土屋礼央の「ざっくり聞くと」(第13回)〜SNAIL RAMP・TAKEMURAがキックボクシング日本王者になったワケ〜
◇「キックボクシングが好きだから、キックを辞めるという考えがなかった」
土屋: あくまでも、軸は音楽でキックボクシングは趣味だったんですか?
TAKEMURA:うーん…キックボクシングでプロデビューをしたのが2002年12月なんですが、その2ヶ月前の10月にSNAIL RAMPが活動休止していて。SNAIL RAMPは休みだったけど、レーベルを法人化して事務所を構えたり、バンドのマネージメントをやってる時期だったので、最初は事務所の仕事とキックボクシングとの両立という感じでした。
土屋: 両立できると思っていたんですか?
TAKEMURA:うん、当時は。基本的には音楽のことが優先で、その合間で試合ができる時にする、というスタンスだったので。
土屋: でも怪我でライブに影響が出るって、同じミュージシャンとしてヤバイって思っちゃうんですけれども。
TAKEMURA:それが当たり前ですよね。その当時、面と向かって俺に「キックボクシングをやめろ」という人はいなかったけど、周りの全員がそう思っていたのはわかってたし。
土屋:(笑)。
TAKEMURA:特にアルバムのツアーが始まって、1週間ツアーして戻ってきた日に、練習でスパーリングしたら中手骨を折ってしまって、そのあと1ヶ月くらいツアーが続くのに、ピックが持てない状態になってしまって。仕方ないからガムテープで指をぐるぐる巻いて、なんとかやっていました。ファイナルの日になって、ようやく治ってきたな、今日なら弾けるかもって感じでしたけどね(笑)。
土屋: バンドやりながらキックボクシングって、スケジュール管理はどうされてたんですか? 遊ぶ時間も欲しいでしょう?
TAKEMURA:遊ばなかったですね。プライオリティを、音楽とキックの両方においていました。でも基本は、余程のことがない限り練習は休まないと思ってやってました。
土屋: どれくらいのペースで練習するんですか?
TAKEMURA:1日は休養日を作る必要があるので、週5〜6日ですね。本当はもっと休んだほうがいいんだけど。今は、練習日を減らすというより、1日の練習量を減らすという方向にシフトしてやっています。
土屋: それ、曲作りはいつするんですか!?
TAKEMURA:まぁ、必然的に後回しになるっていう(笑)。
土屋: (笑)3戦でやめようと思っていたのに、どうしてチャンピオンまで続けられたと思いますか?
TAKEMURA:単純におもしろくなっちゃって。それはバンドが好きで、バンドがおもしろいからSNAIL RAMPを作ったのと同じです。キックボクシングが好きだから、キックを辞めるという考えがなかったですね。
土屋: ああ!バンドと同じ感覚って言われて、やっとわかりました! 本当にやりたいことを2つ見つけてしまったんですね。チャンピオンになれるって思っていましたか?
TAKEMURA:全く思わなかったです。まず俺はセンスが無かったし、年齢的なハンディキャップもあった。途中で選手生命に関わる怪我もあって手術も3回くらいしましたからね。
最初に前十字靭帯を断裂した時は38、9歳だったのかな、医者に「歳も歳だし、これを機に引退しなさい。手術をして治すことはできるけど、パフォーマンスは元どおりにはならない。シリアスに競技をやればやるほどその差に愕然として辞めちゃうから。」「手術をしなくても日常生活は送れるから。」と言われました。でも「そうかなぁ。やってみないとわからないんじゃないかな?」って、他の病院に行きました。