プロボクシングにおいて、避けては通れないのが減量。余分な脂肪を落とすことで、自身の動きにキレが増すというだけでなく、階級を下げれば対戦相手が弱くなる…むしろこちらを主目的として過酷な減量に取り組むケースがほとんどだろう。筋肉量や体重の少ない相手であれば、それに伴いパンチ力も減ぜられるのだから、勝利の確率が高まるというのは当然の理屈だ。だが、そんなボクシング界の常識に背を向けて、世界王座にまで上り詰めた日本人ボクサーがいた。

 輪島功一。25歳にしてプロデビューという超出遅れのスタートながら、連戦連勝で日本スーパーウエルター級王座を獲得。いよいよ世界挑戦が見えてきたとき、所属ジムは2階級下の世界王者とノンタイトル戦を組んだ。階級を下げなければ、輪島の世界王座獲得は無理との判断だったが、試金石となるはずだった一戦で輪島は初回KO負けを喫してしまう。
 「普通ならそこでおしまいですが、輪島は違った。『減量なんて男らしくない』と、元の階級での世界挑戦を目指したのです」(ボクシングライター)

 だが、スーパーウエルター級の旧称はジュニアミドル級。身長170センチの輪島に対して、180センチ台の強豪がゴロゴロいて、リーチもゆうに10センチは違う。日本では中量級の層が薄く王者になれたが、世界となると話は別だった。
 「輪島の世界戦は“引退へ向けての思い出づくり”と、周囲の誰もが思っていました」(同)

 そうして迎えた1971年(昭和46年)10月31日、対するはWBA・WBC世界スーパーウエルター級統一王者のカルメロ・ボッシ(イタリア)。アマ時代には'60年のローマ五輪で、銀メダルを獲得したテクニシャンである。ボクシング経験は雲泥の差だった。
 万に一つも勝機はないとの前評判の中、輪島本人も決して自信があったわけではなかった。だが、諦めてもいなかった。この日のために輪島が用意した秘策が、後々まで伝説として伝わることになる“カエル跳び”である。相手の視界から消えるほど深くしゃがみ込んで、そこから跳び上がって右フックを放つ。まさに捨て身の攻撃だった。
 「決してクリーンヒットには見えなかったが、それでもボッシが動揺したのは、以後のリズムの乱れからも明らかでした」(同)

 カエル跳び戦法に対しては「こんなのはボクシングじゃない」と、評論家たちからの批判もあった。テレビの実況から生まれたそのネーミングはどこかユーモラスで、ファンからは“ネタ”として受け取られもしたが、輪島からすれば懸命の一手だった。
 「相手の技術は超一流で、背丈で劣り、リーチも短い。まともに正面から行けば必敗で、どうしても目先を変える必要があった」(同)
 しかも、試合中盤になってしゃがみ込むことは、足腰への負担が大きく、もしそれでスタミナ切れとなれば、最大の敗因として非難を受けたはずだ。

 この試合では、もう一つの輪島伝説“あっち向いてホイ”も披露している。一瞬、相手から目線を切るフェイントは他でも見られるが、世界戦の舞台で完全によそ見をしたのは、後にも先にも輪島だけだろう。自分がよそ見をするのに釣られ、相手が顔を横に向けた隙にパンチを打ち込む戦法である。
 しかし、相手が奇策に動じず、逆にパンチを食らえば一撃KO負けは必至。それでも輪島は、世界王者を相手に実行してみせた。

 「パンチ力やスタミナでは劣るかもしれないけれど、ボクシング頭脳では誰にも負けない」
 のちに輪島はうそぶいてみせたが、決してそれだけではない。戦後、ソ連が侵攻してきた樺太から逃れ、職を転じながらしぶとく生き延びてきた輪島は、この試合に全人生を懸けていた。その結果として、世界王座奪取(15R判定)の奇跡が生まれたのだ。