「ハウルの動く城」は、「わかりづらい」と言われることの多い作品。
これについて、「荒地の魔女」役の美輪明宏は、ロマンアルバムのインタビューで述べています。
「ひとつひとつ「あれはおかしい」とかいう人もいらっしゃると思いますが、ジャン・コクトーが「この作品はただ感じてもらえればいい」と申しましたように、見る人のボキャブラリーや許容力に預けてある作品なんです」
以後「崖の上のポニョ」「風立ちぬ」と、観た人の感覚に委ねられる作品を、宮崎駿は作ります。


この映画で、特に見る人の解釈に委ねられているのは、ソフィーが年をとったり若返ったりするシーン。
本来は荒地の魔女に呪いをかけられているので、若い姿に戻るわけがない。じゃあなんで随所で戻るの?

ヒントになるのは、ソフィーのセリフ。
「あたしなんか、美しかったことなんか一度もないわ!」
「わたしきれいでもないし、掃除くらいしかできないから」
若返った状態から、スゥッと老婆の姿に戻ります。

年齢がころころ変わるソフィー。
若い姿、老婆の姿。どちらも演じるのは、当時63歳の倍賞千恵子。

ソフィーはとにかく容姿に自信がない。
けれども映画の中の老婆姿のソフィーに対し、ハウルもマルクルも、魅力を感じています。
若いことが美しさ、ではない。
だから少女の声は、老婆側を演じる人の声じゃないといけない。

ハウルを演じるのは木村拓哉。
木村拓哉が演じたキャラクターはみんな「キムタク」になる、と言われることがあります。
2014年の27時間テレビ内、SMAP解散ネタのドラマで、彼は常に「キムタク」であり続けました。
賛否両論「27時間テレビ」SMAPドラマを振り返る。中居と木村のここが怖かった - エキレビ!

また「HERO」制作発表では濱田岳が「とにかくめちゃめちゃかっこいいんですよ。常にずっとかっこいい」と述べました。
めちゃくちゃかっこいい。ここは分かる。
「常にずっと」というのはちょっと怖い。

ハウルは宮崎駿アニメでも屈指のイケメンキャラです。
ただの美青年ではいけない。大げさなしゃべり方で格好をつける色男。わがままで子供っぽい部分もほしい。
少女漫画の主人公のようだけど、もうちょっと完璧で、もうちょっとひねくれている。

「木村拓哉」を内包したハウルは、作中で様々に形を変えます。
最初は金髪に。途中で闇の精霊とともにドロドロになり、黒髪に。戦いに行って鳥のバケモノに。
どれを見ても、画面ではっきりと目立っており、かっこいい。
絵の凛々しさにあわせ、木村拓哉の声が持つ「常にずっとかっこいい」力が、ハウルの心臓になりました。

その他のキャラも、声とキャラクターのシンクロは重視されています。
美輪明宏の声ひとつで「荒地の魔女」は完成しています。
不思議な運命をたどっている火の悪魔・カルシファー。鼻にかかったしゃがれ声で演じるのは、1991年に失踪事件で世間を騒がせた若人あきら=我修院達也。
幼い弟子の少年マルクルを演じるのは、当時11歳の神木隆之介。現在では22歳。作中で大人に化けたシーンを思い出します。

声を演じた俳優陣の生き方が、そのまま反映されているアニメ。
2004年公開から11年。ぼくも年をとったことで、やっと感覚的にこの映画が理解できてきました。
(たまごまご)