さまざまな意見が噴出している「進撃の巨人 ATTACK ON TITAN」の後編が公開されました。前編に対して厳しめの評価を提示していたライター・編集者の飯田一史さんとSF・文芸評論家の藤田直哉さんは後編をどう観たのか、率直に語り合います。

学級会みたいな論争シーン


飯田 実写『進撃の巨人』の後編は……前編の2万倍ひどいね。おもしろくないを通り越して、あきれた。今年観た映画のなかではダントツのワースト。いや、マイナスですね。
 前編はパニック映画、ホラー映画のお約束で成り立っていたのに、後編はまったく別ジャンルの作品になっていて、そもそも観方がわからない。気づいたら知らないひとのお葬式にいたくらいの居心地の悪さ。
 まず後編冒頭で前編のまとめが流れるけど、その時点で例の唐突な「父親になってほしいの」(おっぱいモミモミ)とかがあるんで笑っちゃうわけです。そしてそれが終わるとエレンがぐるぐる巻きにされて「お前は人間なのか、巨人なのか」を偉いオッサンから結論ありきで責められる軍事法廷っぽいところに突入する。

藤田 冒頭の「エレンは人間か巨人か?」論争のシーンは学級会みたいで、萎えましたね。もっとうまく描けたはずなんですよ……クローネンバーグとかか撮れば……。國村隼がもうちょっと渋みのある感じで、その必然性と矛盾を引き受けて、一言ぐらい言っておく箇所だった。あの役柄だったら、重みや深みや苦みを出してもよかったのに。他のメンバーの動揺や葛藤も描けていなかった。

飯田 ドラマパート最大の失敗は、ギャグキャラのシキシマ(偽リヴァイ。ミカサを寝取ったやつ)が出すぎなこと。前編ではシキシマが最後のほうで出てくるから薄ら寒いセリフのオンパレードもまだ笑って許せたけど、後編は最初のほうから出てくるから、観ている側の心が凍りつくところから始まる。そしてそのあと全部、何も入ってこなくなっちゃう。
 シキシマは真っ白い部屋でエレン相手にどっから持って来たのかわかんないシャンパングラス傾けてホモォな展開をしたり(この映画でもっとも爆笑するところ)、死んだと思ってたのが復活してきたら相変わらず立ち方がクネっとしてたり。あいつが出てくるだけで緊張感がなくなる。
 大学のバンドサークルにいる、自分はかっこいいと思ってるけど客観的には普通以下のナルシストなボーカル(ときどき従順なブスと付き合ってさらに自己愛をこじらせる)並みの「あーあ」感。シキシマさんがおかしすぎて、『テッド2』より吹いた。

藤田 たしかにドラマパートはひどいんです。シキシマやエレンが言う中二病みたいな台詞も、もっと言わせ方(声色とか、構図とか、演技指導)次第で生きたはず。せっかくゴヤの『我が子を食らうサトゥルヌス』とか、ゴーギャンの『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』とかを参照しているのに、全然重みが出ていない。その原因は、演出なのではないかなぁ。
 シキシマとエレンたちが議論する「この世界を壊すか、維持するか」の重要な葛藤も、薄っぺらい。演出をがんばれば面白いシーンにもできたと思うところが、ことごとく……。あれは脚本のせいでもないんじゃないかなとも思ったり。その問題は、今後人間を描ける監督と、共同監督したら解決できる。それ以外のところは、ぼくは結構いいんじゃないかと思いましたよ。

ほとんどのシーンがツッコミどころ


飯田 ほんとに? 特撮パートも巨人対巨人の戦いがほぼ身内同士の争いっていうか、体制側と反乱軍とエレンたちの、人間同士の権力闘争ですーごいしらけた。
 あ、ここからネタバレしますよ。
だいたい、ラスボス(=体制側のえらいやつ)もエレンと同じく「巨人になれる人間」なら、壁のなかで人間社会の体制を維持する必要ないじゃん。なんのために人間に社会を用意してあげてるわけ? 巨人として生きればいいじゃない。
 反乱軍を率いていたシキシマだって、巨人になれるならひとりで内側の壁を壊して巨人を通り放題にして体制転覆させるくらい、どうにでもなるだろ。巨人化して爆薬奪って特攻すれば済むじゃん。なんでやんなかったの? だいたいお前はいつから自分が巨人化できるって知ってたの? 

藤田 シキシマさんは、体制側がインチキな脅威(巨人の侵攻)を自作自演して政権を維持するこの世界の欺瞞に耐え切れず、破壊を選ぶ。それに対し、主人公のエレンは、それでも維持する方を選ぶ。とにかく犠牲者を出さないことを選ぶ。これは深刻な葛藤で、映画で一番大事なところなのに、心理の動きが全然わからない。すぐ結論を出しすぎで、全然問いが観客に入ってこないのは残念だった。
 それから、ドラマパートの滑りっぷりと関係していると思うんですが、音楽が、エヴァの名曲を作った鷺巣詩郎さんなのに、ドラマパートの感情を補うための音楽ばかりやらされている感じで、それもしっくりきていない。重たい電子音が響くところはよかったんですが。エヴァは、編集のリズムと音楽が合っていて、良くできていたのだなと再確認しました。

飯田 ミサカが「シキシマが実は巨人でした」っていうの知ってるのもおかしいし。自分が守ろうとした子どもを目の前で殺されて、自分も深い傷を負い、エレンとは引き裂かれた、だから巨人に復讐しようっていうのがミカサの動機でしょ? なのに、それでなんで巨人になれちゃうシキシマになびいちゃうの? バカじゃねえの。
 どのくらいひどいかと言うと、佐野研二郎くらいひどいですよ。あれもこれも、え、それもですか??? って。ほとんどのシーンがツッコミどころで、言い出したら止まらないんですよ。サシャがミカサに花を渡すシーンとかもまったく意味がわからない。ジャンを殺した意味もわからない。サイレントで観たらまだおもしろかったのかも。

これじゃあシキシマさんがヒーロー、エレンがヒロインの少女マンガじゃん!


飯田 特撮パートはいいって言うけど、前編とは違って後編では特撮パートでもドラマしちゃってる(しゃべりながら巨人同士が戦う)から、戦いの迫力、巨人のこわさ、巨人同士のバトルの爽快感をせりふのひとつひとつが殺していっている。
 特撮パートに絡む設定もご都合すぎるし。前編ではたくさん出てきていた巨人が後編ではスカスカじゃないですか。ほぼ出くわさない。日中でも平気でクルマで移動してるじゃない。「夜に静かに移動すれば巨人に見つからない」って話だったのに、あの前編の設定はなんだったの? あと最後、壁の穴をふさいでエレンとミカサが壁の外の世界を見たらさ、そこにも巨人いないし。意味わかんない。

藤田 たしかに巨人バトルが少なくて、物足りなかった……。

飯田 なにより、巨人バトルがあんま爽快感なかったでしょ?
 なぜなら主人公がロクに活躍しないから。クライマックスの決着をシキシマがラスボスである超大型巨人とつけちゃう。そういう大事なところを主人公以外がもっていっていいのは少女マンガとか女性向けロマンスだけなんです。普通、主人公が自分でケリつけないと観ていてスッキリしないわけ。
 エレンはシキシマに助けられて、そのあとミサカに助けられてでさ、あれじゃあ王子様に助けられる女の子ポジションでしょ。シキシマをヒーローに、エレンをヒロインにした少女マンガなんですよ、話の構造が。
あ、ここで言う「少女マンガ」は戯画化された、最悪の意味での用法であって、現実の少女マンガにははるかにすぐれた傑作が星の数ほど存在していることは言うまでもないですけど。

役者の演技だけは例外的によかった


藤田 でも、「巨人」を、現代日本からの延長で伝えるVTR(?)の場面とか、最後の『猿の惑星』的な大オチで、原作改変の意味も腑に落ちたし。ぼくは「なるほどね」って思いましたね。

飯田 オチは山田悠介クラスのひどさでしょ。「はあ?」って。「実験区でした」ちゃんちゃん。って、ありきたりすぎィ!

藤田 いや、『スターウォーズ』エピソード1の「見えざる脅威」と、『猿の惑星』のオマージュだと思えば、アリなんじゃないかなぁって。

飯田 前編は「まだマシ」なところで切ってくれていたんだなとしみじみ思いました。
 あ、ただ、役者の演技は全然悪くないですよ。ほぼ演出の問題です。砂漠のなかの砂金のごとく数少ない見どころは、桜庭ななみがかわいいこと。シキシマさんの役者も、あのクネ男ぶりを完遂したことは本当に凄い。いくら演技でも普通の人間なら自意識が耐えられなくて発狂している。

藤田 役者は、他の映画の演技では良かったりするので、役者の責任だとは言い切れない。もったいなかった。「悪」とか「敵役」をわかりすく描きすぎなところが、破綻を招いている気もしました。しかし、そうしないと感情移入してもらえないのかな……もっと、重みと深みのある、背負っている悪役として描いてほしかったな。
 シキシマが食べているリンゴも、『聖書』由来の「禁断の果実」=「智慧の実」で、禁じられた科学テクノロジーを使って政府に対抗しようとするテーマに合わせていたのに……単なるチープなキャラ付けにしかなっていなかった。

飯田 シキシマがリンゴを投げつけられて「食べ物粗末にすんな」って言うんだけど、お前ちょっと前にシャンパン床にぶん投げてただろ、っていうね。ほぼすべてのシーンにツッコミがつけられる仕上がりになっている。おもしろおかしく語ることが不可能なくらい、観ていて徒労感のある映画。賽の河原で石を積み上げている子どもの気持ちが初めてわかりましたね。

頼むから、ドラマパートを駆逐してくれ!


飯田 僕が観たときなんて、あまりにもな内容だったせいで、映画観のなかで文句をぶつくさ言いながら観てるやつがいて、そいつと近くのやつのあいだで「てめえ、映画館のなかでしゃべるんじゃねえよ!」ってケンカが起きていた。それくらいひどかった。

藤田 www

飯田 では藤田先生、擁護をオナシャス!

藤田 いや、擁護はもう終わりですw 特撮パートと、現代日本の延長にあの世界を位置付けたところとか、「脅威をわざと作って、国民を殺すことで、国民の政府への忠誠心を高める」という設定は、まぁ現代に対する警鐘としていいかなって。オチも意外と絵的によかったし。志は高かったはずなんです。ドラマパートさえなければ……ドラマパートを駆逐してくれ!