ついにA代表まで登りつめた南野拓実、成長の陰にある「挫折」の数々

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1日、日本代表のヴァヒド・ハリルホジッチ監督は10月のワールドカップ2次予選に向けた日本代表メンバー23名を発表した。

メンバーはこれまでに招集されてきた選手たちが中心であったのだが、その中に一人新しい選手の名があった。その選手とは、10代の頃から将来を嘱望され続けてきたFW南野拓実である。

すでに知名度も高くその甘いマスクから人気も十分であるそんな南野だが、そのキャリアを振り返れば、実はここまで挫折の連続でもあった。

現在20歳の南野拓実は1995年1月16日、大阪・泉佐野市に生まれた。

まだプロデビューする前、セレッソ大阪の下部組織に所属していた頃から既に知る人ぞ知るスター候補で、2010年に行われたU-16アジア選手権で5ゴールを記録し大会得点王に輝くと、翌年メキシコで開催されたU-17W杯に2007年大会の柿谷曜一朗、2009年大会の宇佐美貴史に続く絶対的なエースとして参加。

大会前にFIFAで特集が組まれるほどその注目度は抜群であった。

しかしこの大会で南野に待っていたのは「挫折」の2文字だった。

当時の南野は自身のアイドルに元スペイン代表ダビド・ビジャを挙げていたが、体格、プレースタイルなどからアルゼンチン代表セルヒオ・アグエロに似た選手であるとも形容されていた。

それは上背はないが低い重心で当たり負けせず、相手最終ラインの裏へ巧みにボールを呼び込み、抜群の決定力を誇るその姿に由来する。

しかし、当時U-17代表の監督を務めていた吉武博文氏(現今治FCトレーニングメソッド部長)は、柿谷、宇佐美を擁しながらグループ敗退に終わった過去から、1人のスター選手よりチーム、「ボランチ10人が理想」というショートパスを細かく繋いで相手を切り崩すバルセロナ式のフットボールを実践していた。

そのなかで個人能力に秀でるものの、パスワークへの過度な参加をあまり得意としていなかった南野のスタイルが衝突してしまったのだ。

結局この大会で日本はベスト8の快挙を達成したにもかかわらず、南野は2試合の先発出場で1ゴールと不本意な結果に終わることとなる。


U-17W杯が行われた翌2012年、南野は2種登録のままセレッソでJデビューを果たし、その翌年にトップ昇格を果たす。

当時のセレッソには柿谷がおり、南野は主に中盤のサイドで起用されたがデビューシーズンで5ゴールとまずまずの数字を残し、「ベストヤングプレーヤー賞」を獲得した。

順風満帆に見えたが、ここでもまた、彼にとっては厳しい試練が襲いかかる。

2014年、クラブは2010年W杯の最優秀選手でウルグアイのレジェンド、ディエゴ・フォルランを迎え、初優勝を目標に掲げた。南野はこの年の4月、W杯本番を控えるアルベルト・ザッケローニ体制のA代表が実施した合宿に10代ながら招集を受けている。本大会のサプライズ選出こそ逃したが予備メンバーに選ばれ、その才能は百戦錬磨の名将をして明らかだった。

しかしセレッソはフォルラン獲得を強行したフロントとチーム内の微妙なズレもあり、開幕から噛み合わず低迷。そんなチームで南野も独善的なプレーを見せ始め、7月にはスイス・バーゼルへ移籍する先輩・柿谷のお別れ試合で退場するなど明らかに苛立ちを募らせてた。

そしてチームが優勝どころか残留争いに巻き込まれていた最中の10月、南野はU-20W杯の予選を兼ねたU-19アジア選手権のためにチームを離れることになる。

U-17代表で挫折を味わった南野だが、ジュビロ黄金時代の指揮官・鈴木政一監督率いるU-19代表では再び絶対的なエースに返り咲き、さらに主将としてミャンマーで行われたこの大会に臨んだ。

南野は期待通りの働きを見せる。

グループステージ初戦の中国戦でゴールを決めると、決勝トーナメント進出がかかった宿敵・韓国戦では2ゴールを記録。日本を勝利とグループ突破に導くと同時に、アジア最大の難敵を敗退に葬ったのである。4大会ぶりのU-20W杯出場へ向け、雰囲気は間違いなく最高潮にあった。

しかし、出場権がかかった準々決勝の北朝鮮戦。常に優勢に展開しながら120分で勝負を決められず、PK戦にもつれ込んだ試合で南野は最後のPKを外し、よもやの敗退を喫することとなってしまったのだ。

失意のなかすぐに日本へ帰国した南野はセレッソ残留に尽力したが、結局チームはJ2へ降格。デビュー年度には5ゴールをマークしたが、この年の得点はわずかに2つであった。

そして2015年1月、たび重なる試練に直面した南野は中学入学以来所属してきたチームを離れ、海外移籍を決断することになる。

10代といえどセレッソ降格の責任は免れず、批判も浴びるなかで南野が新天地に選んだのはオーストリアの強豪レッドブル・ザルツブルクだった。

ザルツブルクが所属するオーストリア・ブンデスリーガはお世辞にも欧州トップリーグとは言えない。それだけに成長を急ぐ焦りと危機感から決めたように映る移籍には懐疑的な見方もあった。しかし、そんな心配をよそに更なるステップアップを目指す野心に満ちた選手に囲まれた南野は、継続的に起用されることで成長を遂げていく。

そして今シーズン、主に2列目での起用であるが開幕からゴールを量産。一時は得点ランク単独で2位に立つなど、ここま5ゴールを決めている。その活躍の報はもちろん日本へも届き、リオ五輪のエース候補としても期待を受けるなか今回のA代表招集へと繋がったのである。

現在の南野は以前に比べると裏抜けだけを狙ったり独り善がりなプレーも減り、総合的な成長は見せている。それでもやはり、U-17W杯で苦しんだように日本人選手の特徴である狭いエリアでのパスワークを得意とする選手ではない。

だが、彼にはこれまでの日本人にない絶対の武器がある。

フィールドの中央で上手くボールを運び、正確に捌きながらゴール前になると途端に力を発揮できなくなる日本人選手を我々は過去、幾度となく見てきた。そんな選手たちとは異なり、南野には天性の得点感覚に加え、ゴールに近い場所でも精度を落とさず、また、ボールに力を伝え、ふかさず枠に沈める両足での強烈なシュートがあるのだ。

現在の日本代表は2010年以来続いてきた本田圭佑を中心とした体制が、その本田の不調とともに陰りの色を見せている。しかし思い出してほしい。かつて中村俊輔を軸としたチームが停滞していた時、救世主のごとく現れたのは他でもない。いち早く海を渡り、何度も何度も挫折を味わいながら這い上がってきた本田であった。

時代は繰り返すのか。日本代表の閉そく感を打ち破るのは、端正な顔立ちの奥に想像以上の悲哀と野心を抱えたこの男かもしれない。