■外国出身の「桜の戦士」はどういう経緯でメンバー入りしたのか?(前編)

 現地9月19日、ワールドカップで24年間未勝利だったラグビー日本代表が、過去2回の優勝を誇る「フィジカル強国」南アフリカ代表を34−32で倒し、世紀の大金星を挙げた。エディー・ジョーンズ・ヘッドコーチから「もっとも成長した選手のひとり」と評され、日本代表の副将を4年間務め続けているFB(フルバック)五郎丸歩は、快挙の翌日にツイッターでこうつぶやいた。

「ラグビーが注目されてる今だからこそ日本代表にいる外国人選手にもスポットを。彼らは母国の代表より日本を選び日本のために戦っている最高の仲間だ。国籍は違うが日本を背負っている。これがラグビーだ。」(原文ママ)

 このツイートは、リツイートとお気に入りを合わせてすでに3万を超えている。五郎丸はなぜ、このような内容をつぶやいたのか――。

 今大会の日本代表は、メンバー31人中10人(※)が外国出身選手であり、そのうち5人は日本国籍を取得している。ワールドカップに出場している他の国・地域を見ると、トンガ代表やサモア代表、スコットランド代表、フランス代表も選出された外国出身選手は10人を超えており、日本代表だけが他の国・地域と比べて突出して多いというわけではない。

※海外メディアではCTB(センター)/WTB(ウイング)松島幸太朗を外国出身選手としてカウントしているケースもあるが、ジンバブエ人の父と日本人の母との間に南アフリカで生まれた松島は、3歳から日本で生活し、桐蔭学園高校時代は花園でも優勝しており、日本ではカウントしない。

 ワールドラグビー(前・国際ラグビー評議会)は各代表チームに選出されるための条件として、その国のパスポートを持っている「国籍主義」ではなく、「所属協会主義」を掲げている。つまり、国や地域でプレーする際に所属する各国協会の代表選手として、ワールドカップに出場しているというわけだ。

 その理由は、「ラグビーの発祥地・イギリス出身の選手が世界を転々としていたため」という説もあるが、五郎丸が「これがラグビーだ」と発言したように、ラグビーはグローバルなスポーツとして、「所属協会主義」に基づいて代表チームが編成されている。

 その編成条件とは、該当国のパスポートを持たずとも、その国に3年間住めば代表選手になることができる、というもの。他にも、当該国で生まれるか、祖父母または両親のいずれかが当該国出身者でも、その国の代表選手になれる。

 その代わり、一度でも他国の代表(7人制も含む)としてプレーしていれば、当該国の代表としてプレーできない(※)。近年では「3年間は短すぎるのでは?」という議論もあり、近い将来は「居住5年」という条件になる可能性もある。ちなみに今大会、日本代表に選出されている5人の外国籍の選手は全員、5年以上日本でプレーしている。

※2016年のリオデジャネイロ五輪から7人制ラグビーが正式競技となり、すでに他国で代表キャップを持った選手でも、一度だけ所属する代表チームを変えることができるようになった。ただし、「ワールドシリーズやオリンピック予選に半分以上出場しないといけない」などのルールがある。現在、このルールで代表チームを変更し、今回のワールドカップに出場しているのはサモア代表のFBティム・ナナイ=ウィリアムズ(元ニュージーランド7人制代表)。

 それでは、日本代表に選出された外国出身者10人の素顔にひとりずつ迫っていきたい。すでに日本国籍を取得している5人の選手から紹介しよう。

 まずは、トンガ出身だがその地でまったくラグビーをせず、日本に来てから始めた男がいる。それが、2度目のワールドカップ出場となるNo.8(ナンバーエイト)ホラニ 龍コリニアシ(33歳)だ。彼の伯父は、三洋電機(現パナソニック)で活躍したWTBで、初めて外国出身者の日本代表としてワールドカップに出場したノフォムリ・タウモエフォラウ氏。だが、ホラニは中学時代まで吹奏楽部でトロンボーンを吹いていた。

 日本にやってきたのは高校1年時の16歳。伯父の影響により、留学先の埼玉工大深谷高(現・正智深谷高)でラグビーを始めた。ラグビーだけでなく、「最初は日本語もわからなかった」というホラニは、花園こそ準優勝したが、当時は同い年でトンガ出身のFL(フランカー)フォラウ愛世(まなせ/NEC)の陰に隠れた存在だった。

 しかしながら、埼玉工大に進学した後もラグビーを続け、2006年には伯父と同じ三洋電機入り。さらに2007年、日本国籍を取得した。トンガでは家系などを意味する意匠を身体に彫るのが伝統だが、ホラニの左腕には「大和魂」という入れ墨が彫られている。愛読書は『週刊少年ジャンプ』。今でも発売日の月曜日に毎週購入している。

 次は、日本代表キャプテンのFLリーチ マイケル(26歳)だ。ニュージーランド人の父とフィジー人の母との間に生まれたリーチは、5歳からニュージーランドでラグビーを始めた。15歳のときに来日し、北海道の札幌山の手高に入学。ラグビー部員の実家の寿司屋でホームステイし、レストラン『びっくりドンキー』で特大ハンバーグを食べて身体を大きくしたという逸話も......。その後は東海大に進学し、2012年には東海大の同級生だった日本人女性と結婚。そして2013年に日本国籍を取得し、現在は東芝でプレーしている。

 今年は2度目のスーパーラグビー挑戦の末、見事にニュージーランドの強豪・チーフスでレギュラーの座を獲得。いまやリーチは、日本のラグビー界が育てた「世界的選手のひとり」であることは間違いない。今年7月には東京・府中にある東芝のグラウンド近くに、ニュージーランドスタイルのカフェ『Cafe+64』をオープン。「+64」とは、国際電話で使用する際のニュージーランドの国番号である。

 リーチと同じく日本代表のFLを務めるツイ ヘンドリックス(27歳)は、ニュージーランドの高校から帝京大に進学し、現在の「最強・帝京」の礎(いしずえ)を作った選手だ。卒業後はパナソニックに入部し、2012年に日本代表・初選出。2013年にサントリーへ移籍した後、「もっと日本代表のために身体を張りたい」とさらなる高みを求め、2014年に日本国籍を取得した。

 そして、流暢な関西弁を話す外国出身の「桜の戦士」が、3度目のワールドカップ出場となるLO(ロック)トンプソン ルーク(34歳)だ。ニュージーランドでラグビー選手だった彼は、出場機会を求めて2004年に三洋電機へ入団。その後、2006年には近鉄に移籍し、2008年からはチーム初の外国人キャプテンにも就任した。2010年、日本国籍を取得。『丸亀製麺』のうどんをこよなく愛するトンプソンは、「仲間と自分を鼓舞するために、日本の国歌を大声で歌います!」と、今大会も気合十分。

 同じニュージーランド出身のアイブス ジャスティン(31歳)も2008年に三洋電機入りし、2013年からキヤノンでプレーしているLOだ。2011年のワールドカップ日本代表メンバーに選ばれるも、左ひざの故障のため離脱。ワールドカップにかける想いは人一倍強く、「日本人になって日本のラグビーに貢献したい」と、2015年1月に日本国籍を取得した。

 みな、さまざまな想いを抱き、日本国籍を取得して「桜のユニフォーム」を着て戦っている。後編では、日本代表に選出された5人の外国籍選手について紹介する。

(後編に続く)

斉藤健仁●取材・文 text by Saito Kenji