバンナよ」の語り手は手塚治虫自身。
旧友のところを訪ねる。
彼はロバを飼っている。
「主人は…人間よりもむしろ
けものに はげしい愛情をもっているん
です…私にウマになれ ほえろ かみつけ
といい私の首にクサリを……」
旧友の妻は、夫に軟禁されているので、「私を連れて逃げて!」と訴える。
「じゃあ つまり……ご主人は…ロバと……?」
逃げ出そうとした手塚が見つけるのは地下の実験室。
さらに、旧友の驚くべき打ち明け話に続いていく。
語る内容はお互い矛盾していて、どれも信じがたい話。
誰が狂っていて、誰が変態なのか。
異常性欲と、夫婦の愛と、獣との愛を描いた問題作だ。

“『空気の底』に収録されているいずれの作品も長編に成りうる要素を持っている”と手塚本人が語っている。
「グランドメサの決闘」は、父親の敵討ちをしようとするが、反対に親指を撃たれてしまった男が主人公。
彼は、今度は法律の力で復習しようとする。文盲に近かったスティーブが、勉強をし、連邦地方裁判所へ勤務。搾取されている農民を団結させて鉄道運賃の規制法案を州に成立させ、さらに独占企業をセーブさせる連邦法ができるまでを、たった1ページで描く。
3巻ぐらいで読みたい部分がたった1ページ!

公害問題を扱った「うろこが崎」は衝撃のラストで、ぴりっと決まった短編になっている。
が、考えてみれば、奇病モンモウ病を描いた長編『きりひと讃歌』へつながる話でもある。

「暗い窓の女」は、『ブラックジャック』の「ふたりの修二」へとつながる。会社の跡継ぎのために「この子を手術で男にかえることはできますかな?」と言われる姉の久美と弟の修二の物語だ。修二と、「暗い窓の女」で「女になろうなんて気じゃないだろうな」と言われる外山は、同じキャラクターで描かれている。

黒人の臓器を移植された白人を描いた「ジョーを訪ねた男」は、ブラックジャックそのものにつながっていった作品だろう。

収録作は、以下の通り。
ジョーを訪ねた男
野郎と断崖
グランドメサの決闘
うろこが崎
夜の声
そこに穴があった
カメレオン
猫の血
わが谷は未知なりき
暗い窓の女
カタストロフ・イン・ザ・ダーク
電話
ロバンナよ
ふたりは空気の底に

読み応えのある短編集だ。
(米光一成)