安保法制をめぐるお祭り騒ぎと「ゴッド・ブレス・アメリカ」
<寄稿/音楽批評・石黒隆之>

 9月19日の未明、新しい安全保障関連法が可決、成立しました。現政権発足時から、本法案に対して多くのミュージシャンや芸能人が発言してきたのは、ご存知のところでしょう。9月15日には、毎日新聞が『<安保関連法案>「芸能界でタブー」超え主張始めたタレント』と題した記事を配信。話題を呼びました。

◆文化人のツイートが飛びかったけれど……

 しかし、改めて読んでも、そのほとんどが既視感にまみれている。朝日新聞の社説をコピペして、薄めたような言葉の数々。それがツイッター上、秒単位でやり取りされ、何千、何万ものリツイートを生む。そんな思慮もへったくれもない状況から生み出された“非戦”や“平和”に、独立した個人の存在を認められるのでしょうか。

 もっとも、この時代なりのレクリエーションとして、タイムラインを追って、好ましい発言をピックアップして世に送り出す作業が楽しいのならば、誰にも止める権利はありません。ですが、本当の問題は、そうした傷をなめ合うようなやり取りの中で、”被害者の正義”に対する疑いが微塵も見られない点です。

◆“弱者の正義”という安全な場所

 たとえば、安倍総理の施政について、誰かが「圧政だ」とつぶやいたとします。すると、そのとき彼が期待しているのは、あらかじめ想定できる同調者と、彼にとって“好ましい反発”を見せてくれる敵対者なのですね。つまり、発せられる以前から、その言葉は両サイドから保護された状態にある。

 そうした恵まれた条件のもと、不当を訴える言説は、抵抗のために抵抗するテクニックへと転じます。すると、“悪辣な権力者のもと、悩み苦しむ一般市民”、といった分かりやすい構図が共有されるようになる。これが、「茶の間の正義」(山本夏彦)の正体であり、テレビならぬ、ツイッターは革命の敵と言わざるを得ないのです。

 抵抗のための抵抗を続けるためには、彼らは勝ってはいけません。勝者や強者は抵抗などしないからです。勝つ見込みのない者は、敗北の真の味を思い知らされる心配を持ちません。その安堵こそが、“弱者”の欺瞞であり、多くの人が彼らの発する“政治的な”コメントを、眉に唾して聞くゆえんなのだと思います。

 改めて言うまでもありませんが、非戦や平和を訴えることが間違いなのではありません。なのに、どうしていつも怯え縮こまった形でしか、それを語れないのか。

 政治についてコメントする著名人は増えたけれども、その態度が、いささかも政治的でないのはなぜなのか。権力へのおののきと憧れがせめぎ合うような緊張の中にあって、はじめて反戦や平和も効力を発するのです。

◆「God Bless America」の作者、アーヴィング・バーリン

 そう考えるとき、あるソングライターの顔が浮かんできます。

「ホワイト・クリスマス」の作者として知られるアーヴィング・バーリン(1888〜1989年)。「バーリンそれ自体こそがアメリカ音楽なのだ」(ジェローム・カーン)と称されるほどの存在なのです。

 帝政による迫害を逃れるためアメリカへ渡ってきた彼は、移民の中でも最下層にランクされるロシア系ユダヤ人でした。ゆえに新たな土地での生活も困窮を極めました。

 けれども、汗の匂いが充満する移民だらけの集合住宅に押し込められても、祖国を呪わず、こうした貧困が手招きするような社会変革に一切の興味を示なかったといいます。バーリンにとって大事なのは、毎日の夕食と、温かい寝床があることであって、その点において彼は何よりも生活者だったのです。

 こうした快活さと現実的な視点が、自己憐憫や安易な連帯の誘惑に負けない心の礎になったのでしょう。しかもアメリカは彼のようなユダヤ人にも成功するチャンスを与える国でした。そこで彼が考えたのは、その中で自らのアイデンティティを主張するのではなく、むしろ同化していき、アメリカ人として振る舞い権威になってこそ、成功への道だということだったのです。