大相撲の立ち合いにおいて「変化」をすることがあります。決してルールで禁じられた行為ではありませんが、避けるべき行為として好角家からは嫌われます。大相撲九月場所十四日目で横綱・鶴竜稀勢の里に対して、立ち合いのやり直しを含めて2度変化した際には、場内からも大きなブーイングが上がりました。

こうした変化の際は「体が勝手に動いた」と言い訳をするのが通例です。相手の立ち合いの勢いを見て、身体が勝手に動く。一瞬の判断。瞬間的な反応。そのような言い訳で、変化というものを容認させてきました。

しかし、この日の鶴竜は2度連続して変化しました。一度目は右に。手つき不十分でやり直しとなった2度目は左に。これは身体が勝手に動いた類のものではなく、明らかに狙って仕掛けた変化。稀勢の里は立ち合いで変化することが基本的にない力士であることから、自分だけ動けば有利になると判断しての作戦でしょう。

昨年の九月場所では、逸ノ城が鶴竜に対して変化を仕掛け、金星を挙げたことがありました。その際、逸ノ城は「場所前の稽古で歯が立たなかったので、何かしなければいけないと思った」と語り、意図的な変化であることを明かしました。今回の鶴竜も同じように「勝つために狙って仕掛けた」変化と言えるもの。「体が勝手に動いた」と言い訳するような決まりの悪さすらも感じない力士が増えてきたということでしょうか。勝てば何でもいいのでしょうか。

大相撲の魅力というのは、狭い土俵の中で大男と大男がぶつかり合う瞬間にこそあるはずです。ドンと立ってドーンとぶつかる。正面衝突。野球で剛速球を打ち返してホームランにするような、チカラとチカラの激突こそが大相撲の稀有なる魅力です。その意味で立ち合いの激突を避ける「変化」という行為は、大相撲の魅力の最たるものを損ねる行為です。ましてやそれを横綱が狙って仕掛けるなど、相撲に対する重大な背信行為です。

横綱に蹴返しや蹴手繰りといった奇襲を仕掛けないのも、横綱の取組が「大相撲の魅力を欠いたもの」にならないようにするためにほかなりません。強い横綱に胸を借り、チカラで跳ね返される。それでこそ勝ったときの賞賛というのもあり、ファンにも「大相撲を見た」という満足もあるのです。横綱の側でそれを損ねるなら、格下の力士は全員「勝ちたい気持ちが出た」とでも言って、毎日蹴返し・蹴手繰り・立ち合い変化の奇襲でも仕掛けてやったらいいでしょう。鶴竜はそれでいいという考えなのですから。

負けても自力優勝の可能性が残る段階で「狙って変化を仕掛ける」ような力士は横綱の器にありません。そんなことをしなくても「横綱相撲」で勝てるくらい力量抜群だからこその横綱なのです。横綱になってから優勝がまだないことに対して焦りもあったのでしょうが、その程度の力量で横綱になったこと自体が間違いだったのです。鶴竜を横綱に推挙した横綱審議委員会、承認した理事会、謹んでお受けした鶴竜。三者まとめて猛省を促したいもの。

鶴竜を横綱に上げたのは、間違いでした。

<元大関雅山の二子山親方も、鶴竜の変化に亞然>

(文=フモフモ編集長 http://blog.livedoor.jp/vitaminw/)