不在だけが存在した、虚しい結末。新国立競技場・検証報告書を読んで。片山惠仁 ( @YOSHIMASAKATAYA)

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■1 背骨なきチーム
黒澤明の「羅生門」は人の数だけ真実があるということを示していました。それは平安の世から2015年まで一切変わりはないとおもいます。
 
恐らくこの30年位で日本国内でここまで注目を受けた建築プロジェクトはありませんでした。国民の多くも騒いだ結果、委員会の結論は「2011年から約4年間の関係者において誰も悪意ある人はいなかった」という余りに散文的な結論です。でも、この21世紀の奇譚は、平安の世の奇譚よりも不幸なのは、リアルタイムで全ての出来事に関して主体的に語った真の目撃者がいなかったことです。
 
なるほど、現代の官僚制においては4年間も一つのプロジェクトに関わり続けることは困難でしょう。しかし、2000億円の攻防となるプロジェクトに関して少なくとも発注側、建築側にも連続して関わり続けた人が居ませんでした。
 
チームワークのコアとなる人が居ないチームが、機能するでしょうか?
 
このテキストの読者の多くがスポーツを愛する人でしょう。であればあなたの中で優れたチームをイメージすることは可能だと思います。優れたチームには、チームの中で目的と手段が共有されて伝達されている筈です。結論を先に言えば、新国立競技場という場所には、優れたプレイヤーがマネージメントなしでバラバラに動くようなチームが4年間存在し、混迷だけが残ったのです。
 
>--以下委員会報告結論参照-
>本委員会では、これまでの新国立競技場整備計画における問題点を浮き彫りとし、検証結果を取りまとめるに至ったが、その過程で行ったヒアリングの結果判明したことは、本プロジェクトに関わった多くの人が真摯に仕事に取り組んできたことである。その一方で、プロジェクトを遂行するシステム全体が脆弱で適切な形となっていなかったために、プロジェクトが紆余曲折し、コストが当初の想定よりも大きくなったことにより、国民の支持を得られなくなり、白紙撤回の決定をされるに至ってしまった。
>2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会のメインスタジアムとなる新国立競技場は、今後、厳しいスケジュールの下で整備が行われることになるが、国民の信頼を回復し、全ての国民から愛される競技場となることを期待する。(委員会報告最終頁60P)

 
果たしてこれは何を意味すると思いますか? 役所用語では「プロジェクトを遂行するシステム全体が脆弱で不適切な形となった」と言っていますが、要は「一貫した責任者が居ませんでした」という意味です。
 
■2 困難さの個別的問題は明快に指摘されています。
コンパクトにまとめられた総論で問題は言い尽くされています。委員会報告の問題の検証2において、このプロジェクトの困難さの骨格を以下のように整理しています。
 
■1-1 プロジェクトの{個別要素としての}困難さ
解説:デザインの斬新さ/敷地の狭隘さ/予算のタイトさ/ECI(準随意契約)による経済競争の減少/311以降の労働力逼迫/2020東京招致以来の東京での建設ブーム等です(注:この件に関しては、個別の技術者の対応では困難な部分が大きいわけですが、規模と類例のなさによって困難さが増しました)。
 
■1-2 予算を容易に語ることの危険さ
解説:規模が様々に変遷していき、建設インフレも進行したこの4年間のプロセスで、1300億/3000億/1625億/2550億と単純に並べることは非常に危険なことです。
注1:これに関しては、日建設計が自社の建築インフレ情報に基づいた価格見込みをJSCにコメントしており、注目に値します。
注2:さらに、インフレ前の物価水準や、円高時代の為替レートで海外プロジェクトと比較などされながらお茶の間を賑わせたことは記憶に新しいですよね。
 
■2見直しに至ったプロセス
-1責任者の不在。
解説:これは重層した問題であるということを指摘しており興味深いです。
 
A:JSC自体が本質的には決定権限がない。
文部科学省や有識者会議に諮る必要があり、素早い問題解決に至らなかった。特に有識者会議は安藤忠雄氏以外は建築専門家が居ないので、各界の有力者が自分に関わる問題に関し建築的に有効な判断を下せたか疑問だと結論づけています。
 
B:予算枠においても責任をもって判断できる組織がなかった。
予算判断に関しても非常に判断が難しかったことが指摘されています。当初の有識者会議で求められた建築の規模や諸室要求等を優先するのか? 予算規模を優先するのか? ということが最初から最後まで困難だったことが示されています。有識者会議/文部省/JSCの3者のどの組織の誰が最終的に判断する責任を持つ人なのかが定義されていなかったということです。
 
C:文部科学省、JSCの双方にこのクラスの建築プロジェクトを纏められる建築専門家がそもそも居ない。居なくて当然なのに、国土交通省にヘルプを頼むとか、設計施工一貫式プロジェクトにするとか問題の乗り越えの知恵も足りなかったと断じています。
 
-2国民に対する説明の不在
国全体のプロジェクトとして納税者への説明の意識があまりに低かった。特に、国立競技場の用途や魅力を積極的に国民にPRする意識が低すぎたと断じています。
 
スキャンダラスな報道に先んじて丁寧な説明
スポークスマンを配する
 
ということを指摘しています。でもそれだけでしょうかね?? ここでより深く検証されるべきは、21世紀の社会において、施設の使われ方の国民的合意形成がどのようになされるべきかをあまり反省していませんよね。
  
恐らく、このテキストを読まれる方はスポーツを愛する人々でしょう。スポーツを愛する読者の皆様の中で、理想の施設像は一人一人の中で様々だと思います。例えば、どういう施設がほしいのかということに関して、意見を収斂するに値するジャーナリストやスポーツピープル同士の意義深い公共に開かれた討論などが公開の場で重ねられていれば、国民の多くが納得できる施設のプログラムが作れたのではないでしょうか?
 
結論-天才的な個人が決定しえない時代の典型的な失敗と教訓。
かって、天才的な一人のリーダーがチームを人間的な魅力と洞察力で率いた時代がスポーツにありましたよね。日本のスポーツ界でも、西鉄ライオンズの三原修や南海ホークスの鶴岡がそういう時代を作っていました。
 
その限界に最も早く気づいた川上哲治は、優れた戦術コーチなどを導入しつつ、あくまでも監督個人の状況判断に依存しすぎず、各選手に役割を持たせてチームとして戦うことを提示しました。個人としてチームをまとめる人間の存在と、各プレイヤーが各々に個人の力量を発揮することは本来両立するわけです。
 
ひるがえって、今回の新国立競技場に関しては、どういうことが起きたか? 各プレイヤーは日本の建築専門家の最高峰の技術者でした。いや、ザハ=ハディドに至っては世界最高の建築デザイン賞の殆どを勝ち取り、ついに歴史ある英国王立建築協会の栄えあるゴールドメダルを167年の歴史の中で女性初の受賞者になりました(参照)。
 
でも、残念ながら今回のオリンピックには、プロジェクト全体に影響力を持ちうるマトメ役は居ませんでした。特に現代の社会において12番目のプレイヤーたる、今このテキストを読むスポーツピープルに届くようなヴィジョンを伝える人が居ませんでした。 
 
失敗の本質は、現代におけるリーダー像の定義が出来ていなかったことだといえます。これは、この社会において何時でも繰り返される可能性の高い困難な問題です。豊かな現代の日本においては実は個人のレベルに於いて殆どのものや個人的な空間はお金を出しさえすれば何とでもなるのです。でも、スポーツのような共有される空間をいかに作るのかという状況において問題はえぐりだされました。
 
出来れば、このテキストを読む皆さんが、地域のスポーツやその施設のあり方などにおいて、聡明な意見をお互いに尊重しつつ議論を重ねることによって、主体的に関わり、その環境を整え、維持し、お互いに豊かな環境を共有するために一人ひとりが考えて欲しいと思います。
 
建築物や空間を作る技術者として言えることが一つあります。建築はそれを作る社会の水準を超えて存在することはありません。そしてこの国のスポーツ空間を決定するのはこの長いテキストに付き合って下さったような聡明なスポーツピープルです。よろしくお願いします。

(かたやま・よしまさ、片山惠仁建築設計事務所代表)
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photo:See-ming Lee